神奈川県・厨子市・葉山町・長柄桜山古墳群をめぐり、厨子市郷土資料館を拝見して、山を降りてきた。
気になったお寺様があった。
メモ忘れて、スマホのグーグルマップに長柄桜山古墳群と打ち込んだら、『宗泰寺』と出た。グーグル先生がそうおっしゃるからには?なんなんかなんだろうなぁ?
川沿いに歩く。
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お・・・ここか。
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墓地が見える。あれは事務所かな?本堂はどこだろう?
と!本堂かよ!
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なんで驚いたかといえば、あんましにもシンプルだったから。
今までの経験上、檀家衆が豊かな感じの土地のお寺様はたいていがドヤ!といわんばかりのキンキラキンであった。
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金のかけどころのコンセプトが違うのであろう。たぶん。
現地で即席に調べたが、明治の頃に焼け落ちて詳しい歴史は不明となってしまったようだ。今では、湘南七福神めぐりのひとつになってるがセールスポイントらしい。正式名称は、『海向山宗泰寺』様というらしい。
裏付け資料は焼失したらしいが、明らかに歴史のあるお寺様だ。
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と?ととと!!!鳥居!
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登ってみる。小さなお社。
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なんとなく魅かれるように裏にまわって、仰天!なに?これ???
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そのなに?は、お社と背合わせになっていた。ますます混乱。
そういえば・・・来る途中にお屋敷があったな。確かめる。
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間違いない。このお屋敷の私有地であるところの裏山だ。
それにしても・・・謎めいてる。
明治6年とかいうやつか?
聖地というのはどこでもいいから定まるものではない。順序からいえば、縄文か弥生の頃にはこのお寺さん近辺はすでに聖地だったんだろう。その後神社ができてその後お寺ができた。八百万も仏も皆仲良くやっていたのが、明治の神仏分離で何らかの圧力が働いたのは想像に難くない。
あくまで想像ではあるが、こういう形で、守ろうとしたのかもしれない。
それにしても。全部が謎めいていたな・・・。
それにしても山が深かったな・・・。
あ~~~!!!
馬鹿馬鹿しい妄想が湧いてきた。
長柄桜山古墳の二号墳は、かつては葺石に覆われていたという。立地からしたら、明らかに海から見えるランドマークだ。灯台の役目も兼務していたかもしれない。灯台という規模ではないか。威嚇かもしれない。この地は我が王国であるぞとの強い意思表示だ。
そしてこの地形。これは、紀州だ。熊野。
水路。水路でつながった文化があったんだ。
それが、時の政権とどういう立ち位置にあったかはわからない。同族だったのか?抵抗勢力だったのか?
そういえば、この古墳めぐりのスタート地点には、六代御前、平家の末路があった。そういえば?なんで清盛の曾孫がこの地で果てたのか?果て方も、戦の真っ最中に捕らわれてというより、庇護されていた後ろ盾を失っての結果という感じだ。
平家は、確か水上の戦を得意としていたはずだ。
水路でつながる・・・
ん・・・