それぞれの会派といっても、しょせんは集合体。選挙になれば対立候補として戦います。それぞれが支持者を始め協力者があり、また考え方が違う者の集まり。会派の代表として幹事長を決めて会派交渉を行いますが、会派をまとめるだけでも大変です。その上、対立する会派との調整はさらに困難です。時間がかかるのはわかりますが、少々困惑をしています。
中田秀寿選手が、昨夜突然引退をホームページに発表しました。「孤高の人 中田」私はいつも試合後の感想を求められた中田の顔の中に、口に出してはいけない言葉を飲み込んでいるように感じていました。
代表選手として、中心選手としての責任の重さと期待の重圧。
自分が求めるものと、現実の違いに対する言い表わせない、ギャップやジレンマ。
そんなものを、インタビューに答える彼の顔からいつも感じていました。
しかし、ホームページで、彼は
『最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。
俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。』
時にはマスコミから、たたかれ、批判の嵐が襲った事もあったが、彼にはめざすべき目標があり、自分を信じて「苦悩の日々」と戦ってきた事だろう。彼は、常にもっと上を、もっと強くと自分にも他人にも求めたために現状に満足出来なかったのだろうと思います。「だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。」の言葉の中に無念さを感じました。
しかし、メールを読んで、私の救いになったのは、次の箇所です。
「けれどみんなからのmailをすべて読んで、俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は間違っていなかったと自信を持って言える。 中略 だから今、俺は、安心して旅立つことができる。
最後にこれだけは伝えたい。
これまで抱き続けてきた“誇り”は、これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ守ることが出来たものだと思う。
みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。
新しい旅はこれから始まる。
“ありがとう”
ひで 」
私は救われたような気がした。「ひで」の新しい旅を大いに祝福をしたい気持ちと、勇気と感動を与えてくれた事に感謝した。
私も議員生活12年目、伝えたい事、創りたい事が未熟さのために十分達成されない自分が情けない。
人のために働ける自分になるため、更に自身の『人間革命』をめざさなければ!!!
中田秀寿選手が、昨夜突然引退をホームページに発表しました。「孤高の人 中田」私はいつも試合後の感想を求められた中田の顔の中に、口に出してはいけない言葉を飲み込んでいるように感じていました。
代表選手として、中心選手としての責任の重さと期待の重圧。
自分が求めるものと、現実の違いに対する言い表わせない、ギャップやジレンマ。
そんなものを、インタビューに答える彼の顔からいつも感じていました。
しかし、ホームページで、彼は
『最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。
俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。
だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。』
時にはマスコミから、たたかれ、批判の嵐が襲った事もあったが、彼にはめざすべき目標があり、自分を信じて「苦悩の日々」と戦ってきた事だろう。彼は、常にもっと上を、もっと強くと自分にも他人にも求めたために現状に満足出来なかったのだろうと思います。「だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。」の言葉の中に無念さを感じました。
しかし、メールを読んで、私の救いになったのは、次の箇所です。
「けれどみんなからのmailをすべて読んで、俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は間違っていなかったと自信を持って言える。 中略 だから今、俺は、安心して旅立つことができる。
最後にこれだけは伝えたい。
これまで抱き続けてきた“誇り”は、これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ守ることが出来たものだと思う。
みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。
新しい旅はこれから始まる。
“ありがとう”
ひで 」
私は救われたような気がした。「ひで」の新しい旅を大いに祝福をしたい気持ちと、勇気と感動を与えてくれた事に感謝した。
私も議員生活12年目、伝えたい事、創りたい事が未熟さのために十分達成されない自分が情けない。
人のために働ける自分になるため、更に自身の『人間革命』をめざさなければ!!!