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雨山は標高314mで、浪商学園(大阪体育大学)の前の道を行くと、10分ほどで登山道入り口に到達する。
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現在の雨山は「奥山雨山自然公園」として整備され、東方向には永楽ダムがある。ダム湖周辺には桜が1000本以上植えられ、「永楽ダムと桜の道」として「大阪みどり100選」にも選ばれている。
雨山城は南北朝時代の1346年に、南朝方拠点の山城として築城された。
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南北朝時代とはご存知のとおり、1336年、後醍醐天皇が、京都から大和国吉野に逃れた1392年から、後亀山天皇が京都に帰るまで、朝廷が南北に分かれて、互いに争った時代のことである。
雨山城は紀州と泉州を結ぶ粉河街道を、抑える為の交通の要所であったことから、南北朝の動乱期には、和泉地方における南朝方の一大拠点であった。また、この道は、西国三十三箇所第三所の粉河寺や、修験道霊場として、人気の高い犬鳴七宝龍寺への、参拝道として利用されている。
雨山への登山入り口は、阪和自動車道の高架下にある。
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よく整備された登山道である。最初は緩やかに上っていく、頂上までの距離を表す、石の標識が目につく、八町(874m)と刻んである。途中から急斜面になってきた。
30分ほどで馬場跡に到着する。
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馬場跡にはあずまやがあり、ここからの景観も実にすばらしい。
りんくうタウンの高層ホテルや、大阪湾に浮かぶ関西空港などが良く見える。
馬場跡から石の鳥居の道を、通り抜けると頂上はすぐそこだ。
頂上の下には、千畳敷の広い広場があり、周囲には桜の木が植えられ、ベンチも所々に設置されている。
頂上は千畳敷広場の上にあり、周辺の生茂る森林の間から建物が見えてくる。
この建物は無料の休憩所になっておリ、休憩用のテーブルや椅子が置かれている。向かい側には、大きな山桃の古木があり、その左奥に石組の段があって、その上に石柱に囲まれた石祠があった。
闇寵神(くらおかみ)を祭神とした雨山神社跡である。
※この神様は明治41年に、同じ熊取町内の大森神社に合祀合併されている。
この他に、頂上などの本丸周辺には 1346年に、この城を築いたとされる楠木一族の橋本正高(この城は日根野盛冶によって築かれた説もある)や、雨山城の説明板、月見の亭、射場、そして、今でも満々と水を湛える井戸などがあって、往時を偲ばせている。
休憩所の北側には、和泉山脈を初め、大阪湾や関西空港・淡路島などが眼下に一望できる。いつまでたってもあきない景観である。
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雨山城跡がある雨山(標高=314m・奥山雨山自然公園)
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雨山(雨山城跡)登山道入口 頂上まで八町の標識
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馬場跡のあづまやからの景観・関西空港や大阪湾が望める
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山頂近くの鳥居
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掘り切りされて作られた千畳敷跡
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頂上にある雨山神社跡
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雨山頂上にある市民憩いの休憩所
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頂上から関西空港・大阪湾・大阪体育大学を望む
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頂上から関西空港・阪和自動車道を望む
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頂上にある井戸 今でも満々と水を湛える
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眼望がすばらしくロマンスを感じさせる月見亭
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雨山頂上からの登山道でここを過ぎると美しい展望が続く
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月見亭から見る南側犬鳴山方面の展望
雨山城跡の見学を終えた私達は、登ってきたコースとは違って、東側の尾根伝いに歩き、永楽池に出るコースを選んだ。
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頂上からは、今でも満々と湛える井戸を見学して、月見の亭に出る。
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月見の亭からは、大阪湾とは逆方向の展望で、街並みを走る粉河街道や、蛇行しながら流れる川、和泉山脈の山々などの景観を楽しむことが出来た。
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尾根伝いの登山道をさらに進む、眼下の景観や、和泉山脈などの美しい景観を楽しめるルートである。
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ほどなくして登山道も東向きから北向きに変わる。大きな鉄塔が東方向に見えてくる。登山道も北向きから東向き方向に変わった。
眼下には永楽ダム湖と熊取町南部や貝塚方面の街並みが見え、さらに遠くに大阪湾の景観が見えてくる。
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永楽ダム湖の景観ではここからが一番美しく見える。ダム湖から東方向にそびえ立つ山頂には展望台が見え、独特のコントラストをかもし出している。
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ここを訪れる登山者のみに与えられた、この景観は、私の脳裏にしっかりと焼きついていくように感じた。
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さらに登山道を進むと程なくして永楽池に到着した。
永楽池からは車道を2kmで永楽ダム湖の側ににある公園に到着し家路についた。
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永楽ダム湖と右側西展望台 熊取南部や大阪湾の展望がすばらしい
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住民の総力をあげて造られた永楽池
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泉州地方は昔から雨が少なく、大きな河川もないことから、農業を行なう上で、「ため池」 はなくてはならないものでした。
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その大部分は江戸時代に造成されたもので、熊取町には、約130個のため池が残っています。
この永楽池は、明和8年(1771年)に工事が始まり、翌年には完成しています。
高田(こうだ)奥の谷に流れてくる川を、堤防で堰き止め、池としたもので、地元の有力庄屋(降井家、中家)や熊取周辺の人々が総力をあげて行ないました。
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工事の指導は、広島出身の儒学者斎静斎(いっきせいさい)により行なわれました。
静斎は水の利用について、上流・下流・小百姓まで不公平がないように四か条を定めました。
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①水の流れを妨げてはならない。
②人の水まで奪って自分の田地に引き入れてはいけない。
③村役人はえこひいきしてはならない
④村役人も百性も皆自分よりも他の人を優先するように心掛けなければならない。
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