今日のころころこころ

2017・7・10 テキトーに渡るおばさんの橋 横浜の廃橋関東大震災復興橋梁・雪見橋 バス停と信号機に残る橋

関東大震災で壊滅状態になった横浜の橋。復興事業で国施工37橋・市施工141橋が新築・改築・修築された。
かつて存在した桜川に架かるのは、現存は浅山橋1橋。架替は紅葉橋1橋。廃止橋梁は錦橋・綠橋・瓦斯橋・雪見橋・花咲橋・櫻橋・戸部橋の7橋。
桜木町駅の西口・野毛側。

桜木町駅が東口・みなとみらい側の玄関となったのは最近のことであり、かつてはこの野毛側が桜木町駅であった。
開業当時の横浜駅長室跡。



小さな小さなモニュメント。

桜木町駅西口を横浜駅方面に国道16号沿いを行く。

行くと・・・あれ?これどーだったんだっけ(?_?)



JRの線路下の歩道、だったんだよなぁ(?_?)
私は、たとえ毎日毎日見ている風景でも昨日まであった建物が取り壊されると今日はもうそこにどんな建物があったんだかわからなくなる(^^;

わからなくなるであるが・・・やがて全部取り壊されるのかなぁ?私はこの歩道が好きなのだが(;_:)
ま。
徒歩徒歩と行けば、紅葉橋。



徒歩徒歩と行けば、やがて雪見橋バス停。





まずはあの信号を渡る。





ここに橋があったのかなぁ。。



関東大震災復興橋梁としての雪見橋は市施工・復興費道路橋梁費支辨橋梁52橋のひとつだった。
横浜震災復興誌によれば。
位置・中區櫻木町四~五丁目花咲町四~五丁目地先(市道)
橋種・鋼構桁
斜度・右37.25.00
橋長・27.50m
有效幅員・9.00m
面積・247.50㎡
施工期・著手昭和二年六月一日:竣功昭和三年三月二十五日
總工費・58.810.24円
とある。
親柱もなにもかも不明。
バス停と信号機にのみ名が残る。

昭和11年の雪見橋。

材木屋さんと車屋さんがあったようだ。線路の海側は空き地?資材置き場??
当時はけっこうに雪が降る冬だったのだろうか?
今の線路の海側には、えーと、3ヶ月ほど前までは、今も賃貸で入っているから看板はそうか。。三菱重工横浜ビル。

100年後はどんな地図になっているのかなぁ・・・

コメント一覧

うさぎ
tonnkoさま(^^)
あそこの歩道は不思議で美しいですよね(^^)
雨が降ってもカンカン照りでも助かる(^^♪
でもずいぶんと中途半端は事実で、誰のなんのためにと考え出してしまうと、なぞなぞですね(^^;
なにか構想があったのかなぁ???
あのまま線路脇を桜木町駅から横浜駅まで雨に濡れずに行ける構想とか。ありえねーなぁ(^^;(^^;
残ってほしい建造物のひとつです!(^^)!
tonnko
親しんだ景色
改めてこの様な写真で見ますと、素敵な雰囲気ですね。
音楽堂や能楽堂に行くときは、いつも歩きます。
”面白い形状”と思い、”どうしてこの様な形状に?”とぼんやり考えて居ました。
追究なさるうさぎさんの姿勢、尊敬です。
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