奈良街道の押上町から今在家町までの歩道に、写真のように商店街からのぼりを立てていただきました。やっと、「奈良街道まちづくり研究会」の活動も地元に定着をしてきたのかなと思います。若草中学校がもと、多門城跡地ということで、まちづくりのシンボルとするために、佐保川清掃活動や、子供たちを対象に「地蔵絵画展」を開催したり、若草中学校の階段を使って「幻灯会」を開催したり、多門城の城主「松永弾上久秀」の講演会を開催したりしながら、あっという間に8年目を迎えています。
佐保川清掃は、連合自治会としても取り組んでいただけるようになりました。「幻灯会」では、商振会からも寄付をいただくようになり、若草中学校を始め、地元婦人会の人たちも応援をしていただけるようになりましたし、若草公民館の職員の方や、女子大学の先生や生徒さんの協力も得られるようになりました。また、奈良デザイン協会の方や奈良町の方もお力を貸していたでけるようになりました。
「奈良街道まちづくり研究会」の活動も「金野さん、夜に三笠山に登って下を見ると、三条通りから南は光があるのですが、北側は真っ暗なんです。お店はなくなるし、子供たちが住み続けられるか心配なんです。何とかなりませんかね!!」と相談を受け、5~6人から始めたまちづくりも、地域の人や、多くの協力者を得ることができる所まできました。
2010年は、多門城ができてより450年目を迎えます。これを目指して、あともう一息です。
11日実施の「竹送り」は、お水取りのお松明の竹を京田辺市の「お松明講」が二月堂へ献納をする行事を(昔は、京都に人が奈良阪の所まで運んで、そこからは奈良阪衆が二月堂まで運び入れた)復活させ、年々観客も増えてにぎわいを取り戻してきました。
また、今年は、京田辺市の竹を切り出す所まで見学にいきたいという人が最大になり、奈良阪から竹を担ぎたいという申し出も増えています。当初、お松明講の人たちを途中で一服していただくために接待をしようということで、早朝からお餅を焼いておぜんざいの振る舞いをしたのですが、最近は、観客の方が多くて数が用意できないくらいになっています。
昨年も、「お松明講の人たちが先ですので、しばらくお待ちください。」と、何度も大声でお願いをしたほどです。
奈良街道に「竹送り」ののぼりが立ち当日が楽しみになってきました。当日の晴天を祈るばかりです。
平成17年のスナップです。
ねまわしの語源は、竹の根をまわす
「広がらないで早くわたってください」
相和太鼓さんも友情出演
いざ!!二月堂へ
佐保川清掃は、連合自治会としても取り組んでいただけるようになりました。「幻灯会」では、商振会からも寄付をいただくようになり、若草中学校を始め、地元婦人会の人たちも応援をしていただけるようになりましたし、若草公民館の職員の方や、女子大学の先生や生徒さんの協力も得られるようになりました。また、奈良デザイン協会の方や奈良町の方もお力を貸していたでけるようになりました。
「奈良街道まちづくり研究会」の活動も「金野さん、夜に三笠山に登って下を見ると、三条通りから南は光があるのですが、北側は真っ暗なんです。お店はなくなるし、子供たちが住み続けられるか心配なんです。何とかなりませんかね!!」と相談を受け、5~6人から始めたまちづくりも、地域の人や、多くの協力者を得ることができる所まできました。
2010年は、多門城ができてより450年目を迎えます。これを目指して、あともう一息です。
11日実施の「竹送り」は、お水取りのお松明の竹を京田辺市の「お松明講」が二月堂へ献納をする行事を(昔は、京都に人が奈良阪の所まで運んで、そこからは奈良阪衆が二月堂まで運び入れた)復活させ、年々観客も増えてにぎわいを取り戻してきました。
また、今年は、京田辺市の竹を切り出す所まで見学にいきたいという人が最大になり、奈良阪から竹を担ぎたいという申し出も増えています。当初、お松明講の人たちを途中で一服していただくために接待をしようということで、早朝からお餅を焼いておぜんざいの振る舞いをしたのですが、最近は、観客の方が多くて数が用意できないくらいになっています。
昨年も、「お松明講の人たちが先ですので、しばらくお待ちください。」と、何度も大声でお願いをしたほどです。
奈良街道に「竹送り」ののぼりが立ち当日が楽しみになってきました。当日の晴天を祈るばかりです。
平成17年のスナップです。
ねまわしの語源は、竹の根をまわす
「広がらないで早くわたってください」
相和太鼓さんも友情出演
いざ!!二月堂へ