
寒そうですね!!
市長との年始の挨拶では、今年は改新の年とした改新について話に花が咲きました。内容は「市役所管理職会議講話」を参照してください。
「改新」というのは、古いものを取り除いて、改めて新しくつくり直すという意味があります。しかし、「かいしん」にはこんな字もありました。
改心 (反省して悪い心を改める)
会心 (思い道理になり満足すること)
戒心 (油断しないように用心すること)
1昨年、昨年の長期病欠問題や中抜け問題やその他のさまざまな事件・事故の連続で奈良市は大きく信用を失いましたが、今年は汚名挽回の年にしたいと言う意気込みが伺えました。
市長が就任以来の「管理職会議講話」を振り返って見ても講話の内容が外向き(2006年9月から2007年6月まで)から内向き(2007年7月以降)に変遷してきている事が伺えます。
(2009年)
・「改新の年」(2009年1月の標語)
( 2008年)
• 「身近な業務を見直してみよう」(2007年12月の標語)
• 「市民の目線で まず同じ土俵に」(11月の標語)
• 「奈良は和のまほろば」(10月の標語)
• 「災害に備えよう」(9月の標語)
• 「身近なところに気配りを」(7月の標語)
• 「活きる(いきる)」(6月の標語)
• 『市政への「市民の参画と協働」』(5月の標語)
• 「改めて「公益・公金・公僕」(4月の標語)
• 「奈良ならではの都市づくり」(3月の標語)
• 「住みつづけたいと実感できるまちづくり」(2月の標語)
• 「仕事納め式 」 ( 2007年 1月 18日 )
( 2007年 )
• 「信頼回復」(12月の標語)
• 「不正は許さない!」(11月の標語)
• 「健全経営のスリムな市役所を目指して」(10月の標語)
• 「服務規律等強化月間」(9月の標語)
• 「 動く 」(8月の標語)
• 「公(おおやけ)の心」(7月の標語)
• 「1300年、誇り高き歴史都市・なら」(6月の標語)
• 「もてなしのデザイン」 (5月の標語)
• 「市民の目線で 創意と気概をもって」 (4月の標語)
( 2006年 )
• 「仕事納め式」(12月28日)
• 「市民の皆様はお客様」(12月の標語)
• 「市民と協働する行政」(11月の標語)
• 「近隣社会・コミュニティの再生」(10月の標語)
• 「福祉の心を大切に『ユニバーサルデザイン』」(9月の標語)
「改新の年」(2009年1月の標語)では、「具体的な方針をつくり、古く淀んでいた埃を取り除いて、市政運営の基盤をしっかりと整え、改めて新しい年を迎えたいと思います。」と話されています。
また、「職員が一丸になりながら、まさに古いものを取り除いて、新しくつくりかえる奈良の改新の年のスタートを切りたいと思っています。」とされています。
そして、「奈良市は、国際文化観光都市を標榜し続けていますが、(中略)多くの観光客を迎えて快適に観光していただくことが、市民の方々にも快適な環境で暮らすことに結びつくわけですから、文化観光の集客都市として、どのような都市の姿になるのかを具体的に提起し、それを実現するための施策を展開していかなければいけないと思っています。
私はこのブルーの箇所には賛同しかねます。別な箇所では、<職員の皆さんには、今年が多くの方々を迎える奈良の都市の姿をつくっていくスタートの年だと認識していただき> と表現をされています。
確かに、<もう一つは、求められる市民の生活像を具体的にわかりやすく提起していくことだと思います。> と市民の生活像の重要性も述べておられますが、私は、市民の満足度をいかに増大させるのかを考える事が最重要だと思います。
観光振興は、奈良市に取っては重要な事だとは思いますが、これは経済政策ではないかと思います。大企業がなくこれと言った産業がなく、商業中心で、出稼ぎ勤労者によって成り立っている奈良市としては、勤労者、生活者のための快適な環境や都市像を創り出す事ではないのかと思います。
決して観光客のための快適なまちづくりが最重要だとは考えません。奈良市民が、生活に満足してこそ観光客を暖かく迎え入れられるのではないでしょうか。
国においては、 昨年の12月19日の太田代表との懇談会で、福田首相は、耐震強度や食品表示の偽装問題などに触れながら、日本の政治・行政はこれまで、どちらかといえば、生産者重視の色合いが強かった」と指摘。
結果、2008年度の政府予算案が24日、閣議決定されました。その中で、地方や中小企業の活性化に重点を置き、国民の暮らしの安全・安心にきめ細かく配慮したのが特徴であり、昨年の補正予算を見ても負担増・格差の緩和など国民生活重視の方向への政策の断行が行われています。
奈良市はいかに? !!
市長との年始の挨拶では、今年は改新の年とした改新について話に花が咲きました。内容は「市役所管理職会議講話」を参照してください。
「改新」というのは、古いものを取り除いて、改めて新しくつくり直すという意味があります。しかし、「かいしん」にはこんな字もありました。
改心 (反省して悪い心を改める)
会心 (思い道理になり満足すること)
戒心 (油断しないように用心すること)
1昨年、昨年の長期病欠問題や中抜け問題やその他のさまざまな事件・事故の連続で奈良市は大きく信用を失いましたが、今年は汚名挽回の年にしたいと言う意気込みが伺えました。
市長が就任以来の「管理職会議講話」を振り返って見ても講話の内容が外向き(2006年9月から2007年6月まで)から内向き(2007年7月以降)に変遷してきている事が伺えます。
(2009年)
・「改新の年」(2009年1月の標語)
( 2008年)
• 「身近な業務を見直してみよう」(2007年12月の標語)
• 「市民の目線で まず同じ土俵に」(11月の標語)
• 「奈良は和のまほろば」(10月の標語)
• 「災害に備えよう」(9月の標語)
• 「身近なところに気配りを」(7月の標語)
• 「活きる(いきる)」(6月の標語)
• 『市政への「市民の参画と協働」』(5月の標語)
• 「改めて「公益・公金・公僕」(4月の標語)
• 「奈良ならではの都市づくり」(3月の標語)
• 「住みつづけたいと実感できるまちづくり」(2月の標語)
• 「仕事納め式 」 ( 2007年 1月 18日 )
( 2007年 )
• 「信頼回復」(12月の標語)
• 「不正は許さない!」(11月の標語)
• 「健全経営のスリムな市役所を目指して」(10月の標語)
• 「服務規律等強化月間」(9月の標語)
• 「 動く 」(8月の標語)
• 「公(おおやけ)の心」(7月の標語)
• 「1300年、誇り高き歴史都市・なら」(6月の標語)
• 「もてなしのデザイン」 (5月の標語)
• 「市民の目線で 創意と気概をもって」 (4月の標語)
( 2006年 )
• 「仕事納め式」(12月28日)
• 「市民の皆様はお客様」(12月の標語)
• 「市民と協働する行政」(11月の標語)
• 「近隣社会・コミュニティの再生」(10月の標語)
• 「福祉の心を大切に『ユニバーサルデザイン』」(9月の標語)
「改新の年」(2009年1月の標語)では、「具体的な方針をつくり、古く淀んでいた埃を取り除いて、市政運営の基盤をしっかりと整え、改めて新しい年を迎えたいと思います。」と話されています。
また、「職員が一丸になりながら、まさに古いものを取り除いて、新しくつくりかえる奈良の改新の年のスタートを切りたいと思っています。」とされています。
そして、「奈良市は、国際文化観光都市を標榜し続けていますが、(中略)多くの観光客を迎えて快適に観光していただくことが、市民の方々にも快適な環境で暮らすことに結びつくわけですから、文化観光の集客都市として、どのような都市の姿になるのかを具体的に提起し、それを実現するための施策を展開していかなければいけないと思っています。
私はこのブルーの箇所には賛同しかねます。別な箇所では、<職員の皆さんには、今年が多くの方々を迎える奈良の都市の姿をつくっていくスタートの年だと認識していただき> と表現をされています。
確かに、<もう一つは、求められる市民の生活像を具体的にわかりやすく提起していくことだと思います。> と市民の生活像の重要性も述べておられますが、私は、市民の満足度をいかに増大させるのかを考える事が最重要だと思います。
観光振興は、奈良市に取っては重要な事だとは思いますが、これは経済政策ではないかと思います。大企業がなくこれと言った産業がなく、商業中心で、出稼ぎ勤労者によって成り立っている奈良市としては、勤労者、生活者のための快適な環境や都市像を創り出す事ではないのかと思います。
決して観光客のための快適なまちづくりが最重要だとは考えません。奈良市民が、生活に満足してこそ観光客を暖かく迎え入れられるのではないでしょうか。
国においては、 昨年の12月19日の太田代表との懇談会で、福田首相は、耐震強度や食品表示の偽装問題などに触れながら、日本の政治・行政はこれまで、どちらかといえば、生産者重視の色合いが強かった」と指摘。
結果、2008年度の政府予算案が24日、閣議決定されました。その中で、地方や中小企業の活性化に重点を置き、国民の暮らしの安全・安心にきめ細かく配慮したのが特徴であり、昨年の補正予算を見ても負担増・格差の緩和など国民生活重視の方向への政策の断行が行われています。
奈良市はいかに? !!
奈良市西部地域や、東部山間地域に暮らしている方たちの生活の向上のためにも税収を増やさねばなりません。それがひいては奈良市民の生活向上になるからです。
なにも直接的な利便性を目指すのだけが行政ではありません。税収を増やすというのは、自ら収益を上げることをしない行政にとって、唯一できる住民生活還元
になるからです。
いみじくもおっしゃった「出稼ぎ住民の」市民税だけに頼るのでは、将来の税収は右肩下がりになるのは必定であって、自前で儲ける術をもたねばなりません。
幸いに奈良市は江戸時代より観光で食ってきました。
それほど観光に対する依存度は高いと考えます。
今年が「改新の年」なら新しいことをかんがえねば
福田首相は年末に中国で「温故知新」をもじって
「温故創新」と書きました。意味はいっしょです。
古きを掘り返して新しきを創り上げるのが肝要です。
「きたまち」を我々が取り上げ続けてきたのは、まさにここです。このブログ読者のみなさんのご意見を
お聞かせください。
旅の恥はかき捨て、とばかりに、平気でゴミを捨てていく、軒先から覗き込む、玄関前へ駐車する、一部の旅行会社では、寺院の出した特別入堂券を有料で売りさばき利益にする、自分達のツアー客の為、他の参拝者を押しのけて場所取りをする、等々の所作が所構わず散見されます。
こんな事をするから「観光関係業の為に、何故関係の無い市民生活までが犠牲になるのか!?観光客は来て欲しくない!」と云う意見が出てくるのです。
「きたまち」の人々の目指したのって、こんな事では無いでしょう?本来、「きたまち」の面々が行ったことは「きたまち」の人々が自分達の街に誇りを持とう、と云うコンセプトで有った気がします。それで、この「きたまち」が、どんな所で、どんな由来が有って、どんな事をしていたか、を、研究され、現在に至っている、と、自分は勝手に理解しております。「多聞山城復興」を目標にして、その中で「竹送り」や「幻灯会」が出てきたのでは無いでしょうか。
その底辺は、「きたまち」が、住み良い場所に成る、と云う事で、決して観光客を意識した事では無い、と思います。根底は、「まちづくり」で、他者に誇れる街に成っていく事が、人口も増えて、ひいては観光客も増えて、定住者と観光客とが融合でき、初めて「おもてなし」が出来るのではないか、と考えます。
「きたまち」の部外者が、差し出がましい事を申し上げて、本当に申し訳ございません。しかし、これは「きたまち」に限らず、奈良市全てに於いて言える事と信じます。
きちんとした「街作り」を行い、他者に誇れる住み良い街、に成って初めて、観光客に来て頂ける環境が出来て、ひいては奈良市民が、自然と「おもてなし」の出来る環境になっていく、と考えます。この事は、時間も手間もかかります。しかし、これが純粋に観光政策に結び付いていき、世界に誇れる観光都市、としての定義で有る、と考えますが、如何でしょうか?
kin2さん今年もどうぞよろしくおねがいいたします。
自分たちのやってきたことを正確にご理解いただいていることに感謝いたします。
その上で私見ですが、卵と鶏でやはり、観光客がふえるほうが先だろうと思うのです。
ならまちも観光客が増えたのでいろんな店も増えました。観光客のマナーやマイナス要因はいろいろあるでしょうが、きたまちなりの観光を模索すべきだと思うのです。
ここで商売が成り立たないと、人口の定着はありません。ここでどうやれば商売が成り立つのかを考えたとき、域内の住民の購買力以上のお金を落としてもらわないといけません。それはこの地域を散策してみたいという域外のお客様を誘客する以外にないので、
それは観光ということになるんだろうと思っているのですが。
お二人のご意見はそれぞれ正しいと思います。
観光イコール自然や遺産や文化を資源とする経済活動
観光イコール経済の活性化
住民福祉イコール経済活動
住民福祉が充実するためには、経済の活性化が必要です。しかし経済活動の活性化は、観光関連業界の活性化だけで良いのか?
観光事業の活性化が奈良市に取っては大きな要素である事には違いがないと思いますが、反面行政コストも増加します。
民間企業活性化への取り組みと、企業家のメンタル面での変革、(改新?)挑戦、を望みたいですね!
そのためには市民と行政が明確な方向性を示す事が重要だと考えます。この協議が出来ないのが一番問題なのではないでしょうか!
松永氏の指摘もこの辺だと思います。また常に金田氏が指摘されるのもこの壁の厚さではないでしょうか!!
この壁にみんなで体当たりをしましょう。どちらかが壊れるまで!!!
観光客が増えて経済効果が現れた・・・素晴らしい事です。しかし自分は、殿に打ち首獄門覚悟で、非常に失礼千万な事を申し上げます。
松永久秀殿は観光客を増やす、と申されて居られますが、目的は観光客を増やす、と云う事「だけ」では無かった、と考える訳です。
どうもならん街から、どうしたら良い街に成るかを考え、街の成り立ちを研究し、街のポテンシャルを磨き上げ、・・・と云う手段を地道に行われたのでは無いですか?私が「きたまち」が素晴らしい、と思ったのは、この事が見えたからです。何処からも補助金を貰わず、自分達で行ってこられました。このやり方は、遅々として進まない様に見えますが、絶対に潰れません。しかし、補助金を当てにした「公共工事的街作り」は、進むのは早いですが、補助が無くなれば、あっと言う間に潰れます。これは「街作り」の顔をしている「公共工事」で「街作り」では有りません。
自分は、松永久秀殿以下のメンバーが努力されたから、「きたまち」が、良い街に変貌した、と云う事の延長線上が、観光客で有り、定住人口の増加で有り、また「購買力増加」で有って、その結果が目に見える形で顕れたので、観光客が増え、購買力が増加し、店も増えた、と考えるのが自然だ、と考えます。決して「観光客誘致」をしたから、と云う理由では無い様な気がするのですが・・・
観光客と云うのは、非常に水物で、面白い所、変わった所、等々を見せると、すぐに現れますが長続きしません。博覧会等々が、それの代表格です。しかし、店が出来てきた、と云うのは、決して水物の観光客を相手では、持続性が無く出来ない事です。この事は、持続可能な観光資源と成った事を意味しています。これは「きたまち」が「良い所」と成った証拠ではないですか?だからこそ観光客が押し寄せて来ている、と考えますが、松永久秀殿、如何お考えでしょう。
「打ち首・獄門!」と言われるかな?
地域に暮らす人たちが暮らしやすい町だ。誇りの持てる町だ。というふうになって行くのを目標にしています。
でも、仲間は商店主が大半で、この町ではすでに商売が成り立たなくなっており、商売が成り立たなければ
住み続けられなくなる訳で、ここが卵と鶏になるのです。
仲間のみんなとスタンスを合わせようと思っています。多聞山城450周年にはこだわらずに、460周年でも470周年でも水かさが増してくるのをじっくりと待ちながら、まちづくりを進めて生きたいと思っています。
だからこそ観光客が押し寄せて来ている
となるように、今年も足元を固めながら一歩前へ出ます。竹送りのイベントがもうすぐです。今年もにぎやかだと思います。転害門横の施設も今年は無理ですが
有効活用できるように、進めていきます。
ご意見をお聞かせください。
「打ち首・獄門!」はこんなに一生懸命かかわっている市民を応援しない、する気がない役所の役人共が受けてもらわなくてはなりません。
kin2さんのご厚情には褒美を差し上げねばならないのですが、もう少し手元が楽になるまでお待ちください。悪いようにはせぬ。武士に二言はありません。