生駒の例ではないですが、なぜか議長になりたい人が多くて困ります。私が議員になってから何度戦いが行われたでしょうか?昔は議長と言えば名誉職のようなもので、一定の期を重ねると(議員年数が増えると)皆から推薦をされたようです。
また反対にどうしてもなりたい人がお金を配って議長になったとかの話を昔聞いた事がありました。しかし最近は聞かなくなりました。
平成7年4月に選挙を終えて6月議会に何も分からず参加した時の事を今でも覚えています。議会の招集があって、議場に登るなり、「休会」と議長が言ってそれから夕方まで何もする事がないまま部屋でソフャーに座っていた事を思いだします。
ある時はもめて夜中まで待機する事がありました。そうそう!!思い出しましたが、私の父親が亡くなったとき、ちょうど6月議会の最中で、議長選挙が行われる日が、葬儀の日。「斎場に行ったあと議会に戻ってください。」と言われ何も分からず議場に戻ると議長選挙が行われ、議長を選出した事を思い出しました。
民主主義は数が重要です。1票の差でも負けは負けです。ある時などは、どちらの陣営も数読みをして自分の所が勝つと読んでいたのですが、ふたを開けると同数で、ジャンケンで議長が決まった事もありました。
今回もでたくて仕方のない人がいます。選挙の候補者ではないですが「でたい人より出したい人」が求められます。
本来議長は、理事者側と議会議員を代表して交渉をする事が大切だと思いますが、最近は、各会派の意見も聞かず理事者側と交渉をする人が多くなりました。
議会は、権力のチェック機関として、市長や理事者の行為を市民の目線で監視する事が重要な任務です。市民の税金を市民のためにどのように活用していくのかをしっかりとチェックをしていく役目です。
しかし、議会の代表という事で理事者との駆け引きの道具に議長という役職を使う、また自分の利益誘導のためにその地位を使う人もいます。その典型が、生駒市の例かも知れません。
地方分権が進み、地方が主権を持って行政を行っていかなければならない時代になって、議会も政策立案能力を身につけ条例や議案の提案を行っていかなければならなくなっています。
今は議長職は決して名誉職ではなく、議会議員の調整役として、議員の意見をまとめ、理事者側と市民の目線で交渉をしていく、また、理事者と協力をしながら奈良市政がうまく機能していくように調整していく事が重要だと思います。
6月4日から6月議会が始まります。今年はどのような議長選になる事やら???
また反対にどうしてもなりたい人がお金を配って議長になったとかの話を昔聞いた事がありました。しかし最近は聞かなくなりました。
平成7年4月に選挙を終えて6月議会に何も分からず参加した時の事を今でも覚えています。議会の招集があって、議場に登るなり、「休会」と議長が言ってそれから夕方まで何もする事がないまま部屋でソフャーに座っていた事を思いだします。
ある時はもめて夜中まで待機する事がありました。そうそう!!思い出しましたが、私の父親が亡くなったとき、ちょうど6月議会の最中で、議長選挙が行われる日が、葬儀の日。「斎場に行ったあと議会に戻ってください。」と言われ何も分からず議場に戻ると議長選挙が行われ、議長を選出した事を思い出しました。
民主主義は数が重要です。1票の差でも負けは負けです。ある時などは、どちらの陣営も数読みをして自分の所が勝つと読んでいたのですが、ふたを開けると同数で、ジャンケンで議長が決まった事もありました。
今回もでたくて仕方のない人がいます。選挙の候補者ではないですが「でたい人より出したい人」が求められます。
本来議長は、理事者側と議会議員を代表して交渉をする事が大切だと思いますが、最近は、各会派の意見も聞かず理事者側と交渉をする人が多くなりました。
議会は、権力のチェック機関として、市長や理事者の行為を市民の目線で監視する事が重要な任務です。市民の税金を市民のためにどのように活用していくのかをしっかりとチェックをしていく役目です。
しかし、議会の代表という事で理事者との駆け引きの道具に議長という役職を使う、また自分の利益誘導のためにその地位を使う人もいます。その典型が、生駒市の例かも知れません。
地方分権が進み、地方が主権を持って行政を行っていかなければならない時代になって、議会も政策立案能力を身につけ条例や議案の提案を行っていかなければならなくなっています。
今は議長職は決して名誉職ではなく、議会議員の調整役として、議員の意見をまとめ、理事者側と市民の目線で交渉をしていく、また、理事者と協力をしながら奈良市政がうまく機能していくように調整していく事が重要だと思います。
6月4日から6月議会が始まります。今年はどのような議長選になる事やら???
しかし、此処で一寸考えると、本来議員さんに我々が託しているのは、基本的に政策で、顔や握手の回数、家柄では有りません。そうなれば「議長」とやらも、その人個人個人の政策論争が有って、一番納得出来た方を「議長職」と成る【はず】で有ります。が、そうは成りません。此は、その決定段階の中に、前述した、政策内容よりも、言い出した人間の顔が有る、からでは無いでしょうか。どんなに良い政策でも、言い出した人間が立場も利権も持っていないと、聞く耳を持たない、と云う風潮が有る限り、この事態は続く、と考えます。当旅館組合も、現支部長が今回限りで退任し、次々期の部長予定者は、全然人望が有りません。「人望が無くて何故成れるんだ?」との疑問も起こりますが、此が順送り人事の怖い所で、此が起こります。また、次の人も先にやるとやりにくいので逃げ腰です。
この事は、むしろ「日本人の日本人による日本人の為の」DNAに入り込んで居る事で有る、と感じますが如何ですか。
しかし、この事を肯定している訳では有りません。何とかしないと、いけない事です。
粘り強くいきましょう。皆のために!!