花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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歌舞伎と団十郎さんと、TV放映を観て思い出した50代の頃、

2022年11月11日 | 日記

東京の人なら、、一度や2度は、、歌舞伎を観に居ているのが、、、常識の時代に
私は、駿河台のの日大に通っていたのですから


歌舞伎は 御三家が気になる様な年頃でした。
日舞も習っていた関係上
お弟子さん同士
ひいきのファンの役者さんがいて、、、

玉三郎さん、、も最高にあでやかな美しいころでしたね。

そのころから、
結構大人の好む出し物も観に行くようになり

「勧進帳」を観たときでしたね。

義経と弁慶と、、
関所での武士の情けで通過できるまでの
有名な場面ですよね、、

よかったな~~~!!

「弁慶が歌舞く」、、、大きな動きは、、、

まさに歌舞伎!!

義経役の「動かない、、、静止している歌舞伎の奥の深い動き」

踊もいくつか観ました。

浦島、、藤娘、、潮汲み、鷺娘、、雨の五郎, 連獅子、、鏡獅子
山姥、、、松の緑、、、御所車だったかな?

静御前と若者の踊、、、

想い出すときりがない、、、
母も歌舞伎が好きだったから、、、

はじめは、女性は歌舞伎は知っておきなさい、、、と
なかば付き合うつもりが、、、
はまってしまった。



人間は、「パンのみには生きられない」というのは
こういうことかもしれません。

卒業までには、、歌舞伎や日舞には
相槌が打てる程度の常識がついていました。

ヒョンナことから、、、北海道に嫁ぐことになり
母の決めた縁談で、父と同じ外科医に嫁ぎ
30代の後半までには、、、東京に帰ってくるという命令でしたが、、、

旦那さんは北大を出ているので、、、母の言う事なんか聞いてくれませんでした。
歌舞伎座からは程遠い、北海道をローテションしながら
20年以上は、、、観劇など、、ありえない、、
環境の大切さを思い知ったころ、

人生には、束の間ですが
採算を度外視して、、出費の続く時期が来るものです。

なかでも、、忘れられないのが
結婚してから、、50歳になったころ

次男が東京の大学に進学しました。
次男の住居がむさくるしくならないようにと
一か月に一度、、掃除洗濯、
   備品の買い物を兼ねて上京する機会に恵まれました。

住宅費が高いので、
ローンの終っていた住宅をもう一度ローンを借りたら
返済の実績を評価してくれて、、、
1,5倍の貸し付けをすんなりとしてくれました。
しかも、、、20年ローンと35年ローンですから
サラリーマンの月給でも払い続けることが出来る金額でした。

万一の時の為に、子供が卒業するまでにかかる短期の生保に入って
 授業料は万一の時は保険が物言うように手配して、、

文化吸収の時代に突入したのですから
収入はともかく、、、ローンの力で
子供の大學時代は、、大人も東京の文化を取り入れながら
物では亡くて、、、無形の文化を吸収するのに
  貪欲な時代が、、、私にも到来しました。

人生も後半に入って、東京の私大に息子を出せるのは
共働きして家を買っておいたおかげだと、、
喜んで再びローンを借りました。

計算上では、、
   卒業した息子が、、
      
     残りを分割で返してくれるはずの皮算用でした。

東京まで、舞い戻れたわずかなチャンスは、、
ローンで借りたお金とは言っても

住居費も、入学金も、、、生活費も、、、

  長期の20年で返済すればいいわけですから、、、
  気持がが大きくなるのでした。
東京に着くなり、、
秋葉原の屋上の打ちっぱなしのゴルフをして
ヨドバシカメラで、、最近の電気の発達を知り
淀橋カメラの屋上で、息子と1000円前後の夕食を済ませて
  そのまま銀座に出て
   築地方面に銀ブラしながら
     歌舞伎座の当日券を買って夜の部を観るという

  東京まで来た以上、、、文化の買い物をまずゲットしてから
息子の狭い住居に泊まるわけですから、、、宿代は要りません。
息子というボデイguardもいるわけですから
東京に行くたびに、、、
文化吸収で、、
 遠路はるばる来たという、、時間ロスのリスクは
息子と一緒に、古本屋回りするだけでもプラスになるのでした。

弟が、、そのころ
国立がんセンターの「検査。研究棟」に勤務していたことも有り

検査にも通う事で
北海道に住んでいるという、ことも有り
勉強の意味でも
がんセンターの検査の一覧を全部受けて、
世の中には、、CTや、MRI や  ぺットCTなるものの
検査を受けることで、、、
   いろいろの疾患も見つかり、、

   手術になったことも有り

良いことも、、つらいことも、、、てんこ盛りの50代でした。

東京に行くと、、、気分転換にと
学生時代に歩いた西銀座などには
しばしば行きました。

ブランド品とか、、宝石とか、、普通の女性が買いたいと想う商品は
子供のころから、、、興味が有りませんでした。

母が、戦地で国に御奉公の外科医の父に
万一の時は、これを持って逃げなさいと、、、
わずかの貴金属を買ってもらったらしいのですが
日本が敗戦となると、、、母国に帰るために
船を確保するだけの為
握り飯と交換、、、空席に座らしてもらう為にと
日本に着くまでの間に
   無くなってしまった思い出を聞かされていたので
物には最低限の耐久力が有れば、、普通のものでも消耗品として
ねだんの安いものを選んだ人生でした。
主人が私にくれた結婚指輪は、、、0,012カラットの
三越の屋上のテナントで買った合金のものです。

徹底して,、身に着く技術、教育、文化、、
国家免許、、と、、

戦争になっても、失わないで済むもの、、、
形の無い物で、、
身についたものにお金は使う事と
両親は小学校に上がるまでには、
兄いちゃんのお古を着せてくれたので、、、
私は、、「坊ちゃん!」と
  間違われることが多かったですね。
でも、、ある日、学校に入学すると
時間が取れなくなるからと言って

 疎開先のド田舎から、、

  大阪や、宝塚、、東京の歌舞伎座に

  舞台を観るために、、連れて行ってくれました。

疎開先の山奥に戻った時には
夢でも見ていたのかと、、、頭が、、しばらく、、

ボートしていました。
それから45年が過ぎた時
   銀座に、、道産子の次男を連れて
母が、、私を観劇によって、、啓蒙したことを想いだし
おのぼりさんの、、道産子の息子を
歌舞伎と、、ボンズの出ている国際野球に連れてゆきました。
東京の市谷で生まれ育った父のもとで、
東京の話ばかり聞きながら、
小学校から大学卒業までを東京で過ごした私にとって
北海道の自然は本物だけれど
文化は東京が、進んでいると思っていたことも有り
歌舞伎ぐらいは、、本場の舞台が、、モノ言う事を見せたいと
次男は、、とりわけ、付き合うよ、、という感じでついてきました。

その時に観ただしもので、、

  団十郎さんになる前の彼が
    信長になっていたのですよね!!

  首に西洋かぶれのフリルを付けた信長が

  光秀に、、意地悪の限りをするのです。

   光秀のためらい、、苦しむのをよそに

   無礼な器で,、お酒を飲めと、、
  強要する究極のパワハラの場面です。

先代もその前の代の団十郎さんも
歌舞伎独特の隈取と、顔の目の飛び出すような迫力は
お家芸だと、、思っていましたが

当日券は、華道近くの前列だったことも有り

目の前で、迫力ある、、すご~~~~~い目力で

光秀に「究極のパワハラをする、、歌舞伎独特の+目+!!
すごかったですね、、、眼の演義って、、、

本当に、、、すごいんですよね、、、!!

これぞ歌舞伎!!、、、て、、、!!

目の動きにこちらの頭まで廻ってしまうんですよね!!

  未だに、、目の前で観ているように、、思い出しますよ。

団十郎さんになられて、、ますます、、芸は磨かれてゆくでしょうね。

歌舞伎だけは、、、日本の古来の伝統として、、coronaの時代も
観劇できるように、、、何とか工夫して
日本と言えば、、富士山、芸者さん、、歌舞伎、、、という
浮世絵で、世界妹はしている文化は
コロナの時代に、、、滅んではならない、、

「日本の芸能の中でも、、、国宝級ですよね!」

足さえ動けば、、、78歳になった今でも、、、
歌舞伎は観に行きたいですよ!!

団十郎さんは、歌舞伎の中でも、、、外国の人にも理解できる
独特の、、眼の演技は、、、最高ですよね。

昨日TVを観ていたら、、、懐かしい、、、忘れもしない
  あの目!!、、、
   あの隈取り!
     思わず、、若返っちゃいました。

  息子は道産子で、、歌舞伎に行ったことが無いというので
  主人も学会の帰りに東京に立ち寄ってもらって
   三人で歌舞伎を観に行きました。

  舞台は「勧進帳」でした。
   
  その次は、、確か「浦島」でした。

   そして、、、信長と光秀の、、、あの出し物でした。

   主人は今でも、、、団十郎さんのTVを観乍ら

   あの目!、、あの目!、、、すごい迫力だね、、、!!と
  何十年も過ぎているのに
   昨日見た舞台の様に覚えていて、、、細い目を大きく開けて
   真似をするんですよね、、、

   ああいうのを、、、お家芸というのでしょうかね?

   歌舞伎は、、好きというだけの、、よくいるファンの一人ですが

  本当の歌舞伎が好きになると、、、
   歌舞伎座の弁当も大好きと言いますよね。

   やっぱり、、、coronaで歌舞伎が試練を受けている時期だけに

  どうか、、、coronaあけになるまで

   身体を壊さないで、、、頑張っていてください。

   孫が大学を卒業すると、、また、、自分たちの為に

  一緒に喜んで観劇のひと時を過ごせるためには
   一度は、、道産子の孫にも
    歌舞伎を見せたいと、、、思っています。

   団十郎さん緒襲名をTVで観て、、、
       いつの間にかか
        白髪交じりの、、、大人になられて

         団十郎さんになられたという
           時間が、、あまりにも速く過ぎたのに
             驚きながら、、、

           あの世に旅だつ前に、、もう一度

        歌舞伎座で、、一緒に座席で首が回りそうになりながら

       隈取の、、あの目の、、舞台を,、観たいですね。

    coronaよ,、早く収束して、皆で又、、銀ブラしたいね!

   たわいもない日記帳に
     天下の団十郎さん、、、のお名前を、、、使ってしまったけれど

        やっぱり、、、団十郎さんの、、あの目!!気になるのですよね、、、

     一緒に、、首を振っちゃうんですよね!、、、

  

  


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