一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

行きたい気分

2009年04月08日 | 最近のできごと
 先月、送られてきた案内状は3通。1通目は、銀座のクラブの30周年記念パーティ。そのクラブへは、もう何年も行っていない。たまにメールのやりとりぐらい。その店へ一番よく行ったのは菊村到先生に誘われてであり、先生が亡くなられた後は、数回だと思う。そう言えば、ママから電話を貰ったことがある。故・尾崎秀樹先生の出版記念パーティで、数日前に電話がかかって一緒に飲むことになっていた記録映画作家のT氏と、会場を出る間際にそのクラブへ行く雰囲気になり、気がつくと、ママもホステスも私たちしか連れて行けなかったため、感謝されたらしかった。それで、翌日、電話がかかって来たのだが、何を話したのか、長電話になった記憶がある。
 その案内状で思い出したのは、2か月前に東中野へ行った時、以前、よく行ったピアノ・バーがなつかしかったが、その店のママから、20周年記念パーティの発起人に、私の名前を使わせて欲しいという電話がかかってきたこと。当日、私は都合が悪くて行けなかった。その店は、パーティなどで銀座へ流れた後に、タクシーで戻って来て最後に寄る店という感じで、いろいろな人に誘われて行った。私がこの業界で仕事が増えるきっかけを作って下さった、故・豊田行二先生に誘われて行ったことが一番多かった。
 カウンターとボックス席が3つぐらいの比較的小さな店なので、貸し切りみたいに、作家・編集者・画家・漫画家などばかりが客、という時が多く、一番、印象に残っているのは、誰かにすすめられ、カウンターの内側に入って、ふざけてホステスの真似をしたこと。と言っても、ほんの10分ぐらいで、ママがやって来て、「座って下さい、日当高くつくから」なんて調子を合わせたり。元シャンソン歌手のママは小柄でチャーミングな容貌。思い入れたっぷりの歌も素晴らしく、故・小林秀美氏から特に絶賛されていた。そのピアノ・バーへ、最後に行ったのは、故・富島健夫先生に誘われて飲んだ日だった。
 こう書いて来て、何度も名前に<故>を付けることが寂しくなる。そのピアノ・バーもそうだったけれど、先月、案内状が送られてきたクラブも、私は代金を払ったことが一度もない。女性はたいていそうだから、特に書くことでもないけれど、30周年記念パーティの会費を払えば、最初で最後とは言わないけれど、ママを喜ばせることになるかもと思ったりする。
 2通目は、女流イラストレーターの個展のオープニング・パーティの案内状。雑誌掲載の私の小説に、ロマンティックできれいな絵を描いてくれた彼女の個展。グループ展には何度か行ったことがあるが、最近はあまり行っていない。昨年の春、中堅挿絵画家の個展のオープニング・パーティで会ったのが数年ぶり。打ち合わせなどで一緒に飲むと、私のアルコールとか料理とかお絞りとか、感心するほど、気を遣ってくれた。イラストレーターが多い飲み会だったかで、彼女はもっと飲みたそうだったのに、私が帰ると言ったら、タクシーで送ってくれたことがある。そのタクシーの中で、「いつまでも売れるとは思ってないのよ」と、酒席とは全く違う口調で彼女が呟くように言ったのを憶えている。──いつまでも売れるとは思ってない──この業界の人で多少でも売れた時期のある人なら、誰でも呟きたくなる言葉かもしれない。もちろん、いつまでも売れ続けている作家もイラストレーターもいる。
 私の場合は月に数百枚のころは書くのが辛(つら)くて辛くて辛くて、
 ──いつまでも、こんな日が続くはずないわ──
 と、自分に言い聞かせ、締切日の神経性胃炎的腹痛と闘いながら、原稿から一分一秒も早く解放されたくてたまらなかった。小説でも挿絵でも仕事量が多いということは収入が多く喜ばしいけれど、女性にとっては特に、犠牲にするものがあったのではと、彼女に聞いてみたい気もする。
 3通目の案内状は所属団体の懇親パーティで、これは来月。
 送られてきた案内状を見れば、人と会うのが大好き人間の私は、たいていワクワクしながら出席したくなる。けれど、当日になると、何故かそんな日に限って行けない事情も起こりがちなのだけれど──。
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