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2017・5・22 テキトーに渡るおばさんの橋 横浜の架替関東大震災復興橋梁・尾張屋橋。尾張屋は有名なる新田なり大新田よりも古し。

関東大震災で壊滅状態になった横浜の橋。復興事業で国施工37橋・市施工141橋が新築・改築・修築された。
帷子川に架かるのは、現存は万里橋1橋。架替は水道橋・尾張屋橋・沼野橋・平岡橋・平沼橋・築地橋の6橋。
今井川と合流した帷子川は水道橋をくぐる。

水道橋の下流お隣は尾張屋橋。

尾張屋橋は市施工・市單獨負擔橋梁18橋のひとつ。昭和57年に架け替えられた。
国道16号線を支える大きな橋。





旧橋は横浜震災復興誌によれば。
位置・神奈川區岡野町尾張屋町地先(第六號線路)
橋種・鋼構桁
斜度・右82.30.00度
橋長・52.30m
有效幅員・22.00m:車16.60m歩2.70×2.0m
面積・1.150.60㎡
施工期・著手昭和三年十月二十九日:竣功昭和四年九月三十日
總工費・192.791.27円
とある。
尾張屋という地名は江戸時代の尾張屋新田に始まるようだ。
横浜震災復興誌には、「別案に大新田橋ありたるも尾張屋は有名なる新田なり、大新田よりも古し、故に其の名を橋に採る」と記されている。
江戸時代中期くらいから人口増加に伴う食糧増産のために全国で新田開発が行われた。
この尾張屋新田も、宝暦年間に尾張屋太仲・武平次親子によって開発されたという。
新田開発というが、私のような俗物はどうしてもお金の出所が気になる(^^;
この尾張屋新田は、誰がどういう形で発案しイニシアチブを握っていたのであろうか?
尾張屋というからには、尾張出身の商人だったのであろうか?それとも土木工事請負業だったのであろうか??
尾張屋橋に上る。

帷子川から石崎川が分かれる。

親柱は、ま(^^;

かつて食糧増産で人々を支えた新田は、橋名に名残を残し、橋は人々の流れを支える。
















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