いつもと違うコースを歩いてみました。
住宅地の中、小高い丘に惹かれ上ってみました。
「廿山北古墳」の標識があり、この地の説明がありました。
(この記事の最下部に説明文を載せました)
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廿山北古墳(つづやまきたこふん)は、富田林市の西域にあたる羽曳野丘陵上の標高約130メートルのところにあって、現在の金剛東団地南方の津々山台三丁目に位置しています。
この古墳は、りぼんどおりに接した津々山台2号公園として昭和63年度に保存・整備され古墳公園となっています。造成された区画の中では、ひときわ高く盛り上がっていて、遠くからもよくわかります。
古墳の規模は、一辺約32メートル、高さ約7メートルあって、古墳の形は、二段築成の方墳と考えられます。墳丘上には埴輪(はにわ)や葺石(ふきいし=土留めなどのために並べられた石)などの外部施設はなかったと思われます。また、内部構造や出土遺物についても明らかではありません。もとは、古墳の周囲に小さなため池があって、周濠(しゅうごう)があったことを思わせます。
古墳の築造年代については明らかではありませんが、この古墳の北東約700メートルには、同じ方形の外形をしている宮林古墳(4世紀後半)があることや奈良県明日香村の石舞台古墳(7世紀)と外形が似ていることも年代を考える上で参考になると言えます。
いずれにしても、市内南部の地域に勢力を誇った豪族の墳墓と考えられ、石川谷に存在する古墳の中で、保存・整備され市民の憩いの場として活用されている貴重な文化財です。
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