今日は妹の祥月命日。
40で旅立ってからもう16年もたつんだ。
父も妹の所へと逝き、母は老健。
父は親の墓参りにも行かない人だったから、妹の供養はもっぱら母がしていた。
私は自分の命が続く限り〇〇〇の供養だけはすると宣言していた母は、宣言通りに娘の祥月命日にだけお寺さんに来てもらっていた。
さて今年はどうしたもんかと思っていたのだけど・・・
ここ最近の感染者数の激増で、母のと面会も出来ない状態になっている。沖縄県・山口県・広島県・大阪府・京都府・兵庫県・愛知県・神奈川県・東京都・埼玉県・千葉県に住む家族は感染拡大が落ち着くまで面会できないのだ。
住職は後期高齢者になっちゃったから、若院がきても万が一私にオミクロン氏がくっついていて持ち帰っても困る。
結局お寺絡みは何もしないことにした。
確か妹は洋菓子が好きだった気がする。精神を病む前は服も何もかもガーリー系だった気がする。
もうネズミの心配がなくなったから、お供えはイチゴのショートケーキにした。
花はスイートピーにした。
朝一にお線香あげたかったから、ケーキも花も昨日買ってきた。
さて仏壇は設えたし墓参りに行こうというタイミングで軽トラのお話し。
昼近くに終わってそれから墓参り。
墓の花入れの氷はとけていて、持参のペットボトルの水(凍結破裂防止のために寺の外の水道も普通の家庭と同じように水抜きしてある)をぽこぽこ入れて花を入れて線香を手向ける。
他の用事も済ませて、遅い昼飯を食べたら母には会えないけど支払いへ。
善光寺境内を通り抜ける。
会えないからわからないけど、母は今日が娘の祥月命日ってわかっているんだろか?
大晦日には、一昨年済ませてる夫のあら年をまだ済ませてないと勘違いしていてそればかり心配していたけど。。
仮に忘れていたとしても、それはそれでいい。
歳月は全てを彼方へと連れ去っていく。
そしてそれはとっても優しい自然の摂理の気遣いとわかってきたのは最近だ。
子を先立てることは何よりも辛い辛いことなのだ。
午後の用事が終わって帰路につく頃にちょうど夕暮れだった。
アーベントロートというのかな。東山(長野盆地から見て志賀や菅平の方向の山々)が夕陽に染まる綺麗な綺麗な夕暮れだった。
ふと、あの子は風になってる気がしたが不思議。
さて。
私は餅。
今年はとうとう鏡開きができなかったな。
ご自由にお持ちくださいと書かれていたからいただいてきた西宮神社さまの神饌を、弱火のお湯でゆっくりとやわらかくした。
とらやさんのあんペースト添えて、こういうのなんていうんだろ?
シンプルに美味いな。なんて名前でもいいか。
カッチンカッチンの餅がつきたてのようにやわらかくなるのを見るたびに、餅ってすごい食べ物だと思う。神饌にふさわしい食物だと思う。
明日は肩の荷を下ろして帰れそうだ。