希望列車で行こう!

勇気は幸福の乗車券、希望列車に、飛び乗ろう。

希望列車223

2011-10-05 20:19:40 | 日記
詩人、宮沢賢治が、物語の中で、描いているそうです。

それは、ある小さな野に咲(さ)く花が、たとえ誰(だれ)も見なくとも、また、どんな嵐(あらし)があっても、自(みずか)らの命を自分らしく立派(りっぱ)に咲かせていった。その強く美しき魂(たましい)を貫(つらぬ)き通したがゆえに、やがて「花の王」と讃(たた)えられる、最も光り輝(かがや)く存在へ生まれ変わったという話しです。

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。

『一人の人間が、どれだけ勇敢(ゆうかん)に忍耐強(にんたいづよ)く、自分自身の生命の花を咲かせていけるか。』

本質的(ほんしつてき)には、ここに、人生の勝敗が、分かれてくるんだと思う。

自分という存在は、他の人とは違(ちが)う。当然(とうぜん)、どんなにうらやんだとしても、他の人には、なりえない。

自分以外の人も、同じで、その人が自分と同じようになることは、ない。すべての人が違う運命や宿命(しゅくめい)、境遇(きょうぐう)や環境(かんきょう)、違う個性や人格(じんかく)、才能や能力をもって生まれてきている。

だから、あの人はいい、この人はいいと言ってみたことろで、どうにもならない。

そして、宮沢賢治が言うように、自らの命を自分らしく咲かせていくしかない・・!!

そしてその自分自身を貫(つらぬ)き通していった時、光り輝く存在に変わっていく。

勝負は、そこにあり、原因も希望も、幸せも、やはり、自分の中にあり、自分の中から出発していくしかない。

だから、池田先生は、言っている。
『一人の人間が、どれだけ勇敢(ゆうかん)に忍耐強いく、自分自身の生命の花を咲かせていけるか。』
・・・と。

ところが、これほど難(むずか)しいことは、ない。これほど困難(こんなん)なことは、ない。それは、難事中の難事(なんじ)と言ってもいいと思います。

だから、その難事中の難事を可能にしていく、明確で確実な哲学(てつがく)とパワーとエネルギーが、求められる。

その勇気と忍耐(にんたい)を持って、自分自身の生命の花を、無限に咲かせていける、唯一(ゆいいつ)の方法と言っていいのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

逆に言えば、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰があるから、創価学会の人たちは、自分自身の最高の花を咲かせ、幸せと勝利を、勝ち取っていけるんです。

誰も見ていなくても、どんな嵐があっても、自(みずか)らの立派(りっぱ)な花を、咲かせていく。

それは、確かに困難なことであり、また、世間一般的には、自分らしく立派な花を咲かせていきたいという気持ちはあっても、結局(けっきょく)それができず、そのまま、埋(う)もれてしまうことも、数限りなくある。また、そういう人の方が多いとも言えると思います。

だから、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法が、どうしても必要になってくる!

そして、この南無妙法蓮華経の仏法は、自分がやったこと、自分の努力が、すべて、必ず、花開いていく法則(ほうそく)だから、人が見ていようが、いまいが、自分がやったことが、必ず、最高の形で報(むく)われていく結果となります。

そういうスゴイ法則であり、力(ちから)であり、エネルギーが、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

はっきり言えば、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の信仰をやりながら、人生に挑戦し努力していくのと、創価学会の南無妙法蓮華経の信仰をやらないで、努力していくのとでは、天と地くらいの差(さ)がでてくるんです。

これは、おどろくべき違いなんです。

それは、新しく創価学会に入って、仏法(ぶっぽう)の信仰を実践している多くの人たちが、体験していることであり、感じていることでもあります。

また、だから、創価学会の人たちは、南無妙法蓮華経の仏法を、実践するんです。そして、だから勝っていけるんです。幸せになっていけるんです。

そしてそれは、宮沢賢治の物語のように、自分の人生の中で、「花の王」と輝き、最も光り輝く存在へと、自分を変えていってくれるんです。

その力(ちから)でありパワーでありエネルギーが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経を、となえる仏法(ぶっぽう)の信仰なんです・・・!


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希望列車222

2011-10-02 19:57:32 | 日記
創価学会の人たちは、日々、南無妙法蓮華経を、となえています。

南無妙法蓮華経とは、いったいなんだろう?
どういう意味が、あるんだろう?
どういう効果(こうか)や効力(こうりょく)があるんだろう?

と考える時、南無妙法蓮華経は、あまりにもスゴイので、どういう考え方、どういう捉(とら)え方をすることも、できる・・!

ある人は、単純(たんじゅん)に、南無妙法蓮華経をとなえると、幸せになれるんだ!と言うし、病気などの人は、南無妙法蓮華経をとなえると、自分の生命が蘇生(そせい)するから、病気を治(なお)す大きな力になるんだ!と言う。

また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえることによって、自分の運命、宿命(しゅくめい)を変革していくんだ!と言い、また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、人間性を向上(こうじょう)し、境涯(きょうがい)を高め、大きくしていくんだ!と言う。

また、ある人は、南無妙法蓮華経を、となえていくことによって、自分の中から、無限の勇気を湧(わ)き上がらせていくんだ!と言い、また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、自分の中から、大きな知恵やアイデアを湧(わ)き上がらせていくんだ!と言う。

また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、悩みや問題を解決していくんだ!と言い、またある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、家族や地域、社会、そして世界を幸せにしていくんだ!と言う。

また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、苦難を打ち破(やぶ)り、乗り越(こ)えていくんだ!と言い、また、ある人は、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、悪を打ち破っていくんだ!と言う。

いろいろ、考え方はあるけれど、その、どれも、正しいんです・・・!!!!

結局(けっきょく)、南無妙法蓮華経は、あらゆる角度から見たとしても、生命を、人間を、世界を、幸せにしていく法則(ほうそく)なので、その人にとって、いちばんプラスになる、いちばん幸せになる考え方をするのが、いちばん、いい!!!

それが、『南無妙法蓮華経』であり、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということだと思う。

ぼくはと言えば、最近、自分で気に入っているのは・・、今の状況(じょうきょう)、環境(かんきょう)や場面、自分のおかれた立場や心境(しんきょう)がどうであれ、南無妙法蓮華経とは、その時を出発点として『必ず、幸せに変わる!!』ということだと思っています。

今が、辛(つら)くても、苦しくても、また、順調(じゅんちょう)な時も、また悲しい時も、南無妙法蓮華経を、となえるということは、『必ず、幸せに変わる!』『必ず、幸せに変えていく!』という決定的な未来を築(きず)くことに等しいと思う。

だから、今の状況がどうだとか、こうだとか、愚痴(ぐち)を言うのではなく、「ともかく、幸せに変わるんだ!」「必ず幸せに変わっていくんだ!」 という力(ちから)であり、エネルギーでありパワーが、『南無妙法蓮華経』であり、『南無妙法蓮華経を、となえる』ということだと思う。

また、そう思って南無妙法蓮華経を、となえていった時、南無妙法蓮華経の力は、より一層(いっそう)、幸せへと向かい、幸せを勝ち取っていくことができる!

ようするに、南無妙法蓮華経を、となえることは、自分の中にある、こころや生命を、すべて、幸せというアイテムと思考に変換(へんかん)し、足の先から頭のてっぺんまで、 すべてを『幸せ』という細胞で満(み)たして、そこから、人生も未来も、生命すべてを幸せに変えていく!ということだと思う。

今の状況はどうであれ、生命も細胞も心も、幸せのエネルギーで満(み)たし、人生と未来を、幸せというエッセンスに変革していく!

それができる究極の力でありエネルギーであり、必ず幸せを生む、無敵の楽観主義が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰ではないかと、僕は、思っています・・・。


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