金さんの「あっちこっち」Hot Line

大好きな奈良を走る金さんの東奔西走の日常活動録。家庭菜園や地域活動や、学校支援に走ります。

子どもの安全 NO211

2006年11月23日 | 過去の記事
今日は午前中に、「佐保川を美しくする会』の清掃活動や、「ええことネット』の人たちが大阪からやってきて、山村町のケナフ畑で収穫祭をされていて本来参加の予定でしたが、参加をすることが出来ませんでした。しかし今日は心理的に平穏な1日となりました。

NO206に子どもの安全に関するコメントをいただきました。今日はそのことを少し書きたいと思います。
「子どもたちが社会を作るのではなく大人が社会を作っているのではないでしょうか。とすれば、先生方やいじめる子どもたちに責任があるのではなく大人に責任があるのではないでしょうか。」と書きました。

私は団塊の世代のまっただ中の48年生まれですが、団塊の世代は、戦争を知らない世代であり、ベトナム戦争を前にして、「平和の問題』を真剣に考えた世代です。70年代「戦争を知らない子どもたち』というフォークソングが、私をとらえましたが、全共闘運動が従来の社会の価値観を大きく変えました。団塊の世代はまさに封建制度を打ち砕くエネルギーを持っていました。従来の価値観を否定する所から出発をしました。その後、学校では、校内暴力が盛んになりました。その後校内暴力が陰湿ないじめになっていきました。その間対象年齢もどんどん低下をしていき、今では、小学生の中でいじめや中学生の自殺など考えられないことが発生してきました。

団塊の世代は社会の価値観を否定し、破壊してきました。その間、高度経済成長が私たちの身の回りに物質的豊かさをもたらしました。団塊ジュニアと言われる子どもたちはその豊かな世界と、社会を批判した親たちの中で育ってきました。義務を尊重するよりも、権利を主張する社会風潮の中で成長をしました。

その団塊ジュニアが親になった時代は、バブルの最盛期で、何でも出来た時代で、海外旅行も360円時代とは比べられないほど世界が近くなり、(渡航者が年間1千万人)外国文化が流入をした時代で、何でも手に入る時代になりました。しかしこの間、親子関係や社会に新しい価値観が生まれず、むしろ個人主義や、権利主義が、グローバル社会に対応するために発達をしてきました。

そうした価値観を持った、団塊ジュニアが、90年代に入って、バブルが崩壊する中で、高度情報通信社会が進歩し、インターネットの時代がやってきました。アナログ人間にはデジタルな世界は拒否反応を示すしかありませんでしたが、ゲーム機の世界が子どもたちをデジタル社会・バーチャルな世界へと誘導をしていきました。反面、大人たちはデジタル世界への対応が遅れ、団塊の世代と団塊ジュニア世代とそしてその子どもの3世代では、大きく価値観の違いが明確になってきました。

親たちの企業戦士世代から、個を重視する、また権利を主張する親たちの世代に、そしてその親に育てられたデジタルな子どもたち。時代の変化とともに物質的にも、精神的にも変化変化の時代の中で、団塊の世代が破壊した価値観に取って代わった価値観がそれぞれの分野で育ち発展せぬままに今日を迎えたのではないでしょうか。

親子関係、近隣関係、先生と生徒の関係、学校と家庭の関係、企業と労働者の関係等々の中で失われたものを復活させることが大切ではないかと思います。
 社会という織物が成り立っていくためには、タテ糸がしっかりしていてヨコ糸が動いて柄を作る。
良い柄の織物を作るためにはタテ糸が表には出ないがしっかりとしていることが大切です。

そこで、タテ糸とは、トラディショナル(伝統)だと思います、時代が変わっても貫かれているもの。そして、ヨコ糸とは、トレンディー(流行) 時代とともに変わるもの。グローバル社会の出現と高度通信情報社会の出現で、さまざまな空間軸や時間軸の中でトレンディーな要素が増加しました。そうした中で、トラディショナルなものがどんどんなくなっていきました。

今大切なことは、このトラディショナル、伝統をもう一度みんながしっかりと見直し、叫んで、再構築をしていかなければいけないのではないかと思います。古い封建主義を目指すことを言っているのではなく、本来の民主主義を育てていくことだと思います。

伝統を知ってる大人は、流行には疎い。流行を知っている若者は伝統を知らない。大人はしっかりと時代の流行を受け入れ、その中で伝統を活かす工夫が必要だし。若者は、流行の中の本質を伝統の中に見つける。温故知新を知らなければいけないと思います。(温故知新という言葉がわからない人が多いでしょうね?)

テクノロジーの世界はどんどん発展し、変化変化の世界です。しかし人間の世界は本来、本質的に変化は無いと思います。
人間の世界がトラディショナル、技術の世界が、トレンディーとも言えるかもしれません。

「六窓一猿」という言葉があります。少し、たとえ話としては適切ではないかもしれませんが紹介します。

 猿を6つの窓のある部屋に入れておき、ひとつの窓の外側に、バナナ(餌)を置いておくと、猿は、バナナの見える窓を見て次から次へと違う窓を探しまわるという話です。
猿が人間 窓がテクノロジー(流行) バナナが幸せ!!   ちょっと喩えが違うかもしれませんが、言いたいことは、流行やテクノロジーの進歩に振り回されない人間が大切であり、テクノロジーを受け入れ活用していく人間が重要であり、本質を求め、見抜いていく人間が作ることが大切ではないかと思います。

そこで教育というのが重要になってきます。学校の先生方が社会の変化に対応しつつ変化に振り回されない本質を求めることの大切さを子どもたちに教えていくことが大切ではないかと思います。

 親はしっかりと子どもたちに人間としてのあり方や社会常識を教える必要があるのではないかと思います。そして日本の伝統を活かしながら「あたりまえのこと』を「あたりまえと』と言える親になること。親たちや、その親たち(祖父・祖母)がしっかりと時代の変化を認識して、子どもたちに言っていくことが大切ではないかと思います。

 私は、もう一度生活文化の中に根ざした文化の大切さを、しっかりと自信を持って叫んでいかなければいけないのではないかと考えますがいかがでしょうか。人間として、時代が変わってもこれは正しい。人間社会の中で守らねばならないことは守る。変化への対応は必要でも振り回されないこと。親が子どもを育てられない、いや親が成長していないことほど不幸なことはない。

        明治のがんこ親父になったつもりで!!!   
          もう一度、頑固親父になろう。



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2 コメント

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共通一次世代 (金田充史)
2006-11-23 21:35:50
 団塊と、そのジュニアの中間層の人間である、手前どもの考え方で有ります。しかし、此が、この世代の考え方の全てでは無い事も申し上げさせて頂きます。

 自分達から見て、団塊の世代の人たちは、至って詰まらない人間に見えて、しようがありません。当館の以前の支配人だった昭和一桁や、祖父の明治生まれの人と比較するからかも知れませんが、学生運動で、何が変わったのでしょう?全共闘・連合赤軍諸氏が、活躍していて、安全保障条約反対を唱え、結果、何も変わっておりません。今でも、全共闘・連合赤軍として、活動されているのを見ると、彼らは彼らで活動されていて、それはそれで立派です、しかし、大半の皆様は、学生時代が終われば、国家の飼い犬の如く、旧来のシステムに組み入れられ、そこで安住し、現在に至って定年を迎えて、さぁ何をしよう!という感じで、当時、お金が無く、出来なかった事にはまって居られます。

 此は此で、有る意味正しいかも知れません。しかし、団塊世代が日本を構築した事と同時に、日本を破壊してしまった様な気もします。結果的に、昭和一桁世代の下で、旧来の考えをそのまま踏襲し、肥大化させ、その結果、環境破壊が起こり、日本全体が、ミニ東京化し、価値観も画一化され、今になって、この歪みが表面化してきたのでしょう。

 自分の小学生時代に、ロッキード事件が有りました。田中角栄氏が有罪判決を受けましたが、選挙では、以後全て当選しておりました。此が、子供心乍ら、非常に理不尽に映りましたが、現代でも変わっておりません。当時の担任に質問しましたが、明確な返答は有りませんでした。

 こういう社会を作り上げるのを手助けしたのが団塊であり、学生運動で何が変わったのかを明確化出来ず、そのまま社会に組み込まれてしまった様な気がして成りません。

 今の40代は、この部分を引きずり乍らも、現代の180度変わった価値観を認識する、大変な過渡期で、板挟みの状態です。しかし、この様な事を嘆いても仕方が無いし、団塊諸氏の考えが、正しいとも思えませんが、40代になると、今の10代20代30代は、理解出来ない事が多すぎます。しかし、彼らの考えを受け入れ、如何にしてこの現代社会の中に軟着陸させる様、リーダーシップを取るのが、40代の責務で有る、と思います。

 例えば、自分も、デジタル一眼レフカメラを今年になって初めて使いました。使えば、なかなか良い物です。しかし、物を所有し、それを所有する喜びを感じる事の出来る物では有りません。自分が、かつて使っていた、今も使用していますが、旧F-1と云われる型とは、比較に成りませんでした。此が、「物つくり」と云われる部分だと思いますが、こういう物を設計し作り上げたのが、昭和一桁世代で有ります。

 効率を最大限に優先して、大量生産大量消費を実現してきた団塊とは、一線を引いて居ます。これからの時代は、この昭和一桁時代の人々の考え方を再検証する必要がある、と思います。

 此は、時代遅れでしょうか。どうもこの団塊の世代の考え方が合いませんので、この様な書き込みに成りました。申し訳ありません。
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おくれてきた団塊世代 (ゾンビ)
2006-11-24 22:34:41
自分は遅れてきた団塊世代です。
70年安保のときには、べ平連というのがあって、
自分はノンポリ系でしたから、浪人時代は
京都の加茂川のところからデモをしたものです。
入学するや否や、教室はバリケード封鎖されて
結構中核や赤ヘルなんかの怖いヘルメットかぶってたのが
いましたし、民青のひとたちも元気でした。
それでも学校にはいい友達がいましたし、かなわないな
と思うような天才もいました。そんななかで、
過ごしましたね。ノスタルジーですね。
かたわら、卒業したらディスプレイ屋に勤めましたが、
大阪万博の喧騒は終わっていましたし、そのころ
万博で実験的にやられたことが現在のしたじきなっているのも
事実です。
会社の中では、イチバン早くコンピュータに近づきました。
当時5インチのふろっぴーディスクです。ぺらぺらのやつ
NECと自分が買ったIBMとの互換性もありませんでした。
MSーDOSやったのにね。
そんなわけで平成になった頃に中古のMACを購入したところから今の自分につながるんですね。
kin2さん
それぞれの時代にそれぞれのアイデンティティがあるので
一概にはいえません。東芝のリブレットというノートブックも
なかなか物欲をかもし出すデザインでしたし、
カシオが初めて出したデジカメもデザインは進んでいました
いまでもあのレンズがくるっと回る構造は気に入っています。
京セラのハーフカメラのSAMURAIも斬新なカメラでしたし、
オリンパスの小さなやつもカメラ屋で見るなり買いましたね。
団塊の世代もkin1兄さんのようなきわめて勤勉な実直な
人もいますし、すぐあと世代のゾンビも50台なかばです。
いっしょに「きたまち」をやってる仲間はまだ40台ですから、
きっとkin2さんと同世代でしょう。
先のコメントにも書きましたが、男はあきません。
女性が活躍する時代です。
シビックセンターにも女性の意見を反映できるように
したいもんだと思っています。
子供は社会人になってしまいましたが、
ちょっと前まで、中学高校とお弁当毎日つくるのも
大変やったやろうとおもいます。女の人に学ばねば
ならない時代やろうと思います。なんちゅうても
馬力は男共の比ではありませんから・・・

各世代が率直に対案を出し合わねば、
対立からはなんにも生まれません。とくに
今の青年は元気やしね。期待持ってますけど自分は。
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