一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

料理の取り合わせ

1991年01月01日 | 過去のエッセイ
 学生時代やOL時代の外食といえば、ピザやスパゲティやピラフが多かった。飲み物はコーヒーか紅茶かミルクティー。
 OLをしていたころ、親しくしていた先輩OLと、行きつけの店でよく昼食を共にしたが、2人とも注文するのはサラダ付きのピザ・トーストだった。その店のピザ・トーストはチーズと具がたっぷり乗っていて、美味しくてボリュームがあった。サラダも小皿ではなく大きめの中皿に、たっぷり盛りつけてある。食事をすませると、同じビル内の喫茶店でコーヒーを飲む習慣だった。コーヒーは、いつも先輩OLが奢ってくれた。その先輩OLは総務部で、私は企画制作部。
 時々、企画制作部の先輩社員や上司たちと昼食を共にすると、和食店に入り、焼肉定食や焼魚定食を付き合うことになる。ご飯、味噌汁、焼肉か焼魚、煮物、漬け物といった定食の料理だが、家庭料理と同じメニューを、よく昼食に食べられると不思議だった。それに野菜サラダがほんの少ししか付いていないのが不満だった。
 そのころはサラダが美容に良いと信じていたので、どんな料理の取り合わせにも欠かさなかった。
 退社して1年足らず、結婚と同時に妊娠したので、酸味のある食べ物を欲したため、サラダにはドレッシングの他にレモン1個を絞ってかけたり、柑橘類の果物も好きで、毎食後に食べた。妊娠していたころは、私の食事の栄養を、夫だった彼がいつも考えてくれたり買って来てくれたりした。カルシウム、ビタミン、鉄分、たんぱく質を摂取するために、野菜、豆類、海藻、それに配達の牛乳を毎日500ml飲んだ。牛乳は子供のころから好きだから美味しく飲めた。また、それまで肉か魚のメイン料理の取り合わせといえば、サラダしか食べなかった私が、煮物や酢の物や和え物も食べるようになった。
 ところが、30歳ぐらいの時、何かの本を読んで、サラダ信仰がくずれた。野菜サラダを摂るなら、料理用ボールの大サイズぶんぐらい食べなければ効果はないと書かれていたのである。
 そんな記事をあちこちで読んで、それまで中皿に盛りつけていたサラダを、肉料理の時に付け合わせにするくらいになった。
 代わりに、3、4種類のフルーツを中皿いっぱいに盛りつけて食べる習慣がついた。それは、食後にフルーツの皮をむいたり切ったりするのが面倒だからでもあった。
 フルーツ・ヨーグルトも、よく作って食べた。
 30代になると、美容のためだけでなく健康のことも考えて食事するようになる。私は胃がデリケートな体質なので、いろいろな本を読むと、乳製品や緑黄色野菜がいいことがわかった。乳製品は、もともと大好きである。緑黄色野菜の摂り方が、問題だった。生では、たくさん食べられない。そこで、ゆでたり煮たり炒めたりすることにした。
 ほうれん草や春菊のおひたし。ニラの卵とじ。キャベツとにんじんとシイタケとピーマンの炒めなど。
 こうすると、野菜が残って腐ったりすることもないし、簡単に作れる。
 おひたしは、たっぷり作っておいて、3回ぐらいに分けて食べる。2回目か3回目のほうれん草のおひたしは、バターで軽く炒めて食べるのが好きだった。
 煮物や酢の物も、よく作るようになった。そこで、メイン料理が焼魚であってもハンバーグであっても、その取り合わせはおひたしや煮物、酢の物がつくようになった。
 食べ物の好みは年齢と共に変わるというけれど、野菜といえばサラダしか食べなかったような20代のころと、大きな変化である。美容と健康のためだけではなく、実際におひたしや煮物が好きになったのだから。
 それから、カレーライスの時に、ワンタン・スープを作る。スープの中にはワンタンの他にニラとモヤシを入れる。
 カレーを煮込む長い時間に、何か作ろうと思って考えたのだが、妙な取り合わせだけれど、美味しくて気に入っている。
 そんなふうに、自分であれこれ考えて工夫した時の食事が美味しいと、料理の楽しさをつくづく感じる。

※ミニコミ誌『あじくりげ』 1991年1月1日掲載

     
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