
アマゾンで中古本を探すことはよくあるが、さすがに1円というのは買ったことがなかった。どういうルートで流れてどう展開して1円なのか皆目見当つかないが、梱包だって多少のお金はかかる。様々に思い巡らして、時には結局は1円の価値しかない本だったんか?で買うのを止めることすらあった。が、店の名前に見覚えがあって、なかなかにユニークで良心的な店だと記憶していたから思い切って買ってしまった。
この、思い切ってという表現は、書きながら苦笑。どうやら私はやたら高額もやたら低額も思い切らねばならぬ性格のようだ(^^;
1円の本を買ってみようかと思ったきっかけは、35年営業していた駅前の小さな本屋さんの閉店。
私がこの地で暮らし始めたときにはすでにあった書店。駅前バスロータリーに面した駅の改札の真横の抜群の立地。たいそうに繁盛していた。時は流れ、駅周辺の再開発再開発で、駅に隣接した商業ビルに大型書店が開店して、数年後にはその大型書店が入る商業ビルの道路挟んでお向かいの駅直結の商業ビルに更に大型な書店が開店した。どうみても人口に対して本屋過剰。一方の大型書店は撤退。が、今回閉店の書店はしぶとく生き残っていた。フロアの半分はいつの間にか仕切りが通路だけのペットショップとなり、その異臭でますます客足は遠のいていたにも関わらずに。そういう私だって毎日のように前を通っていても寄るのは年に4回くらいになっていたんだけど。。
岩波の本だけがセールで100円単位になってるなぁ・・それにしても汚い本だなぁ・・・
と、気が付いて苦笑。そんなことも忘れていた。岩波書店は基本的に買取だ。ここまで色褪せ薄汚れるまで抱えざるをえなかったんだな。買い取った以上はもう書店が煮ようが焼こうが自由なはずだか、閉店まで売り切りセールをしていなかったのは、何等かの制約があったのか?書店の矜持だったのか?
岩波書店は優れた良書を世に送り出している立派な出版社であるが、クセがある部分もある。色褪せ薄汚れた岩波の本は、そのクセの部分だけが売れ残っていた。100円でも私も一冊も買わなかったし、たぶん明日もほとんど売れ残ったまま閉店となるであろう。明後日その本はどうなるのかな?
なんて思い巡らせているうちに、なんとなく、ストンと何かがこころに落ちた。
そうりゃそうだ。
印刷だって、産業革命だったんだ。私のような無学の貧乏人が気軽に本を買えたのも、ひとえにこの産業革命の恩恵だったんだ。
産業革命は、過去にも今にも未来にも続いていく・・・
1円の本は、厳密に言えば1円でも高いくらいだが、収集してるわけではあるまいし。さらりと読むにはこれで十二分。

こうして紙媒体の大衆化は静かに終焉をむかえるのであろうな。本はまた庶民の手の届かぬコレクションとなる。
その頃には庶民はどんな媒体に依っているのであろうか・・・
人工知能という未知を抱えた今は、また、過去とはだいぶ違いそうな気がするけど・・・