奈良市自主防災防犯協議会で、和歌山県有田郡広川町の濱口梧陵記念館、津波防災教育センターにメンバ−30数名で視察見学に行った。
黒潮市場で昼食をしてセンターに向かったが、視察前ということで昼食にビールも出ないとクレームもあったり、奈良には津波が来ないのだから意味がない等々様々な意見があった。
しかし、濱口梧陵記念館で濱口梧陵の人物像を知るにつれてすごい人だと感心をしたり、津波防災教育センターのパネル展示や映像を見てその不満も消えたようだった。
その後、「語り部」のガイドで、濱口梧陵が被害にあった住民の安全を守るためや、すべての財産を亡くした人のために防波堤の築造の仕事を作り日給を与えた防波堤の上で説明を受けた。
しかし、語り部の人の説明を聞いたが、海からの風が冷たくみんな早く終わって欲しいとはいえず、震えながらバスに戻った。
安政元年(1854年)梧陵が広村に帰郷していた時、突如大地震が発生し、紀伊半島一帯を大津波が襲いました。
「梧陵は、稲むら(稲束を積み重ねたもの)に火を放ち、この火を目印に村人を誘導して、安全な場所に避難させました。」という話は知っていたが、「津波により村には大きな爪あとが残り、この変わり果てた光景を目にした梧陵は、故郷の復興のために身を粉にして働き、被災者用の小屋の建設、農機具・漁業道具等の提供をはじめ、各方面において復旧作業にあたりました。」 という話や
「梧陵さんは考えました。「このままでは村がほろびてしまう。広村で生きていける方法はないものだろうか…。よし、浜に堤防を築こう。村人に働いてもらってお金を払い、生活に役立ててもらおう。そうすればきっと、生きる希望もわいてくるはずだ。」
(青字は 濱口梧陵記念館HPより)
と復旧活動や堤防を気づき生活費を与える復興活動を私財をなげうって(家業のヤマサ醤油の財産)村人の生活と未来の不安を解消しようとしたことは知らなかった。
NHK大河ドラマ「花燃え」やNHKの朝ドラ「朝が来た」に描かれている幕末から明治時代の時代の大きな変革の時代に生きた人たちが、吉田松陰の「あなたの志はなんですか?」と人々に問いかけた言葉が忘れられないが、命がけで「西欧列強に負けるな」「西欧列強に追いつけ追い越せ」とあの時代創った人たちが自分の命や財産を投げ打っても、視野を世界において日本を・市民を守ろうとした生き方には大きく心を動かされたが、「 濱口梧陵」という人物も幕末から明治初期を二本差しをささず、村のため、村人のために生きた話には本当に感動をした。
あなたの志はなんですか?
強烈なメッセージをもらったが、災害の少ない奈良で「災害に強い」体制を作るために頑張ろう。
しかし、 NHK大河ドラマ「花燃え」やNHKの朝ドラ「朝が来た」も主人公は女性だ。一億総活躍時代
のためか?