花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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雪のトラブル

2024年02月04日 | 日記
今年は、北海道は、異常なほどの、、、
「雪が降る、、、降る、、降る、、、また降ってる、、、」

 コロナ不況の所以なのか?
我が家の前には、、雪の排雪も、、除雪も、、、

      生活ドーロのせいなのでしょう、、、、

              あまり来てくれません。

        道路の両脇に雪を搔き分けてゆく、、、
     除雪?と呼んでいますが、、、
車が通れるように、夜中に、、、ご苦労様です、、、

            

    しかし、、、この一角は、、北側の角だけに、、、

  雪はもう、、限界のほど、、

           道幅を狭くしています。

             

 毎日,、雪掻かきプラスチックシャベルで、、、
   道路の雪を,車が通れるようにと
     一回雪を搔いては、、、
       路肩の雪山に力いっぱい圧搾して
         城壁にように、、、、、積み上げて、、、
         道路幅を狭くしない様に
            雪を搔いています。

      特に、、老人の住むこの界隈は、

           救急車の音が頻発するので

       我が家の前も、救急車が入れるようにと
        ここのところの豪雪で、、、毎日3時間ぐらいかけて
                  道幅を広げています。

      しかし、、道路を挟んで、ハス斜めのご家庭は

        一度、救急車が来たことが有ったので

      我が家も,、高齢夫妻に入るので、、、
           救急車はいつなんどき必要かもしれませんので
                       こまめの道幅を広げていました。

    自分の家の前だけではなくて
      隣りの道幅も除雪のシャベルを持って、
            道路わきに押し付けて、道幅を広げていました。

       この界隈には、、、どうしても、、車が少ないので,、

、             路上駐車もしがちなのは仕方のない生活ドーロです。

    角に近い所であろうと、無かろうと、、、めったに車が通らないので

         車庫入れが面倒なのだと思いますが、、

            車の後方のドーロは頻繁に車が通ります。

              右側の曲がろうとするところに

             右側の角から、5メートルぎりぎりの合法の距離ですが

            雪道の駐車はタイヤが滑ったり、、、ブレーキがかかりにくかったりして

        相手の車の車幅灯りと接触して、「ひび」が入った事がありました。

          「いいですよ、、これくらい、、、」

             ニコニコと勘弁してくれましたが、、、

               警察に電話して来てもらいました。

    「警察も忙しいので、、、後は御両人で、、どうぞ、、」

            細やかな記録で、、、車幅灯り一個ですが、、、事故届を出して

              保険屋さんに後はお任せしました。

                兎角道には、、、ありがちな事故ですが、、、

                我が家の裏に住んでいた「お婆ちゃんの域に入ったかな?」という女性が

               今は引っ越してしまって住んでいませんが、、、

                追突で、バンパーが傷ついたと言われて

                その場で20000円の示談にしたそうです。

                後日、、むち打ちになったと言って、、、病院へ通っていると言われて、、

               足が痛いの、、腰が痛いのと、、、しばしば来られて、、、

               結局200万円払ってから、、、

              「ドンな小さい事故でも、、警察を呼んで、保険屋さんに、中にはいってもらわないとだめよ!!」

                  怒りと、、あきらめで、、早口のおしゃべりが20分ほど続いたことを

                  思い出すと、、、

            ご近所であっても、、、こんなことは、、きちんとして

                  お互いに、、「落とし穴になるような心を呼び起こさない」、、、のが、、、   
                  法律に従うということかもしれませんね。

             冬は、、どんなに気心が知れている人でも
                     雪掻きの長時間労働で
                         精神的に、、ストレスが溜まっているので、、、

                     「さわらぬ神に、、たたりなし、、、」

               「此処の雪が邪魔だ」と言われない様に、、、

              ドーロは車幅だけは雪を搔いておき

             ::::****   救急車が通れる、、****;;;

               セダンなら、、すれ違える、、を目指して

               大型車が、、、灯油などを運んできたときは

                ほとんど、、、ぎりぎりですが、
               ドーロの部分ではありますが、車庫前を、すれ違いの時通れるようにと、

                     広く除雪します。

                   

     対面に車が止まっていると、、、
      どうしても、車の停まっているサイドすれすれに
              除雪車が雪をどかしたサイドを、、車がが通るので
         泊まっている車が出れないような置き方は、、
       除雪車の人は配慮するのでしょうね、、、

         ほとんどドーロの部分が、、、
         雪を搔かないと車庫の前は雪の山ということになりますので

           こまめに、、、ココは、、雪を除雪します、、、
           ほとんど、、今年は毎日ですね。

        この土地を買ってしまったという、、、
             雪国の雪まで計算に入れることが出来なかった若気の至りかな?

           我が家の方に、、、てんこ盛りになってしまうんですよね

        「冬は、、*****置ける所に置く雪よ*****、、、、」一句できました。

      我が家の前には、、てんこ盛りの除雪した雪の堤防が出来るというわけで、、、

    毎日、、、冬は、、、5時~6時起きて、、、3時間ほど、、、
      自分の家のサイドの方に雪を積みあげて
           大きな雪の塀が出来てしまいました。

     そのおかげで、
     道は、救急車が来ても困らない様に
     除雪できているのですが、

         

  御隣の東側の区画には、、「排雪」が入ってのですが、、、

                  もう限界です。(××)

       御隣さんの家の前を、、ついでに雪掻きして、、、

     道路の雪を、路方の雪山に、、、、、、めり込ませて、、、
        道路幅を狭くしない様に積み上げるのですが

       もう限界ですね。

         車庫の前は、普通の歩道の半分の歩道があるのですが、、、幅はごく狭くて

        バケツに三倍もあれば、
           治まってしまう

              車庫前の雪であるはずが

            道路まで除雪のスコップを振るわないと
                除雪車が通った後の
                  堅い雪が土手になっているのですよね。
                  どんどん道路側まで、、、
                     雪の土手が伸びてゆくのですよね。


                毎日早朝から、何時間も除雪しないと
             車が出れなくなるのが

                 「冬の札幌郊外の生活ドーロの除雪情報です。」

             除雪を札幌市が責任もって均等にしてくれる日が来るこを
            祈りつつ、、55年間も経ってしまいました。

          我が家のある側に
                除雪車が雪を置いてゆくので、、、道路の真ん中あたりまで

            除雪車が,搔き分けてゆくはずが
                 家の側にだけ、、、かき分けた雪が積まれてゆくのですよね。

             北側の角地の家って、、、雪置き場になってしまうのですよね。

                     トホほほほほ、、、、、(**!

            、、対面が石の塀の我が家なので

                 そちらにどんどん雪を積み上げてゆくので、、、絶景の雪の土手が続いてしまいますよ。

                

                   でも文句は言えません。

                 定期的に、、、介護の車が駐車するので、、

                 当方の塀に雪の山が出来ても、、、
                     一切の文句は言わない様にしています。

                介護の車が駐車するスペースを、一生懸命作ったら

                           結果として、、
                    我が家の家の周りに雪を置くしかなかったのでしょうからね、、、

              此方の東のサイドの、、大変なご苦労をされているうちには

                むしろ、、置けるとこならどこに置いてくださっても

                  介護の車が入るのが先決だとおもいますから、、

                   札幌市も、除雪の費用は、、、びっくり箱で、、、大変だとお思いますが

                 救急車が来たㇼ、、
                 介護の車が入らねばならない地区は

                   排雪してくれると助かるのですが、、、

                    私的には、我が家としては

               玄関は人ひとり通れる細道にして、、、

                   介護の車の訪問してきて駐車するスペースの、
              どーろの雪を,、、、、、、、、、、除雪して、道幅を広げているのですが

                今年の雪には負けそうです、、、、

                       (× ㇾ ×)

               札幌市の除雪は、、ダイナミックで、、、除雪の芸術ですよ!!!

                      

             あたり雪を路肩に集め
                吸い上げて、、、トラックの荷台に吹き降ろして

                あっという間に、、雪は無くなるのですよね!!
                      

              例年なら、、、全てに「目をつぶれるのですが、、、今年は大雪です。」

                  入口の幅も、、人が通れる幅だけ雪掻きして

                      まるで動物の巣穴の入り口のようです。



                    にんげんやりたいよ~~~!!!

                   モグラじゃないんだから。。。。みたいな気持ちです。

               「排雪が待ちどうしい!!!、、、2024年の2月です、、、」

                      雪まつりの季節です。

                

               我が家の車庫前は、ほとんどドーロなのですよね、

                路肩に積まれた雪をどかすと、、、
                 両サイドに雪の城塞が出来て

                この入口の道路の真ん中に、

                 実に

                  高速道路なら、、、白線が在る所あたりまで

                雪の城塞が、、、せりだしています。

                一晩で30センチ雪が降ると、、、車庫前の道路の雪掻きと

                 車庫前の道路のど真ん中に置いて行った
                       除雪車が固まった道路の半氷になった堅く手、、、重たい雪を

                     数えて80の婆ちゃんが、、

                   1時間かけて、、、

                   周りの雪の土手にめり込ませるようにして、
                            道路の雪を除雪します。

                  置くところが無くなってきますから、、
                    泥幅が狭くならない様に、、雪の土手に雪をめり込ませるのです。、

              

                  そろそろ、、、

                  春が来てほしいですね、、、

                 今日は朝から、、
                      車庫の屋根、、
                        物置2個の、、、、、除雪をしました。

                   風呂に入って、、、3時になって、、、

                  除雪を頼むと2万5000円分を,、自分で除雪しましたから、、、

                    孫たちと、、息子を誘って、、、美味しいものを食べに行きました。

                  「自分にご褒美をあげました。」    ≪^^👆

                    気持ちが、、これで、、治まりましたが、、、

                 明日明後日、、その次も、、、同じことの繰り返しです。

                  そろそろ春にならないと、、、、
                  逃げ出したくなるのが、、、
                      北国の

                 札幌郊外、、、羊ケ丘界隈の、、、

                    まさに北国の冬です。 
                



               雪の山がせり出してしまいます。

                 

          車庫の前も、、、雪が降るたびに、、、一時間ぐらいかけて、、除雪していますが

         ほとんど、、道路の雪です。

             道路が、、真ん中あたりまで、、、
                      我が家のサイドに、、雪の山が出来るのです。

                55年間も、、、
                  黙って、、一日3~4時間、、除雪してきましたが

                      筋トレにもなるし、、

                       若いうちは苦にならなかったのですが、、、

             道路の除雪で、雪山が出来ると、、、その山が邪魔だと言って

                あたり一帯、、同じ雪山が並んでいるのですが

            これ以上、、雪が降ると、、
            
     
            ** * *******************
              救急車も雪で困ると思いますよね、、、

           一区画向こうは、、、同じ生活ドーロですが、、、

            排雪が入っています。、、、、偉い人が住んでいるのかもしれませんね?

                    政治的には、、音痴の私なので、、、

               すぐに、、、札幌市の功労者の宅でもあるのかな~~~?と

              思ってしまうのは、、、
                 昭和の生れ、、
                       戦中の生れ、、、
                       富国強兵時代の両親に

             御国の為には,、お鍋に、、窯に、、、フライパンに、、中華鍋、、、

               全部御国に寄付した時代に育って居ますからね、、、。

            日本の国は、、、総理大臣が守ってくれると思っている時代に育ちましたから、、、

           総理大臣医なる人は、、外国に信用されていて、、、外交力のある人が

               「スーパーな知恵袋のお取りまき。。。
               「相棒の杉下さんの様な人の推察の意見」で、、

               各部署の智慧を集めて、、世界の中の日本が、
            今何をすべきかと思うとき、、、

                ニクメナイキャラの、、、むしろ、、親しみさえ感じる,、、伊丹サンみたいな

                正義感と、、まっすぐの一直線の行動では、、
                、野党は、、政治の世界だけに、、、いまいちの、、、カネの流れという

               「御正道」に、、気をとられている隙に、、、

               世界に於ける、、、日本の立場は、、、どないなるんでしょうね、、、?

              人間は,,,i、、、正しいとか、、正しくないとかで、、、時間を失っているうちに

            世界の戦争は、どこに向かって行くのでしょうか??

              日本の国が、しっかりと、、独立して、、自由民主主義であるならば

               首相は、、、国がある事の大切さを、、、知っている人であれば

               金の力よりも、、、権力よりも、、、未来への日本の独立国としての

              世界に対する役割は、、、、
               「核戦争を無くすために、、、、心身ともに、、人間がITとは違うという事を

                  広島に落とされた原子爆弾が、、人間性を、、元素に変えて、、、、しまったことを、、、

               根気よく世界に知ってもらうことだと思うのですよね。

             戦争の行き着く先の、、、哀しいまでの、、、人間そのものの「無機化、、、」

              地球という緑の星、青い海と、、火野山の火山、、、、氷の南極と北極、、、

                政治で、、緑の地球が守れるのなら、、、、
                どんなに素晴らしいことだろう、、、
                 

              私が、お取りまきの一員の人に、、
            能登半島を、、、ひとまわり素晴らしい所に、、、、してもらいたいのは、、、

            能登半島の復興力を、、見事に世界にアピールしてほしいという事ですね。

             日本は、、国民も、、国の文化も、、、守れる国だという事と

          復活の技術が、、、戦争で破壊された世界の街の復活に

             寄与できる技術だというところまで、、、若者を、、育ててほしいですね。

           女性はやっぱり、、家庭に帰って、、、

              母親が育ててゆく、、、強い子を

             社会に、、お返しするのが、、役目ではないでしょうかね、、、

              男尊女卑の日本の男は、、、

             女性次第で、、、

             国は守れるのだと、、、気が付いてくれれば、、、ね。

           女性を支配したり、、、
              モノ扱いしたり、、、

               キレイどころ扱いするばかりだと、、、

            心底、、期待できるような、、、

          「子育てのプロ」女性が、、、消えてゆきます。

             子供は、、、確かに、、、社会の所属です。

             家も、、不動産も、、社会のものです。


             でも、、、日本の母親たちは、、、

              子供は、、自分のお腹を痛めて来て産まれるので
               自分尾モノと、、、、勘違いしているのだと思います。

             自分の一部のような気持ちであると思うのですね。

                しかし、、、真実は、、、「養育義務があり、、、」

              子供も、、不動産も、、もちろん家もマンションも

                国のものだったり、、、しますから、、、


               税金が、固定資産税が、、、全てを物語っているのに、、、

              束の間の人生で、、人は、、、自分のものなんて要らないと

                社会主義や共産党の人は、、、

                個人が世襲制的に、、、住居界隈の政治力を持ち
                個人財産ンを大きくしてゆくと、、、      
                 マイホームだと錯覚できる環境を選んで生きる。

                 マイタウン、、、だと、

                子供も、、、私の子、、、という感覚で

                   日本の文化は、、、「おんぶ」だった、

             どういう条件下の女性かという事を考えて、、、
              政府は、、もっと、、真剣に、、

             日本の女性の出番を、自然体に添って

           能力と、、やる気や、、興味の対象に向かって行ける社会参加をさせてくれれば

          女性はもっと社会に貢献できると思うのは、、、
          昭和生まれの、、婆ちゃんだからでしょうか?

           「待て!、、、話せばわかる!」、、、226事件、、、

            オガタサンは、、、国内では、

           志しが、、、髙い、女性の社会人でね、、、

         今年の3月で笑点からは卒業というキクちゃんは、、

            一艇ましタヨ!、、、

         今どきの若い人は、、、スマホで「弟子にしてください、、、とメールして来る。」

          「弟子はとっていません、、、」というと

            「了解」とスマホで返事が来たと、、


      笑点の⁽黄色いお着物で、、、マンガの上手な、放送していましたよ。

         今どきの人間が、、、昭和時代の人間とは

                      かなり行動パタ^ンが違うという、、、

          笑えない、、笑いでしたね。

                余談はこれくらいにして、、本題ですが、、、


            今年の雪は、、、留萌並みですね、、、

                   たすけて∻~~と言いたいですね!。

           

        除雪車が、どういう訳か、、、
          対面側のドーロぎりぎりに走ってゆくので

          雪を搔いても搔いても、、、当方の家の前は、

             除雪車の、雪を両脇に寄せるタイプが、、
          北側に,、、寄せていていった雪が、、、てんこ盛りです。

        深夜早朝、、、除雪の車が来てはくれていることは、

                感謝しか有りませんが
                                 💕


        我が家の周りは、、、55年間、、、

             冬になると、北側の角地だけに

         雪に埋まってしまいます。

           南紀で13歳まで育ち
             小学校の時に東京に転校、、、
                転校生の、、肩身の狭い日々の中でも

         みんなが、、クラス委員い選んでくれたので

         みんなの仲間としては、、なかなか、、、馴染めないまま

        クラスの仕事をこなすことで、、、

         多くの対話を持てました。

          しかし、、、東京では昭和30年前後の頃は

              昭和44年ごろまでの、、經驗では

                 雪はめったに降らなくて、、、

                    10センチも降れば大雪でした。

          それがいきなり、、、結婚して、、留萌の冬を体験しました。

          北海道では留萌は、、、地元で生まれた人でないと
           冬の季節を過ごすのは、、、相当な覚悟がないと

             豪雪地帯なので、、、、びっくりすると思いますよね、、、

             ダンナさんは、、北大の大学院生でしたが

            昭和38年に北大の医学部に合格したときは

             雪の多い所だとは知ら蛙なかったそうです。

           無給医時代が続いた、、、当時の医学部は

           生活してゆけない学生たちも多くて、、、

            奨学金が唯一の頼りだったそうです。
           時間的には、、今の時代からは考えられないほど、、、

           勤務時間が長く、、、先輩医師にはひたすら仕えていたようですね。

            少なくとも、、、外野の私にはそのように見えました。

          しかも無給で、、、
             大学に在籍していないと、、、外科医の技術は覚えられないし、、

             医学に未熟なだけに、アルバイトが生きる手段でしたね。。



    、、、、、、、この頃、、「一杯の掛け蕎麦」というドラマが在り、、、

               貧困の中から「医師」が産まれるのですが、、、

                   現実は、貧困の中から生まれた医師は

                医師にはなれますが、、、、
              「医師をすることは出来ない」等、、、、現実は、

                 勉強する事も
                 外科の技術をおぼえるのも、、

                 病院に雇ってもらえるまでは

                「患者さんの命は、、、個人では、、、
                    預かって、命の保証をするという事は

                        個人の力の限界を超えているという事なのでしょうね、、、」

               医局に50歳近くまで、、、手取り、、、国家公務員の給料で

                毎月10万以上の本の請求書の来る、、、学問と背中合わせの医学の世界は

               医局に在籍しているということで

               ダンナさんのような
                「子供の心臓の奇形を手術する」というジャンルの医師は 
                 または、、、
                 

                 心臓に人工弁を入れたり、、、入れ替えたり、、、という手術や

         

                農家で、農機具で手を切断してしまって、、氷でひゃして

                 切断した腕をもって、、やって来た患者さんの腕を接着させる手術とか

                個人では出来ないジャンルの外科医でしたから、、、

                     

                大きな科の外科の医局で、、、「胸部外科」
                              「消化器外科」
                               一般外科、、、等など、、

              個人の責任において、、、出来る手術ではないだけに

                   50歳近くまで、、、医局員として、組織の一員として

                     野球の、、一塁、、、三塁、、、外野、、を守る様に

               大学の医局というところは、、、、外野の私には、、、

                  外から、、、森を見ているように、、、

               想像の域を出ませんが、、、、

               ダンナさんが「医師になれたのは、、、個人の力であっても、、」

                     「医師をするのは、、、国のサポート、、、自治体のサポート、、
                         企業のサポート、、、、裕福な一部のボランティァ団体のサポートが無ければ

                   心臓外科等は、、、個人では、、責任をとれないジャンルなのでしょうね。

               アメリカの現場で医師をしていた先生が日本に帰って来て、メスをふるうときは

                ダンナさんは、、わきに回って、、、手術の便宜を整えるという

                   団体の外科手術の一員だった時代が長かったですね。

                     その後は、、、副院長とか、、院長とかの立場で

                      医師の先生方が、、医師をすることの為に必要な

                     環境づくりの、、、現場を知るものとしての
                    医局を通して、、、医師会を通して、、、大学を通して

                   全ての場所に、所属して、、、医療環境を整えるという、、、

                 一人では出来ない、、、「院長と呼ばれる座布団の上で、、、???」

                 ひたすら、、仕事をしていたのでしょうか?

                家庭の父親としては「ただいま、、、外出しております」と

                   背中に書いた紙が、、、

                 遠くからでも字が読めるというような、、、家庭の父親でしたね。」

                 不思議なのは、、、子供達は、、ほとんど留守中の父親であったのに

                 父親を尊敬して、、愛情を持って、、、今でも、、

                  親しい親子は交友しているという、、、、不思議???です。

                    婆ちゃんになった私には、、、

                 一億総貧乏人だった、、、戦後だったから、、

                一人の医師に、、、国は大きなリスクを背負って、、
                「医寮システムを仕上げてきたと、、??」

                  corona患者さんを「引き受ける病院」の、現実にぶつかって

                 「医師をすること」のサポーターの必要性を、、、

                 政治家のみなさんも、、、

                  患者さんというのはブラックホールを持っていて、、、

                サポーターの居ない医師は、、
                       「医師をすることは出来ない、、」と

                           体験したのでは???ないでしょうかね??

                     お金持ちと間違て、、税金がすごくかかってくるし、
                     年金は支払いがきわめて不可解なほど、しはらわれない間も

                      大きな額の、、、各種保険類の支払いの請求書が来ます。

                     そして、、「退職金」が無いのが、、、
                      当たり前になっている
                
                        巨大病院の勤務医師の皆さん、
                                                                                                                                                                                          

                  辞めた年の前の年の税金がかかってくるので
                      住民税が、前年の雇用中の金額が請求されてくるので
                     税金だけを支払うのに

                        全ての貯金は吐き出してしまうという
                          勤務医の家内は、、、

                  特急電車のホームで電車が走り去ってゆくのを見ている様な人生でしたね。

               医師をするのは、、人生をかけても、生きがいにはなるのでしょうけど

                   家内には、、、つぎの世の世界では
                   医師の家内は、、こりごりですね、、、
                     次の世では、、、結婚はしないで、、、
                       自分を生きてゆきたいですね。、

                          本音かもしれない、、、(笑い)

                  家内の立場は、、  孤独があるという事は確かですね。
                 

               外科医の世界は「徒弟制度に近かったのでしょうかね?」

             北海道の豪雪地帯の「無医村」に、、真冬のアルバイトの口がかかり、、

            雪の中を、、アルバイト医師として、、、
                 当時は一か月

             ほとんど病院に泊まり込みの毎日で研修を受けながら、、、

             外科医は「麻酔も標ぼう」できるまでの
                          回数を手術に入り、、、

                   へき地のアルバイト、、、
                  「豪雪地帯のアルバイト」で

                 日夜仕事漬けになり、、、当時のアルバイトの料金は

               「留萌の寿町の病院で」16万円が、
                一か月の「アルバイト代金でした。」

               東京で私は、、留萌の病院と同じような規模の総合病院で
                  薬剤師をしていましたが、、、
                  一か月の月給は10万円ぐらいでしたね。

                   昭和44年ごろの月給の相場です。

                 結婚と同時に、、私は失業で、、、医師はこんなに貧乏なのかと、、、驚きました。

                無給医なんですよね、、、当時は、、、

                   結婚したことを、、、後悔しましたね。

                  薬剤師として働いていたら、、、
                  自分で自分を食べさせられるくらいは、、、容易だったのに、、

               結婚生活は、、「医局の、、下っ端の先生」という身分のダンナさんなので

                 組織の命令のままに、、、、、
                 テンテンと移動するので、、
                        、就職も出来ないし、、収入も無い、、、。

               此処に至るまでの間は、奨学金の一か月4万円が

                家賃17000円、、食費、、、新聞はとっていませんでした。

               大学病院に行けば、、朝日、読売、、スポーツ新聞、産経、、、などなど

               一応全部に眼が通せたそうです。

              

                
            アルバイト先は、、、今はひっそりとなってしまいましtが、、、

                 夕張、、、石炭で有名だった「炭鉱の街」への外科処置でした。

              思い出は、、、当時と違って、、若さの花として残ってますね、、、

                命がけの花、、、、
          

             逆に、、世界の知る所の街となった、、、
                栗山監督が、、、そこの住人になられたというので

            今や!!!      
                  野球のファンが、訪問してくるという、、、、

                      栗山町!!

                ダンナさんが、、この町に、、真冬のアルバイトに行ったときには

                雪の多さに、、圧倒されたそうです。

              電信柱を、、、、またいで、、、歩いたと言っていました。

               さすがに、、、医師になったばかりの身分では、、、豪雪地帯の街で

               眼だけ出した防寒着にくるまって、、、

                病院の寮から、仕事場に行くだけで、、、後は仕事のみの、、、

                医師は、雪掻きをしなくていいだけでも、、、感謝だと言っていましたね。

                  

               あれから55年間、、、

               我が家の雪掻きは、、、家内の役割となった来ました。

              豪雪地帯を、ダンナさんに、、4年間もついて回った私は、、、

                 サッポロの固定で来た時は、、、天国に来れたと思いましたね、、、


                サッポロで、、、ミサワホームに、、飛び付くように、、家を買ったのは

                バブルの、、経済危機を感じての、、焦りからだった。

                 すぐ近くのbass通りさえ、、、除雪が入らない時代、、、昭和50年、、、

                     救急車だけは入れるようにと、、、

               道路の雪を積み上げる癖がついていました。

                  圧縮して、、、道路幅を狭くしない様に、、、
                 除雪で路肩のてんこ盛りの雪は

                金属製のスコップで切断して、、、一個づつ、、煉瓦のように積み上げてゆく。

              雪の事を55年間担当してきたことで、、、

                   

                初めて買った家が、、、
                雪のない地方の家の建て方だったために

                  


               貸すこともできないし、、スガモリはして

               何度修理しても床板がしなってしまうし

              これ以上、、リホームには、、金銭をかけられないというだけ

                リホームしましたが、、、髙い割には、、京壁は,、剥げおりて

                京壁に見える化学製品の壁紙を張ってゆきました。

                   元来が、、スガ漏れするため、、、
              一年持たないで、、はがれて、、垂れ下がってしまいました。

               本州では、、リッチな人の間でも、、、ミサワホームは人気だったんですよね。

                南極探検の時のハウスも、、ミサワが立てて、、、有名でしたよね。

             北海道では、、当時、、ミサワホームのパネルだけを買えば、、

             地元の建具屋さんが「ミサワホームの看板を掲げていたので

                パネルだけは、、まさにミサワの秀逸な強さであっても、、組み立て方が

                  技術が無さすぎの時代でした。

                  若かったのですね、、、、冬に対応していない作り方だとは、、見抜けなかったのですよね。

               ひたすら、、私自身が、、

                屋根に登って除雪することで
                  家を、40年以上、、スガ漏れの程度で、、もたせてきましたね。

                   リホームは、、10回以上しましたがね、、、根本は、下水水道がダメで、、アウトです。

                 当時80万も搔けて、、庭を掘ったのに、、、共同マスが、、無かったりしましたね。


                 とにかく、、、北海道に嫁いできた本州や、東京の同窓生は
                      3か月後には、、離婚して、、東京に帰ってしまっていた時代でしたね、、

                横道のお身ではこれくらいにして、、、

                感動するダイナミックな除雪もあるんですよね、、、

                 子供達も小さい時には、、、興奮して、、除雪の様子を見ていましたね。

                  

 
           春になると、札幌市の除雪車が入ってくれるんですよね!!
             

             スゴイでしょう!!、、、あっという間に、、、路肩の雪も無くなるんですが

              雪間瑠璃の前後は、、、もう、、、入り口の雪は、、人の通る幅を開けるのがやっとです。

              日t自我丘のふもとの、、町内会では、、、札幌市の除雪が入ることは

              あまりありません。7回ほど、、町内会の班長当番が廻って来たのですが

              ほとんど話しかけてくれる人もいませんし

              座布団をセットしたり、、、長いデスクを運んだり
              印刷物を配ったり、、、

             何よりも大切なのが、、、町内会費を集めるという事ですので

              55年住んでいても、、、町内のことは全く知りません。

               皆は仲良し、、、にこにこ、、顔が有ったら話しますが、、、

               ワンコちゃんのこと,、、お天気のこと、、、雪のこと、、、

               除雪車がなかなか来てくれないのは、、、この一帯は、、、

              札幌市の除雪の管轄ではないのかもしれませんね。

              自治体に頼んでいるのかもしれませんね。

             ミサワホームの昭和50年ころの家ですが、、、
            リホームは10回以上しても

            水道と下水が埋まってしまっているので、、、
               アトリエとか、、大型家具の置場とか
              小説や漫画や、、本類の置き場になっていて、、、

             大きなゴミバケツに、、、雨水をためて使っています、

             リホームに、、これ以上お金はかけたくないし、、、躯体は、、度重なるリホームで
            結構な、部屋ですが、、、壁髪は見かけは良いのですが、、、

               京壁もどきの科学性の壁紙で、、のりが馴染まないのか

                 はがれて垂れ下がっていますね、、、

                 予算は、、、結構な費用をかけても、、、粗雑に修復していて

                内部は、、、もう、、あきらめています。

               下水管も、、、何回も、、掘ったり埋めたりで、、、

              庭には、、撤去しないで、、新しい土管を埋めたので、、、土管だらけのンワになっている。

              30歳代という、、、収入のない時期に、、、

                子供が2人,、小学校と、幼稚園い行くというので

               ミサワホームの提携ローンで買いました。

                当時の利息は、、、9パーセントだったのですよね!!

               バブルと言って、、、物価がうなぎのぼりで、、、

                家賃もうなぎのぼりで、、、このままでは、、、住むところを確保できなくなると、、、

                なかば、、焦って、、焦って、、、買ってしまったという、、、

                本州では人気のある、、「ミサワホームを買ったんですよね、」

               余分な、、無駄なデコレーションが無くて

                   スッキリとした京間の、、、シンプルな、気の香りが良くて

                  とりあえず、、当時の1400万円は、、高嶺の花でしたが

                     提携ローンだと、、、無給時代の医師の未来展を加味してくれて

                  9パーセントの提携ローンで買うことが出来ました。

                  3年間は住んでいませんね、、、、その間、、、冬の雪で、、ガラスは割れるし

                  ベランダのサイズの大きな窓は、、、本州の雪のない所のデザインで

                  真夏は、庭に出るのは最高の、、地面から、30センチも無いような大きなまふぉがついています。

              冬の雪を知らない私は、、、真冬の朝、、、カーテンを開けたら

                降り重なる雪の日が続いたせいか、、、窓が、雪で上まで埋まってしまっているのですよね。

                 そこに、、、打義姉の雪が落下してきた物ですから、、、

                 360センチ×180センチのべランド窓が

                  窓枠頃折れて、、雪の氷塊が窓から落下してきたのです。

                窓辺に置いてあった、、机も、、ゴムの木の、、、大きな鉢植えも

               雪と、、屋根で境界になった巨大な氷の落下に押されて、、、

                 ラワン材でつくられた、、窓枠も窓も、、、折れて、、ガラスも飛散しました。

               恐かったですね、、、、、

               あの時は、、正月で、っミサワの会社はお休みで

                 近所の建具屋さんに頼んで、、、ガラスを入れ替えて、、除雪をしてもらいました。

                  55年前の冬に、、、命拾いをしてから、、、

                 毎年雪掻きをするのですが、、、さすがに、、、80歳のなると、、、

                雪の多さに、、、除雪力が、、、負けてしまい、、、

                 ぎりぎりやっと、、、
                窓が割れないかな???の、、、ラインまでの除雪と

                屋根の雪も3分の一だけ、、、
                          残ったままの除雪して、、、

               今日の雪の分だけ、、
                     また明日でも、、、あさってでも、、、除雪しないと、、、と

                「人生の半分は住まいの安全を考えて」、、過ごしてしまったが、、、

                  もう、、リホームするのが無駄だと判りましたね。

                 北海道の大きな地震の時に、、階段がねじれましたね、、、

                  外壁も、、畳台のモルタルが落下してきて、、、サイディングにしました。

                 補助費があると通達されて、、喜んで、、一杯予算で工事が済んだ頃
                  あとの三分のニは、補助費が取り消しになりました。

                  サッポロも北海道も、、、予期せぬところに、、補助費がかかってのでしょうね、、、

                我が家は、、一旦、補助が出た後で、、取り消しになった事は

                 年収でカットされたのかもしれませんね、、、

                 医師は、、お金持ちと、、思っている人が多いですから。

                 大学に居た50歳までは、、国家公務員の○○号、、何等級の給料で

                      食べてゆくのにやっとだと、、、世間では知らなかったのでしょうね。

                お金ばかりかかって、、、根本は治らない、、、

                 家を買うときには、、、充分な予算で、、、充分に満足できるように

                 お年寄りにも話を聴いて、、、下水上水道がダメな家は、、辞め解く事ですね。

               家が一生の金くい虫になって、、、家計を圧迫するという経験をしましてけど、、、

                    インフレになっても、、、土地は売れますから、、、

                     老後の必要な経費んぽ維持にはなるかもしれませんね

                    それまでは、、、空き家にしてなるものですかと、、、

                  隣りの敷地だけに、、有効利用していますが

              危険なので、、、ガスも水道も止めたままで、、電気だけ使えます。

               老後資金いと、、しっかり雪を搔いて、、貯金のつもりで,頑張って除雪です。

                 雪を、、お隣さんの分まで、、ドーロを搔いていたら、、、

                 道路が狭くなるから、、雪を積まないでくださいと、、、言われてしまったが

               道路は狭くならない様に、、雪山にめり込ましているので、、、

                  道幅を狭くなるような除雪はしたことは有りません。

                 除雪車が置いて行ったのですよ、、、!

                 「 人は、、、何もしなければ、、、いさかいは無いのですが、、、」

                   雪道に除雪が、、区画によって来なかったり、、来たㇼ、、

                排雪まで入る所と、、、我が家の周りのように、、、除雪も排雪も

                 北側の角に、てんこ盛りにしてゆくのは、
                          、、角だけに、、仕方ないかも。

                 車庫の雪は、、庭に運ぶので、、、庭には、、伊豆の富士山の様な山が出来ています、、、
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                   助けて、、、、、今年の雪は、、、もう、、置場がありません。、

                 

 

               

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