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マヤ暦の発祥は?

2016-01-11 12:34:11 | マヤ暦

マヤ暦の発祥は…?
随分前のチャネリング内容ですが、私はかなりしっくりきます。

2012~マヤ暦と時間
大天使メタトロン
Tyberonn 2011-6-17

面白い事を先に言っておきます。
皆さん、人間が呼ぶマヤ暦という優れたカレンダーは、皆さんが考えるような、マヤの社会によって開発されたものでも書かれたものでもありません。
事実は、マヤ人たちより18,000年以上も前に創られたものです。
元々ポセイダ(アトランティスの首都があった地域)の覚醒したアトランティス人がシリウス-プレアデス連合の助けで創ったものです。
そして、クリスタライン技術でクリスタル・スカル(頭蓋)(「13番目のクリスタル・スカル」参照)に記録されました。

クリエイティブな人類学者でさえ、初期のマヤ社会はB.C.2000年頃に始まったと考えています。
マヤ暦は、実際に、マヤ社会が出現する遥か以前に非常に膨大な形で存在したものです。
このことをはっきりさせておきます。
皆さんが言うマヤ暦は、マヤ人に先立つ者が残したほんの僅かな残滓なのです。

メキシコのユカタン半島やガテマラなど、マヤの先祖たちが住んでいた地域は、地震と大洪水が起きてアトランティスが最終的に海中に沈む前のポセイダのあるアトランティス島と繋がっていた地域です。
アトランティスの崩壊前に、アトランティス人が中央アメリカとエジプトで持っていた、高度に進んだテクノロジーのある社会でした。
中央アメリカ、南アメリカ、それにエジプトのコロニーと文化は、アトランティスの崩壊が起こる何千年も前の期間、一なる法則という高度にスピリチュアルなアトランティス社会でした。
これらの社会の中には一握りのエリートと科学僧と呼ばれる非常に進んだグループがいました。
アトラ・ラ(Atla-Ra)という碩学たちは物質を凌ぐ意識科学に大変長けていました。
このマスターたちは意識物理学によって完全に意識を操作し、完全な意識状態で多次元をコントロールしました。

ここの科学僧たちはエーテル的にバイ・ロケーション(同時に複数の場所に存在すること)や物理的に姿を現す事のできる手段を持っていました。
地球の物理的な場所だけでなく、宇宙や銀河にまで行くことができたのです。

このようなアトラ・ラという碩学たちは、プレアデス人-シリウス人連合と交流していました。
事実、マヤのような周期型カレンダーの生みの親だったのです。

マヤ社会にはマヤの科学僧というものは全然現れ(い)ませんでした。
だからこそ、マヤ人が今日の人にとって大きな謎なのです。
マヤの人たちの技術には大きな進歩が見られますが、でも社会全体は田舎同然で、歪んだ独裁者の下で人間を生贄にしたり、異常な行為が行われたりと見苦しい儀式が行われていました。
だから、そのカレンダーはどう見ても、マヤの社会以前にあったと理解することが論理的です。

時を前後して、南アメリカ、ユカタン、エジプト、その他の忘れられた文化の科学僧たちは意識物理の科学的知識と天文学、次元的周期に関する知識を持っていました。

意識物理学の科学とその知識を活用する能力を理解すると、現在のテクノロジーと科学界が持っている知識と、かつての高度な社会が知っていたものとの違いやギャップが何か、それがはっきり分かります。
☆思考が正確に物質に及ぼす力は人類にはまだ理解されていません。
忘れられた科学になっています。

科学僧たちは、物理的な非物質化と再現の技(わざ)をよく知っていました。
この技は、バイ・ローケーションによるタイムトラベルに関してだけでなく、物質までも、つまり、巨大なピラミッドをどう建設したかにまで関わることなのです。

アトラ・ラとその後継者たちは、物質を3次元からいわゆる反重力の場に変移させることによって3次元物理学を意識で変更することが出来ました。
そして非物質化と変形、そして密度のない実体に再現できたのです。
彼らは特定の状況下で自分のリアリティと次元を変えることができました。

科学僧は高度に集中した思考を使って物質を全く違うスペクトラムに変えることに熟達していました。
物質は光と同じようにスペクトラムの波の中に存在することが理解できており、違う振動に変えることができたのです。
したがって、原子をもつ物質を無重力状態に変形することが出来ました。
それだけでなく半固形物質から密度をなくしたり、物質と反物質のスペクトラムの密度に影響をあたえることが出来ました。
反- またはパラレルではない物質の一つのスペクトラムとして、物質と反物質は、多次元スペクトラムの中では一つのサイクルを構成するものなのです。

アトランティスのアトラ・ラがマヤ暦とマヤ人が持っていた断片も開発したのであり、マヤ人はその知識の断片を手に入れてその記録を再現し、文書で保存したということなのです。
しかし、アトランティスであったように、マヤの科学僧は尊敬されていましたが、支配者でもないし、社会全体の発展を決定する権限も持っていませんでした。

以上 マヤ暦関連のチャネルでした。
https://lighworkerjapan.wordpress.com/tag/マヤ暦/

かなり抜粋  Posted on 2011年11月4日 by lightworkermike


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