10/5 出雲大社の次に行ったのは、2007年に世界遺産に指定された「石見銀山」です。
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世界遺産に登録までの経緯は、簡単なものではなかったようです。
『2007年5月、遺跡の「顕著な普遍的価値」の証明が不十分であることを理由に「石見銀山」の登録は延期となりました。
日本政府や地元は「世界遺産への登録は極めて厳しい」と判断しましたが、ユネスコの日本政府代表部は、110ページにわたる英文の「補足情報」を送るなどして、石見銀山の特徴である「山を崩したり森林を伐採したりせず、狭い坑道を掘り進んで採掘するという、環境に配慮した生産方式」を積極的に紹介し、巻き返しのための外交活動を展開しました。
その結果、「21世紀が必要としている環境への配慮」がすでにこの場所で行われていたことが反響を呼び、6月28日、世界遺産(文化遺産)としての登録が満場一致で決定されました。』
観光客がまず来る場所は、「石見銀山世界遺産センター」です。ここから各観光地区に向けて路線バスが15分おきに発車します。
『一般の観光コースは、
<町並みコース>
大森バス停 → 五百羅漢 → 旧川島家 → 熊谷家住宅 → 大森代官所跡
<銀山コース>
清水谷精錬所跡 → 龍源寺間歩 → 豊栄神社 → 石見銀山公園
『自然との共生栄えた銀山が衰退後、自然に溶け込みながらその遺跡を残して現代に至っている。
これを人類共通の財産として後世に引き継いでいきたい。(太田市観光協会)』
事前に、何人かの感想を聞いてみたものの十分その値打ちを説明してもらえることはありませんでした。
「見学は期待しない方がいい」「ほどほどでいい」という見解が多かったように思います。
そして私自身事前に観光案内などをみてもその価値がよく分からず、それほど期待もしていなかったと言えます。
私たちが、巡ったコースは一般観光コースではなく、一グループ20名までのガイドさんの付く「本谷地区ツアー」でした。
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バスで約30分山の中を進み、バスをおりました。
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さらに標高差300mほどの山を登っていきます。
一見変哲のない山歩きが続きます。
金生坑 → 大久保間歩 → 露頭掘り跡 → 釜屋間歩 を見て回りました。
※間歩は、江戸時代以前の坑道の呼び名、坑は、明治以降の坑道の呼び名
金生坑
大久保間歩
大久保間歩は最大の坑道跡で、入坑前の受付所で全員長靴に履き替え、ヘルメットをかぶり、懐中電灯を渡されました。
坑内は低いところは頭を打つくらいの高さしかなく、水たまりとぬかるみの真っ暗闇の坑道を奥へ奥へと進んでいきます。
坑内の写真はストロボで明るく写せていますが、この後の動画でも分かる通り、懐中電灯だけが頼りです。
釜屋間歩
※釜屋間歩は、山師の安原伝兵衛が発見したといわれる坑道。
発掘調査で見つかった階段やテラスなどの岩盤加工痕が四方に広がる。
ガイドさん付きのツアーはここで終わり、下山した後、当時(江戸時代)の鉱山町の風情を伝える大森町並み地区に向かいました。
石見銀山の政治経済の中心地だったところです。
武家や商家、社寺仏閣など様々な建物が混在しているのが特徴です。
往時の繁栄を感じ取ることができます。
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大久保間歩入口
大久保間歩内
見て楽しめたり感動できる雄大な景観やうつくしい見晴らしを持たない「石見銀山」です。
世界遺産に登録されて6年目、
ここを訪れた多くの人にとって世界遺産としての価値を語ることは難しいのではないでしょうか?
また地元の方々にとっても同じく価値を広く知らせることがどれほど困難かを想像することができます。
室町時代から戦国時代に至る毛利氏の繁栄そして江戸時代の繁栄に大いに貢献したのは、ここ「岩見銀山」だったと言えます。
中国明朝時代に銀貨の原料として提供し、さらに陸と海のシルクロードを通ってヨーロッパへも流れ、世界の銀産出量の1/3を供給しました。
アジアの東のはてに「ジパングあり」のうわさを知って、当時の冒険者ははるばる海を越え種子島に渡り着いたのです。
その後、商人や宗教家(キリスト教徒)も来日しました。いずれ日本を植民地にしようという意図もあったのでしょう。
景観や壮大さを誇る多くの自然遺産や文化遺産と違い、
深い歴史知識から鉱山で働いていた人々の生活までを理解した方の語りによって
初めて世界遺産としての値打ちを知ることができたように思います。
ジパングの時代から営々と、世界では類いまれな日本人の気質と命を吹き込んで、様々に形を変えて
今に至るまで日本が世界に貢献できたことに思い至り、胸が熱くなりました。
これから「岩見銀山」を訪れるなら、地元の方が語ってくれるツアーに参加することをお勧めします。
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世界遺産に登録までの経緯は、簡単なものではなかったようです。
『2007年5月、遺跡の「顕著な普遍的価値」の証明が不十分であることを理由に「石見銀山」の登録は延期となりました。
日本政府や地元は「世界遺産への登録は極めて厳しい」と判断しましたが、ユネスコの日本政府代表部は、110ページにわたる英文の「補足情報」を送るなどして、石見銀山の特徴である「山を崩したり森林を伐採したりせず、狭い坑道を掘り進んで採掘するという、環境に配慮した生産方式」を積極的に紹介し、巻き返しのための外交活動を展開しました。
その結果、「21世紀が必要としている環境への配慮」がすでにこの場所で行われていたことが反響を呼び、6月28日、世界遺産(文化遺産)としての登録が満場一致で決定されました。』
観光客がまず来る場所は、「石見銀山世界遺産センター」です。ここから各観光地区に向けて路線バスが15分おきに発車します。
『一般の観光コースは、
<町並みコース>
大森バス停 → 五百羅漢 → 旧川島家 → 熊谷家住宅 → 大森代官所跡
<銀山コース>
清水谷精錬所跡 → 龍源寺間歩 → 豊栄神社 → 石見銀山公園
『自然との共生栄えた銀山が衰退後、自然に溶け込みながらその遺跡を残して現代に至っている。
これを人類共通の財産として後世に引き継いでいきたい。(太田市観光協会)』
事前に、何人かの感想を聞いてみたものの十分その値打ちを説明してもらえることはありませんでした。
「見学は期待しない方がいい」「ほどほどでいい」という見解が多かったように思います。
そして私自身事前に観光案内などをみてもその価値がよく分からず、それほど期待もしていなかったと言えます。
私たちが、巡ったコースは一般観光コースではなく、一グループ20名までのガイドさんの付く「本谷地区ツアー」でした。
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バスで約30分山の中を進み、バスをおりました。
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さらに標高差300mほどの山を登っていきます。
一見変哲のない山歩きが続きます。
金生坑 → 大久保間歩 → 露頭掘り跡 → 釜屋間歩 を見て回りました。
※間歩は、江戸時代以前の坑道の呼び名、坑は、明治以降の坑道の呼び名
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大久保間歩は最大の坑道跡で、入坑前の受付所で全員長靴に履き替え、ヘルメットをかぶり、懐中電灯を渡されました。
坑内は低いところは頭を打つくらいの高さしかなく、水たまりとぬかるみの真っ暗闇の坑道を奥へ奥へと進んでいきます。
坑内の写真はストロボで明るく写せていますが、この後の動画でも分かる通り、懐中電灯だけが頼りです。
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※釜屋間歩は、山師の安原伝兵衛が発見したといわれる坑道。
発掘調査で見つかった階段やテラスなどの岩盤加工痕が四方に広がる。
ガイドさん付きのツアーはここで終わり、下山した後、当時(江戸時代)の鉱山町の風情を伝える大森町並み地区に向かいました。
石見銀山の政治経済の中心地だったところです。
武家や商家、社寺仏閣など様々な建物が混在しているのが特徴です。
往時の繁栄を感じ取ることができます。
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大久保間歩入口
大久保間歩内
見て楽しめたり感動できる雄大な景観やうつくしい見晴らしを持たない「石見銀山」です。
世界遺産に登録されて6年目、
ここを訪れた多くの人にとって世界遺産としての価値を語ることは難しいのではないでしょうか?
また地元の方々にとっても同じく価値を広く知らせることがどれほど困難かを想像することができます。
室町時代から戦国時代に至る毛利氏の繁栄そして江戸時代の繁栄に大いに貢献したのは、ここ「岩見銀山」だったと言えます。
中国明朝時代に銀貨の原料として提供し、さらに陸と海のシルクロードを通ってヨーロッパへも流れ、世界の銀産出量の1/3を供給しました。
アジアの東のはてに「ジパングあり」のうわさを知って、当時の冒険者ははるばる海を越え種子島に渡り着いたのです。
その後、商人や宗教家(キリスト教徒)も来日しました。いずれ日本を植民地にしようという意図もあったのでしょう。
景観や壮大さを誇る多くの自然遺産や文化遺産と違い、
深い歴史知識から鉱山で働いていた人々の生活までを理解した方の語りによって
初めて世界遺産としての値打ちを知ることができたように思います。
ジパングの時代から営々と、世界では類いまれな日本人の気質と命を吹き込んで、様々に形を変えて
今に至るまで日本が世界に貢献できたことに思い至り、胸が熱くなりました。
これから「岩見銀山」を訪れるなら、地元の方が語ってくれるツアーに参加することをお勧めします。
石見銀山の人夫さんは、高級取りで子供にも高額な養育費が支給されていたそうです。
しかし、真っ暗闇の坑道で銀脈を探し掘り出す作業は並大抵のことではなかったのでしょう。
寿命は30歳ほどで、子供たちも11歳になると親の後を継いだそうです。
すごいと思ったのは、時の政権(経営者)が過酷な仕事に相応な報酬を支払っていたこと。
乱開発や公害を出さず、住民の文化的な生活や自然の景観を維持したことです。
世界のお手本となるような鉱山開発だっとようです。
銀山採掘のために掘られた「間歩」と呼ばれる
坑道は、ツアー形式の限定公開でとっても
価値がありますよね。
歴史好きの先生には、今回の旅もまた家族と
共に楽しめて良かったことでしょう。
なかなか見られない写真を有難うございました。
知らなかったことをたくさん知ることができる旅はいいです。
家から出るのもいいし、日常生活から離れるのもいいし、みんなとワイワイ喋りながら歩き回るのもいい。
今年は「旅満載です」
「時代祭り」天気が良ければいいですね。