希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車127

2010-05-12 15:09:13 | 日記
仏法(ぶっぽう)では、人間の生命の素晴らしさ、偉大さ、尊(とうと)さ、人間の生命の可能性を、『宝塔(ほうとう)』を通して表現しています。

『宝塔(ほうとう)』というと、わかりずらいですが、宝塔とは、宝(たから)の塔(とう)です。

金銀、財宝、ありとあらゆる宝石で造(つく)られた、東京タワーのような塔(とう)に、人間の生命を、たとえています。

その人間の生命の素晴らしさを、現(あらわ)した宝(たから)の塔(とう)、すなわち宝塔の大きさは、どれくらいか?というと、地球の半径もの高さがある塔(とう)だという。

ようするに、見上げても見上げても、はるかかなたまである、肉眼では、見通(みとお)すことは、できない、計(はか)る事ができないほどのスケールを持った宝(たから)の塔(とう)!

それが、人間の生命の偉大さであり、素晴らしさだと言う。

その地球の半径もの大きさの塔が、すべて、金銀、財宝、ありとあらゆる宝石で、できている。

それが、人間の生命であり、人間の生命の素晴らしさだと、いう。

自分の生命に、それだけの宝があるなんて、とても、思えない・・・と、言うかもしれない。

けれど、それだけ大切で偉大で、素晴らしいのが、人間の生命なんです。

問題は、その生命の無限の宝、無限の可能性を、どうやったら、引き出すことが、できるか?ということです。

また、金銀、財宝、あらゆる宝石でできた宝塔とは、いったい、何を意味しているのか?
ということです。


実は、その人間の生命の宝塔とは、『南無妙法蓮華経』のことを、言うんです。

南無妙法蓮華経とは、金銀、財宝、ありとあらゆる宝石でできた生命の中に存在する『宝塔(ほうとう)』そのものなんです。

南無妙法蓮華経が、生命の中にある、無限の宝(たから)なんです。

もっと言えば、人間の生命の中にある、あらゆる輝き、あらゆる財宝、あらゆる可能性とは、『南無妙法蓮華経』のことを、言うんです。

宝塔(ほうとう)といえる素晴らしい、偉大な生命の宝(たから)は、『南無妙法蓮華経』以外、存在しないとも言えます!

それほど、スゴイのが、『南無妙法蓮華経』なんです。

地球の半径もの大きさがある宝塔・・・。
そんなものが、自分の中にあったら、ぜひとも、その宝塔を出現させたいし、絶対、欲(ほ)しいと思う・・・。

その自分の中にある無限と言える宝塔を、出現させる、唯一(ゆいいつ)の方法が、創価学会が実践している、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということなんです。

これ意外に、自分の中から、生命の宝と言える『宝塔』を出現させる方法は、ありません!!

だから、たとえ、どうしても解決しない悩みがあったとしても、どうしても乗り越(こ)えられない困難が、あったとしても、真剣に南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中に、生命の宝と言える『宝塔』が出現し、ありとあらゆる悩みや困難を、乗り越え、解決していくことが、できるんです!

そして、自分のざまざまな夢や希望も、かなえていけるようになっていくんです!!

だから、南無妙法蓮華経は、『宝塔』なんです!

だから、南無妙法蓮華経は、人間の生命のなかにある、ありとあらゆる素晴らしい財宝となるんです!

その自分の生命の中から、無限とも言える、金銀、財宝、ありとあらゆる宝石の塔(とう)のような偉大な可能性、無限の勝利と幸せを、引き出していけるのが、創価学会が、実践している、南無妙法蓮華経を、となえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!

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