朝は雲が多くて少しは涼しい日になるのかと思いきや、カンカンに晴れてきて気温はグングンと上がってきた。
近所の公園を通り抜けようとしたら、ここでも枯れたアジサイ。
昨日の小田原でも感じたのだけど、今年は公園とか公の空間で枯れかけたアジサイがやたら目に付く気がする。
去年もそうだったのかな?いや??
アジサイの季節が過ぎればアジサイがいつまでも残骸を晒してはいなかった気がするのだけど。。
そういえば公園の前の植栽も雑草におおわれている。
企業とか店とか住宅とかの前はあんまりひどくなるとめいめいが草取りをしていたりなんかするけど、公園の前はそういう意味で行政がしない限り誰もしない。
今までここまで雑草だらけになったのは初めて見た。
コロナ禍で作業に着手できなかったのだろうけど、でもコロナ禍で経済が回っていかなくなると、こんな風景も珍しくなくなってくる可能性もあるかな。。
街路樹を見ながら横浜市は財政状態がいいのねと言われて、どういうことなんだろ?と思ったことがあった。
その方も首都圏在住なのだけど、彼女の住む市では街路樹をどんどんと無くしているという。
街路樹のある街は心地よい。でもその街路樹を維持するにはお金がかかるのだ。財政状況がよろしくなくなってくると街路樹の維持も難しくなってくるということだったのだ。
そういう意味では公園の植物も同じだ。
突然の猛暑続きのせいかこの公園の木に枯れ木が目立つようになった。
いままでそんなことちらりとすら考えたことなかったけど、十年後のこの公園はどうなっているんだろ?
ま。
セミの抜け殻がいっぱいあった。
拾ってきて太古の痕跡の仲間に入れる。
自惚れちゃいけない。ヒトだってダイナミックな生命の流れの中の一員にしか過ぎないのだ。
絶望しちゃいけない。でも一員であるのだ。