今日のころころこころ

2015・11・3 おばさんのつぶやき 子供の自殺・・私はともだち100人できるかなという歌が大嫌いだ

また子供が自ら命を絶った・・・

なんでだろう?と思う。
どうしてなんでだろう?と思うかといえば、こんなにも選択肢が多様な時代だからである。
その学校でいじめられてどうしようもないのなら、全寮制の全く無関係な他所に転校してもいいし、フリースクールや留学という手もある。学校はそのままでも、学校とは無関係な学習塾や習い事で居場所を確保するという逃げ道もある。
義務教育は義務教育ではあるが、かといって、無理に近所の公立に縛り付けなくとも、それに代わる教育を受けることいくらでもできるし、それからの人生はどうにでも拓ける。
例えば私の子供の頃の私の育った地方では、どんなにいじめられてもどこにも逃げ場が無かったと言っても過言ではない。義務教育の段階では、まず学校の選択の余地が無かった。学区に縛られた公立しか無かった。越境通学はよほどの事情がなければできなかったし、越境通学となれば転校先で噂となり同じことの繰り返し。家ごと引っ越さなければすべてのしがらみを絶って他校に移るのは難しかった。親の方も、子供の事情がわかっていてもそのために引っ越すなんていうのは滅多にはいなかった。子供のために引っ越せない親なんだから、習い事に逃がすなんて発想も無かった。
それに比べたら、と言うのは、良くない言い方だと思う。
今は今でそれぞれの事情がある、とは思う。
それでも、なんでボラードのスズメなんだよ?と思ってしまう。

最近の私は、かながわの橋100選を渡っている。高所恐怖症気味だから、長大橋から景色を眺めるのは綺麗だけど川面が目に入るのは本当に怖い。ヘナヘナとへたり込んでしまいそうになる。命を絶つためにそこから自ら飛び降りるなんて、私には絶対にできそうもない。
今回の生徒は電車に飛び込んだが、あの鉄の塊の下敷きになるなんてとても恐ろしくて、私には絶対にできそうもない。

とんでもない勇気である。
そんな勇気があるなら、どうせ飛び込むなら、どこに飛び込んでも同じだと思ってしまう。
私は、ともだち100人できるかなという歌が大嫌いだ。
子供心には子供心の見栄はあるだろう。子供心の見栄は大人の見栄より更に強烈かもしれない。
その見栄が障壁になって大人はなかなか気付けない。
悔しいなぁ哀しいなぁ・・・
死にたいと思い詰めてる君。死を選ぶのを止めはしないが、逃げるために死ぬのならやめてくれ。ぼっちで立場なんて自分の靴のサイズだけの惨めで哀れな自分を父さんや母さんをはじめとする周囲の大人に曝け出してからにしてくれ。
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