今は車の流れる道路に架かる紅葉橋であるが、かつては桜川という川に架かっていた。
桜川という川があったんだ。
ところで桜川って(?_?)
で、調べたが、埋め立て完了は昭和29年とわかったが、始まりがわからなかった(^^;
元々あった川なのか?誰かが開いた運河だったのか??
中央図書館で、横浜市史をひもといて年表からアプローチしたものの・・・
最初は桜木川と言ったのかな?記述っぽいのは。。
1871年(明治4年)桜木川よりガス製造所まで運河を開〇(この〇は漢字が読めなかった(^^;)
1872年(明治5年)桜木町より花咲町へ2橋を架し東を錦橋西を綠橋と命名
だけ(^^;
明治3年の新鐫横浜全図:五葉舎・万寿老人製図。

ここが桜木川ですとは書いてないが、やはり、新しく造成された新地だなぁ。。


明治24年の地図には、もうきちんと運河となって橋もたくさん架かっている。

昭和11年。

そして今。

桜川の始まりには行きつかなかったけど、すごいよな!
1853年(嘉永6年)ペリー浦賀に来航
1854年(安政元年)日米和親条約締結
1858年(安政5年)神奈川開港決定
1859年(安政6年)横浜港開港
1872年(明治5年)新橋~横浜鉄道開通
1894年(明治27年)鉄桟橋完成
1895年(明治28年)生糸検査所設立
ほんとうに短い期間に鎖国のちょんまげ羽織袴から外国を受け入れる様々な整備をしたんだなぁ。
図書館でいつの間にか川とかではなく年表に見入っていた。
順調に行っているようなイメージだったが、けっしてそうではなかったんだなぁ。。
不景気だった時期もあったようだ。
今ではカリスマとされている先人たちも成功したり失敗したりの試行錯誤の連続。
日付とその日に起きたことをサラッと素っ気なく簡素に書いてあるだけなのに、なぜだかどんな名作とされる小説やら評論やらなんやらより雄弁に語る。
情熱という言い方はなんだか安っぽくもあるが、なぜだか行間から情熱が伝わってくるが不思議だった。。
かつて桜川という運河があった・・・
きっと私は今の重箱のすみをつつくようなチンマリとした様々にどこかうんざりしているのかもしれないなぁとか思ったなんかしたのでありました(^^;