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今日のころころこころ

2022・8・28 晩夏の雨に濡れる白い彼岸花一輪

動けば汗が噴き出るけどじっとしていれば寒いくらいの雨の日。
ふと古刹に寄り道。
横浜は新羽の西方寺さま。
真言宗補陀洛山安養院西方寺は、建久5年(1190年)に鎌倉の笹目ヶ谷(佐々目谷)に創建した。その後極楽寺の一山として極楽寺の山中に入ったが、火災や時代の移ろいやらで、北条氏庇護の大寺院だった極楽寺が往時の勢いを失い、海路から鶴見川を遡上し今の地に落ち着いたのは室町の頃という。
開発が進む中いつの間にか産業道路の脇になってしまったけど、産業道路をひょいと曲がると、そこだけタイムスリップしたよう。
四季折々に花が美しい。
彼岸花も有名で、咲き揃うのを楽しみ待ってる人たちも多い。
もちろん、まだ。
ところが、ヨネヤマプランテイションさんで植木を偵察して(長野の庭のが枯れた)通り過ぎようとしたら、雨に濡れてたった一輪白い彼岸花。

ハッと立ち止まってしまったのだった。

いたく心動かされて白い彼岸花一輪の面影大事に帰ろうと思ったら、ぽつりぽつりとあちらこちらに咲き始めていた。



夏水仙が今を盛りと咲く。
夕方に雨は上がった。
空気がすっかりと冷たくなった。
ようやく秋の気配。

コメント一覧

kinntilyann
日々さま
こんばんはでございます(^^)/

四季折々に花が綺麗なお寺です。
花の時期は、拝観料とったら?と思わず言ってしまうくらいに混雑します。
彼岸花もそれは見事に咲くのですが、たった一輪があれほどまでにグッとくるとは。

鎌倉は、その、そういう土地なのですよ。
私はオカルトみたいなこと全く信じてないのですが、それでも黄昏時にやぐら周辺を歩いていると、ゾクっとすることもままあります。
大河の脚本はまだマシな方じゃないかな。
政子という名前だって当時はなんて呼ばれていたんだろ?
当時の女性の名前はほとんど伝わってないのですよ。男性の名前ははっきりしていても、女性は「女」で表されていたからね。
ま。
結局は全部滅びて歴史の表舞台から消えて、江戸時代に観光地としてにぎわいはじめました。
鎌倉十井とか十橋とか、観光客誘致(当時はなんて呼んだんだろ?)の名所作りのために始まったことです。
明治になってから著名な文人とかが住んだりするようになって、すっかりと今のイメージとなりました。

でもだからどうというわけではなく、心地良い街です。
退院できたら行くのだ(^^)v
日々あれこれ
こんばんは。
白い彼岸花に妹さんの面影を見たのでしょうか?

NHKの大河ドラマ見てますが何だか残酷でちょっと嫌になってきました。
政権争いにあそこまでやるなんて⁉︎
脚本が悪いのかなぁ?失礼ながら😆
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