希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車201

2011-06-07 18:26:18 | 日記
幸せといっても、いろいろある。

ある人は、自分は幸せだと言う。また、人から見たら幸せそうでも、本人は幸せだとは思っていない場合もある。
また、人から見たら、華(はな)やかな生活に見えても、ものすごい悩みや苦しみを、かかえている場合もある。

ある人は、生きていければ幸せだという。
また、ともかく、おもしろおかしく生けていければ、幸せだという。

日々の生活の中で、幸せに対する考え方は、まちまちだ。

けれど、幸せに対して、確証的(かくしょうてき)なものがない・・・。

それは、幸せに対する確固(かっこ)たる生命観、哲学(てつがく)がないからでは、ないだろうか・・。


はっきり言えば、創価学会の人ほど、幸せな人は、いない。

それは、幸せに対して、明確に哲学(てつがく)を持っているからだ。
そして、自(みずか)らの生命で感じる歓喜(かんき)と共に、生きているからだ。

この生きることに対する歓喜を、これほど感じて生きていける方法は、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰によるよりほかは、ない!と言えます。

それほど、スゴイのが、創価学会が実践(じっせん)している南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の実践は、その人の生命を蘇生(そせい)させる。その人の生命を歓喜させる。
そして、南無妙法蓮華経をとなえることによって、自分の中の本来(ほんらい)持っている使命感(しめいかん)に目覚(めざ)め、自分のためにも、 世界や人々のためにも、使命感を持って生きる生き方が、できるようになってゆく。

そして、それは、自分のこころと生命に、最高の充実(じゅうじつ)と価値(かち)を生む。

その充実と価値が、いっそう自分の人生を輝(かがや)かせ、幸せなものにしていく。

そして、自分のためにも人々のためにも、自分の使命を果(は)たそうと生きる生き方は、自分の中から無限の可能性を開花させゆくことに、つながり、結果としてさまざまな悩みや問題を、解決していけることになり、また、夢や希望も、かなえていけるようになっていく。

その決定的で最も確実な方法が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。


南無妙法蓮華経を、となえることは、歓喜(かんき)の中の大歓喜だと言う。

そして実際そうであり、創価学会の中で、南無妙法蓮華経を、となえて生きることは、結局、最高の充実、最高の満足、最高の歓喜、そして最高の幸せを感じて生きることになっていく。

ゆえに、最初に言ったように、創価学会の人ほど、幸せな人はいない・・。
創価学会の人ほど、幸せを味(あじ)わい、幸せを感じて生きていける人はいない。

もちろん、人それぞれ、才能や個性、華(はな)やかに見える人、見えない人は、いるでしょう。
けれど、それは表面的なことであり、本当の幸せの見方とは、言えない。

そして、本当の意味で、心からの最高最大の幸せを、つかんでいける生き方が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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希望列車200

2011-06-01 15:59:26 | 日記
聖教新聞(せいきょうしんぶん)に池田先生(創価学会インターナショナル会長)が連載(れんさい)してくれている小説『新・人間革命(にんげんかくめい)』の中に、ある婦人の話しが、のっていました。


・・・・・・・・・・・・

その婦人と夫は、1954年に、和歌山市内で創価学会の話しを聞かされる。しかし、婦人は、頭から仏法(ぶっぽう)を否定し、学会を蔑(さげす)むようなことを言い続けた。

学会員は、
『仏法(ぶっぽう)は、幸福になるための法則(ほうそく)なんです。それを真っ向(まっこう)から否定していけば、いつか行き詰(づ) まってしまいますよ。』
と、諄々(じゅんじゅん)と訴(うった)えたが、聞く耳をもたなかった。

ほどなく、夫の事業が失敗し、夜逃(よに)げ同然(どうぜん)で、和歌山県の新宮市(しんぐうし)に移り住む。再起しようと夫婦で懸命(けんめい)に働くが、ますます生活は苦しくなっていった。

多額の借金(しゃっきん)。そのうえ婦人は、胸膜炎(きょうまくえん)や心臓弁膜症(しんぞうべんまくしょう)などの病にもさいなまれた。何もかも行き詰(づ)まった。心は、深い闇(やみ)に閉(と)ざされ、なんの希望も見いだせず、遂(つい)に生きることに、疲(つか)れ果(は)ててしまった。

信心の話を聞いてから、三年がたとうとしていた。彼女は、二人の幼子(おさなご)と一緒に、死のうと思った。そして、死と向き合った時、初めて、仏法(ぶっぽう)の話を思い起(お)こした。

『祈りとして叶(かな)わざるなしのご本尊(ほんぞん)よ。
真剣に信心に励(はげ)めば、誰でも、必ず幸せになれるよ。』

・・との言葉が、胸に蘇(よみがえ)った。

※ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていけ る仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることを、あらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。

婦人は、夫に、
「信心してみようと思うの。」
と話した。すると夫は言った。
「俺は、三年前、学会の話を聞いた時に、本当は、信心をしたかったんだ。しかし、おまえが、あんなに反対したから・・・」

彼女は、すぐに、仏法(ぶっぽう)の話しをしてくれた和歌山市の学会員に、速達で手紙を出した。
「あなたの言われていた信心をやりたいと思います。すぐに来てください・・・・」

婦人の一家は、1957年6月、晴れて入会する。

以来二十年、事業も軌道(きどう)に乗り、借金も返済(へんさい)した。はつらつとして学会活動に励(まげ)み、婦人は、県の幹部として活躍(かつやく)。夫妻で幸せを満喫(まんきつ)している。彼女が一緒に死のうと思った長男は、創価大学の四年生となり、さらに、海外の大学院に進もうと、勉学に励(はげ)んでいるということです。

・・・・・・・・・・・・


この話しで思うのは、同じ人間が、創価学会に反対していた時期と、創価学会に入って真面目に創価学会の信心をしてきた時期での、現実に現(あらわ)れた、あまりにも大きな違いです!!

ようするに、創価学会の信心をすると、しないとでは、これだけの違いがある!
ということです。

これは、この人だけの話しではなくて、すべての人間に当(あ)てはまることなんです!!

それが、創価学会の南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです!

創価学会の南無妙法蓮華経の仏法は、宇宙の幸せの法則(ほうそく)であり、生命の法則なんです。だから、当てはまらない人など、世界にひとりもいないんです。真剣にやっていけば、必ず、幸せになっていける。さまざまな悩みを解決していけ、また、さまざまな夢や希望を、かなえていけるんです!

だから、今日、話した婦人のような体験が、世界中、数限りなく現(あらわ)れ、世界中の創価学会員が、幸せを勝ち取っているんです。

それが、『祈りとして叶(かな)わざるなし!』と言われる、創価学会のご本尊(ほんぞん)であり、悩みを解決し、夢や希望をかなえていける、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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