今日のころころこころ

2016・5・16 おばさんのつぶやき 人工知能進化の先にあるものは・・・単純労働地獄???

ここのところ人工知能に関する報道等をよく目にするようになった。

なんだか私が勝手に想像していたのとは違ってるんかなぁ・・・
例えば、10年後に無くなる仕事というリストによくあがるスーパーのレジ係。
なんだか人工知能を搭載した人型ロボットが人間の代わりにレジに立っていらしゃいませ!とやるように思っていた。
が・・・
確かにスーパーのレジ係は簡単だ。高校一年生だって数時間の研修でできる。が、それをロボットがやるとなると・・・
右のカゴの商品をスキャンしながら左のカゴに入れて精算するだけ。確かにただそれだけなのだが、仮に研修で指導されなくとも人間は無意識に確実にそれぞれを扱うことができる。卵と瓶ビールとイチゴと揚げたてのコロッケをそれぞれに応じてカゴからカゴへと迅速に移すことができるのであるが。が、それを人間と同じようにできるロボットの開発となると・・・柔軟で臨機応変に自在に迅速に様々に動くことのできるこの人間の肉体を機械で再現する難易度は、とてもじゃないけど人工知能の開発の比ではない。。。
レジ係は無くなるといっても、それは店員がやるか客がやるかだけのお話で、スキャンしながらカゴからカゴへと商品を移す作業は結局は人間がやる方が圧倒的に早い。
けれど、人工知能の進化は今後爆発的に進んでいくだろう。
スーパーのレジ係ついでにスーパーで想像すれば・・・
一連の仕入れから加工・陳列から補充のタイミングから作業に必要な人員管理まで全て人工知能が指示するようになるかもしれない。
それは膨大なデーターから冷静に導き出された確実な判断だ。が、人工知能はそれを実行する体を持たない。となれば、それは人間が実行することになる。
無論、今でも誰かの指示通りに動いているは事実ではあるが、どんな職場でも多少の工夫とか達成感の余地はある。それがささやかなやりがいだったりなんかもする。
が、人工知能の完璧な指示となると、もはや人間の感情の入り込める余地は無い。人工知能の一部品となり一切の思考も感情も停止して忠実に動くことが求められるようになる。たぶん。
人工知能からの労わりの言葉は、あるのかないのか?たぶん、あろうはずない。あったらそれは感情があるということで、それは人工知能に求められているものではない。
となると・・・
一切の思考も感情の動きも全部停止して人工知能の体部分として働かざるをえない時代が来るということであろうか?
それが、少しでも可処分所得を増やしたいくらいの動機で週4日程度の1日4時間くらいの拘束ならなんとかなりそうな気もするが、これが、生活がかかったいわゆる正社員の働き方だったら、どうなってしまうのであろうか?
拘束から解かれた時間はどんな時間になるのであろうか?
人間は正気でいられるのであろうか?
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