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今日のころころこころ

2020・5・2 ながの百景 まちなみが望める往生寺。刈萱上人。夕焼の鐘。吉良桜。

寺の名前がそのまま地名になったのか地名が寺の名前になったのかはわからないけど、善光寺からぐっという感じで急坂を上ったところが長野市往生寺。実際に往生寺さまという寺がある。
車を下の観光バス用駐車場に入れる。

この駐車場からすでに善光寺平が一望。

リンゴの花が満開。
往生寺さまへと急坂を上る。










浄土宗鎮西派安楽山刈萱堂往生寺は刈萱上人最後の修行の地とされる。
刈萱上人とは、1151年~1154年頃に九州は博多の地の国守であった加藤佐衛門尉重が無常を感じて家を捨てたことから始まるようだ。
色んなお話があってどれが定説なのかは不明なれど、家を出た加藤佐衛門は高野山に登り寂照坊として修業していたという。そこに子供の石堂丸がたずねてきて、石堂丸にもなにか出家したくなるような事情があったようで弟子入りを願ったという。出家した以上は親子の情愛も下界に置いてきているのだから、互いに親子と知りつつも名乗りをあげることもなく共に修行に励んだという。
その後、刈萱上人は善光寺へと修行の場を移すのであるが、親子の情愛が修行に妨げになるから来たという説もあれば仏のお告げで来たという説もある。
いずれにせよ、刈萱上人はこの地で83の生涯を閉じた。

境内の急階段を上る。



檀家さんの墓地になっている。この階段と思ったら、やはりお参りに来ても年寄りは下で待機して若者が往復するそうな。

檀家さんたちにはたいそうに難儀だけどなるほどに修行のお山。善光寺奥の院。檀家さんたちも頑張っておられるんだな。






境内の梵鐘は「夕焼の鐘」と名付けられている。
ゆうやけこやけでひがくれて♪♪♪
「夕焼け小焼け」は1923年に発表された童謡。作詞は中村雨紅。作曲は草川信。
中村は故郷の八王子の風景を詩にしたようだ。曲をつけた草川が長野の出身でこの往生寺の情景を思い浮かべながら作曲したという。

境内の桜は「吉良桜」。

元禄年間に善光寺に参詣した吉良上野介義央は往生寺にも立ち寄りこの桜を手植えしたという。
説明には「名君であった」と書かれていた。
花びらがほろほろと散る。
おてては誰もつないでくれない帰り道なれどカラスと一緒に帰るのだ。

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