今日は下市へ柿を買いに行った。市内ではなかなか実感できなかったが、秋の深まりを赤く色づいた柿の木や山々の景色に見ることができた。鈴なりになった柿の木から収穫しているおじいさんの姿に「大変そうだな!」と感じながら桐山宅を訪ねた。
着くなり早速切っていただいた柿の味は、Good。「甘い」というと「最近は、甘い柿より、若い人にはカリカリの硬い柿が好まれるんですよ 」といわれ、やっぱり歳をとったのかと実感。
しかし、「いやいや、やっぱり柿は甘いのが美味しいのだ」と自分に言い聞かせてしまった。時代が変わると味覚の好みも変わるのか?と納得をしたが、なっとくが行かない!!
頑固ジジイになってきたのかな?
でも、柿農家は自分の時代で終わりにするというご主人の話を聞いて残念だった。その理由は
1、温暖化による自然の変化(今年は12月ごろまで収穫の可能性)
2、単価の低下
3、獣害被害の増加(イノシシの罠を設置)
4、農薬代の高騰
5、後継者の問題
また、最近はお米も作らず買っているという。そして、最近農業をやめる人が増えているという。私もダッタンそばの栽培を試みたが、同じ悩みを実感していたので納得をしたが、なんとかならないのかなと強く思った。
自然相手の農業はどうしても自然に左右されるが、農業が衰退していく原因には、上記の理由が大きいと思うが、農業が個人経営で運営されていることが大きな問題ではないかと思う。生業(個人)を企業化していく方法をもっと模索すべきではないかと思う。
とはいえ、国が農業振興策のために進める企業の農業参入を推進することは理解するが、農業者が起業できるための施策をもっと提案することが重要ではないかと思う。
国が推進する「農業の六次産業化」。農業や水産業などの第一次産業が食品加工・流通販売にも業務展開している経営形態を表す、農業経済学者の今村奈良臣が提唱した造語。
(生産・加工・販売を農業者と企業が連携をすること)は、農業者のための施策とは言えない、なぜなら資本力や販売力を持たない農業者のための支援策にはなっていない。私も奈良県の六次産業化に認定された事業をコーディネートしたが、決して農業者に利益をもたらしたとは言えない実情がある。
作り手はより「良いものを作りたい」とおもうが、売るためには何をすれば良いのかということを考えることが少ないのではないだろうか。
また、いいものを作りたいという生産者の思いを販売につなげていく方法や加工品作り目指す「農業の六次産業化」を農業者の視点に立ってもう一度見直す必要があるのではないかと思う。
農業は重労働であるにもかかわらず、利益がない。(収益性が低い)というのは単に個人の問題だけではないと思う
そして、後継者がいないということは農業者のモチベーションを著しく低下させることだと思うが、農業者の継続への思いも断ちがたいものがあると思う。そこで、農業者も売ることへの意欲(販売促進策)を奮い立たせること、そしてその支援をみんなでしっかりとしていかないと日本の農業は無くなってしまうのではないだろうか?
世界では、日本の農業生産品への評価が高まっているので、視点を変えてみるのはいかがなものだろうか?
農業者のみなさん、頑張って美味しい柿(農産品)をいつまでもお願いします。