ミヒはあの日の夜に起きたことをすべて忘れるために、留学の予定を早めて逃げるようにNYに来たのだった。あの夜が明け始めた早朝、ミヒは二日酔いのひどい頭痛とともに目覚めた。そして、人生で最悪の過ちを犯したことに気が付いたのだった。昨夜のことは「ヒョンスへの当てつけ」「やり場のない怒り」「自暴自棄」で起こったことだった。ミヒは早朝の暗い春川の街を歩きながら、これから起こることを想像した。ジヌは喜び勇んで両想いになったとプロポーズするだろうし、両親はNYに留学するよりも大喜びで、結婚式の準備に入るだろう。そんなことは、まっぴらごめんだった。ジヌのことは親友だと思ったこともなければ、男性として好きになったこともなかった。いつも自分の言うことを聞いてくれる従順な友人だというだけなのだ。だいたい昨晩あそこにいただけで、相手なんて誰でもよかった。ただ、ヒョンスが最高の夜を過ごしているのが許せなくて、ジヌを選んだだけなのだから。ミヒは、ジヌに対してほんの少し良心の呵責を感じたが、すぐに忘れて自分の未来について考え始めた。そして、ジヌと顔を合わせる前に、NYに旅立つことに決めたのだった。
自分の体の異変に気が付いたのは、NYにきて数か月がたったころだっただろうか。頻繁に具合が悪くなり、めまいやふらつきに襲われることもしばしばだった。最初は異国に来たストレスかと思ったが、来るべきものが来ないことに気が付いてからは、悪い予感に襲われていた。ミヒはしばらく悩んでいたが、ある日ついに決心して産婦人科を訪れた。そして「妊娠している」と医師から告げられた。それは何よりも恐れていたことだった。ミヒは迷いに迷った末に、一人きりで子供を産むことに決めた。それも、この子はヒョンスの子だと思い込んで産むことにしたのだった。それは、お腹の中で膨らんでいく命を慈しむためには、譲れない選択だった。一人きりで産んで育てるのだから、それぐらいのウソを自分につかなければ、生きていけないと思っていた。もっとも一人でぐずぐずしているうちに、中絶する道は断たれつつあったし、クリスチャンとして生まないという選択肢は考えられなかったのだが。しかも、NYは超個人主義の街だったので、ミヒが未婚で妊娠していようが、学生であろうが、だれも不審がる者はいなかった。しかし、誰一人として心配してくれる友人もいなかったのも事実だ。こうしてミヒのお腹はどんどんと膨らんでいった。ミヒは何が何でもNYでピアニストとして成功すると決意して、学校中の誰よりも猛練習に励んでいた。彼女の心のよりどころは『ピアノ』ただそれだけだった。赤ん坊がいても、シングルマザーでも、絶対に一流のピアニストになって見せる、そして経済的にも自立して見せる、誰よりも幸せになってみせる、と意気込んでいた。
そして、ミヒの最大の悩み事は、両親に妊娠のことをどう伝えるかだった。しかし困り果てて迷っているうちに、娘と連絡が取れないのを心配した両親が、NYに訪ねてきたのだった。そのころのミヒは、もう妊婦であることを隠せないほどお腹が大きくなっていた。それを一目見た母親は阿鼻叫喚のありさまだったし、父親は怒りでわなわなと震えていた。そして、ホテルの部屋で彼女を問い詰め始めたのだった。両親はヒョンスが父親だと考えていたが、ミヒはNYに来てから知り合った男性との間にできた子だと言い張っていた。そして相手は結婚しているのだと嘘をつき、両親は余計に絶望をした。ミヒとしてはヒョンスが父親だと言えば、両親がヒョンスを問い詰める恐れがあると思っていた。そしてヒョンスはもちろん否定するだろうし、両親は血眼になって父親捜しをするだろうから、早かれ遅かれくそ真面目なジヌが白状するのは目に見えている。そうしたら自分はどうなる?お腹の赤ん坊とともに韓国に送り返されて、ジヌと結婚させられるのだ。ヒョンスをあきらめて、ピアニストの夢をあきらめたら、自分には何が残るだろう?好きでもないジヌと結婚して、彼に似た赤ん坊を育てるなんてまっぴらごめんだった。こうしてミヒは泣きわめいて父親を明かさないまま、両親を帰国させた。両親は「二度とお前には会わない。ただ、赤ん坊を産んで育てられるように、経済的な援助はする」と言い残して韓国に帰った。それが両親との永遠の別れになるとは。
ミヒは両親の計らいで、寮生活から家政婦付きのアパートに引っ越しをした。両親は許しはしなかったが、経済的には弁護士を通して充分な支援をしてくれた。そして、もうすぐ春だというある日、独りきりでNYの病院で男の子を産んだのであった。ミヒはその子に「チュンサン」と言う名前を付けて大切に育てた。実際に赤ん坊が生まれてみると、息子は予想以上にかわいくて、この世で一人きりになってしまった自分に、大切な宝物ができたと思った。何よりも、ジヌに似ているわけではなくて、自分にそっくりに生まれてきたことに安どした。ミヒはチュンサンのために、ますますピアニストとして名を上げようと頑張るようになって行った。しかし、皮肉なことに頑張れば頑張るほど、忙しくなっていくのだ。もはや子どもを育てながら仕事をするのは難しかった。そこで、アメリカで一定の知名度を上げるほど有名になったあと、ついに両親に頭を下げて韓国に帰ることにしたのだった。そして、ミヒが帰国を決めたと電話した時、あんなに怒っていた両親は涙を流して喜んでいた。やはり親は親、娘の身を案じていつも心配していたし、孫の顔を見たいと思っていたのだった。しかし、幸せもつかの間、ミヒの両親は帰国を待たずに、あっという間に二人とも亡くなってしまったのだった。はじめは母親が脳出血で死んでしまい、次に父親が心筋梗塞で亡くなった。今思えば、5年以上娘のことでかなりの心労を抱えていたため、知らず知らずのうちに体を蝕まれていたのかもしれなかった。ミヒは両親に許しを請うこともできずに、両親を看取ることもできずに、静かに異国の地で涙を流すしかなかった。小さなチュンサンを抱えた彼女は、すぐに帰国して葬式にも参列することは出来なかったのだ。そして今まで以上に孤独で心を閉ざした人間になっていった。
こうしてミヒがチュンサンを連れて韓国の地に降り立った時には、愛する肉親はおらず、悲しい思い出が残る国で生活をスタートさせたのだった。しかし、ミヒはもともとチュンサンを韓国人として育てたかったので、それはそれで仕方がないことだと気持ちを切り替えていた。一方で、韓国だけでなく、世界各地での演奏旅行があったので、頻繁に家を空けざる終えなかった。また「若く才能にあふれた美人ピアニスト」というキャッチフレーズで活動していたので、息子がいることは極力話題にしないようにしていた。何よりも、息子がいることをジヌが気が付いたときに、年齢から逆算して騒がれてしまうのが怖かった。ミヒにとってチュンサンはヒョンスの子であり、チュンサンと二人で静かに生活ができれば、それで十分だったのだ。こうしてミヒは、プライベートな生活を、極力秘密にするようになっていった。しかし、孤立した生活の中で、次第にチュンサンが孤独で暗く心を閉ざした少年になっていったのには気が付かなかった。ミヒが孤独の中で生きているように、チュンサンもまた、母親がろくに家にいない家庭とも呼べない環境では孤独を抱えて生きていくのだった。