今日のころころこころ

2016・5・26 おばさんぽ 横須賀の鏝絵 東浦賀

横須賀の鏝絵。
浦賀行政センター・浦賀コミュニティーセンター分館(郷土資料館・愛称文化センター)・西叶神社・東福寺の鏝絵を拝見。

西叶神社様の勾玉を持ってぽんぽん船に乗る。

この浦賀の渡しの渡し船は、浦賀に奉行所が置かれてまもない1725年頃から記録に登場するようだ。今のお船は1998年に就航した愛宕丸クン。この数分の航路は立派な横須賀市道!2073号線!
気持ち好いなぁ(^^♪
これって、浦賀ドックを見ながら浦賀駅まで運行したら楽しいだろうなぁ(^^♪

数分で対岸へ。

まず向かうは東叶神社様。西叶神社様の勾玉を入れるお守り袋は東叶神社様。。

この、叶神社様が東西にある理由はわからない(^^;どうも西が本宮で東が若宮のようだが(^^;

ただ、どちらもかなりの歴史があるは事実。

社務所でお守り袋を授与いただいて、色々と楽しくお話させていただいた。ありがとうございました!
この東叶神社様の裏は、明神山。この明神山にはかつて「浦賀城」があった。
この浦賀城とは、安房里見水軍に対抗するための小田原北条水軍の基地の海賊城。小田原北条氏滅亡とともに廃城となった。
浦賀城跡に登る。

なぜか喫茶店。

階段を200くらい登ると、東叶神社奥宮。

ここは勝海舟が航海安全祈念のために断食修行を行ったとされる。

世界中どこでもホイホイと行けてしまう今では滑稽なまでの感じだが、その真剣勝負は羨ましくもあるなぁ・・・

浦賀城跡。

対岸が良く見える!

里見水軍がワッセワッセと押し寄せてくる!出陣じゃあ!!!だったんかな?当時は手漕ぎ。潮の流れとか風とかで来そうだとは予測できるような気もする。軍事専門の部隊が常駐してるのではなくて半軍半漁師を緊急招集したのかな?
でもなぁ・・・この北条水軍と里見水軍の合戦の記述なんぞみると、はたして本当に領地を奪うためだったんかなぁ?と思ったりなんかする(^^;潮の流れであっさりと安房に帰っていたりなんかする(^^;もしかしたら、様々な財の強奪合戦だったのかなぁ(^^;ちなみに。鶴岡八幡宮が焼き討ちにあったりなんかしてるくらいだから里見水軍の方が強かったようです。。
お!灯明堂が見える(^^♪

この明神山の北西にはお寺様がいくつも並ぶ。かつては山伝いに行けたようだが今は道が無くなってるとのこと。東叶神社様の境内に引き返す。

向かうは鏝絵。法幢寺様。
浦賀の渡しに引き返す。といっても・・・あれ?どこだろう??
え?あれかな?

とてもわかりにくいアプローチ(^^;

ここの鏝絵も素晴らしかった(^^♪

井戸がいくつも残っている。上水道完備した今でも非常用として現役(^^♪

浦賀の渡しの前には「徳田屋跡」。幕府認可の旅館で船改めを受けずに房総半島への直行便を持っていたという。

徳田屋跡の裏側の道を行けば、「東耀稲荷」が見えてきた。

小さいけどずぶんと凝った造りのお稲荷様だなぁと眺めていたら、散歩のおじさまが、鏝絵かい?開いてるから入って眺めていくといいよ!とおっしゃる。まさかこのご時勢で無人のお社に無施錠なんてありかよ(^^;と私の顔に書いてあったんだろうなぁ。一緒に行ってくださった。

やっぱ施錠してありました(^^;きっとお祭りの準備かなんかだったんでしょう。
崩落してる部分もあるようだったが、見事(^^♪

それにしてもそれにしても、こんなにも小さなお稲荷様にこの豪華絢爛とは!かつてのこの湊の繁栄はどのくらいすごかったんだろうか?
東耀稲荷様を下りて「八雲神社」へとむかう。

ここもけっこう入り組んだ奥だなぁ・・・もしかしていにしえは明神山を中心に展開していた街並みだったんかなぁ?

ところで?八雲神社様の鏝絵は?
ほお!!木彫かと思ったよ!◎◎!

八雲神社様を下りて浦賀駅へと向かう。

素敵な帆布バックのお店があった!浦賀帆布バックの三浦屋さん(^^♪

小さなお稲荷様は船守稲荷様。

その先には、そのビールケースの先には、「水道トンネル」!

浦賀ドック用の工業用水確保のために明治35年に完成した1kmの水路。工業用水用の水路まで丁寧に作っていたんだなぁ・・・
一般大衆なんてイメージだけでなんとでもなるチョロイもの、は事実だけど、まわりにまわって結局は全てが凋落していく・・・
浦賀駅到着。
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