今日のころころこころ

2015・6・16 おばさんのつぶやき・・・結局わたしは『絶歌』を買うのだろうか買わないのだろうか?

少年Aの『絶歌』・・・
発売日に通勤途中の駅前の本屋さんに並んでいたら買おうと家を出たが、その日その本屋さんには見当たらなかった。
が、時代は変わったなぁ。。。
その日のうちにネット上に目次の写真がアップされたのを皮切りに、次から次へとページの写真がアップされていった。駅前の本屋さんに積まれたのに気が付いた頃には、全文ではないが、ある程度は読めてしまっていた。
結局、積まれた本の横を通り過ぎるだけでまだ買っていない。
既視感があるとでもいうのだろうか?
事件当時はネットはそんなに普及しておらず、少年の親の手記をはじめとして何冊かの本を買った。
いま手元に残ってるのは、この一冊だけだ。

個人情報保護がそんなにうるさくなかったこともあって、相当につっこんだルポも多かった。
今回出版された本は、その当時報道等された事柄に沿って加害者が飾った言葉で小説にしただけな感じ。それ以上の中身は無い感じ・・・
そうりゃそうだ・・とも思う。
あの事件を起こしたことで、少年Aは憑き物が落ちたように正気に戻っていたはずだ。今はただの平凡な32歳の男だ。
かといって、平凡に暮らせようはずもない。あの人は今的な興味本位で知りたがる人はいるかもしれないが、実際に自分の身近にいたらやはり不気味で排除に走るであろう。本人にしてみれば、仕事の休憩時間のたわいのない会話ですら恐ろしいに違いない。
そして、当時の報道等によれば少年Aは直感映像記憶素質者であったはずだ。
こうして本を出すしかなかったのもかもはしれない・・・とも思う。
とも思いながらも・・・
どうして私たちは何度も何度も突きつけられなければならないんだろうか?とも、思う。

当時、親の手記をはじめ様々に読んだが、家庭にも学校にも近所にも取り立てて異常な感じはしなかった。猟奇殺人者の生い立ちという色眼鏡で見ればつっ込みどころはたくさんあるが、色眼鏡を外して見ればその当時のどこにでもあるごくあたりまえの環境であった。
こういう言い方は良くないかもしれないが、ある一定数の異端は必ず出る。
世の中から煙草が無くなったら癌の半分は無くなると某大学病院のドクターから言われた時には、え?であった。たった半分しか無くならないのか?と思った。癌の原因と言われてる要因を全部排除しても、たぶん、癌は無くならない。おそらくは、人の存在そのものの何かにからんでいるのであろう。
だからといって、
じゃあどうすればいいんだ?
異端の昇華の先に美しい芸術があることもある。
じゃあどうすればいいんだ?
殺された方にしてみれば、あんたが生に執着するようにわたしも生きていたかった。はずだ。
じゃあどうすればいいんだ?
終りの無い問いかけがささくれのようにこころにひっかかる・・・
結局、私はあの本を買うのか?買わないのか?
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