一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

男のままごと遊び

1993年06月01日 | 過去のエッセイ
〈男子厨房に入らず〉という言葉は死語になってしまったくらい、男の料理が流行している。
 流行と言っても、好きで作る人だけでなく、必要に迫られてという人もいるだろう。老後のことを考えて、勤めをしながら料理教室に通う中年熟年男性も、けっこういるらしい。
 知り合いの編集者たちに聞いても、酒の肴は自分で作るという人が多い。
 私が子供のころ、家族は祖父母、父母、兄と姉の7人家族だった。料理は女が作るもの、という封建的な家である。明治生まれの祖父は、とても怖い人で、傍へ近寄るのも口をきくのもできないほどだった。誰もが祖父にビクビクしているような時もある感じだった。食事の時、口に合わない料理や出来ばえの物があったりすると、その皿を引っくり返しかねない人だった。実際には、そうしたことは1度もなかったけれど。時々、祖父は外泊したが、いかにも明治生まれ男性ということを、ずっと後日に知った。
 それに比べて大正生まれの父は、もの静かで、おっとりした温厚な性格で、感情の起伏の激しい母のお喋りを「うん、うん」と言葉少なに聞くやさしいタイプの人。料理に好き嫌いはあまりなかったが、カレーライスは嫌いだった。祖父も好まなかった。
 子供たちはカレーライスが大好きである。だからカレーの他に煮魚とか、揚げ物とかも母は作る。家族が7人もいると、好みも作り方も違う物が多く、何種頼も作らなければならなかったようだ。
 祖父は、まさに「男子厨房に入らず」の人で、台所へ足を踏み入れるのを一度も見たことがないが、父はそうでもなかった。
 年に数回という感じだが、父は好物の天ぷらを作った。とても楽しそうに、材料の下ごしらえからするのである。男が料理をするのは珍しいから、私は傍で眺めていたが、何だか「男のままごと遊び」みたいで、おかしくてたまらなかった。
 そのころ私は天ぷらは、あまり好きではなかった。子供時代は誰でもそうかもしれないが、好き嫌いが激しいものだ。けれども、身体が弱かったので、両隣に座る母と祖母から、これを食べると「身体が丈夫になる」「病気をしない」などと、嫌いな魚や野菜など少しでも食べるように言われる。
 天ぷらも嫌いで、二口か三口食べると、もう食べられない。けれども父の作った天ぷらは、母たちが作ったのより具が大きめで、食べにくく美味しくもなかったのだが、いつもより私は無理して食べた。
 正確に言えば、客観的に美味しくない出来ばえだったが、美味しく感じられた。それは、父が楽しそうに「男のままごと遊び」みたいにして作った天ぷらだからである。
 それと、「美味しい」と言えば、父が喜ぶからだ。私は末っ子なので、子供のころは、家族も親戚も近所の人たちも、さらに言えば世界中の人間が、大事にしてくれチヤホヤしてくれ可愛いがってくれるのが当然、みたいに思っていた。
 ところが父は3人の子供に公平で、全然私を、えこひいきしてくれない。だから父へのおもねりで、父の作った天ぷらを無理して食べたのかもしれない。母も同じように3人の子供に公平だった、と思う。祖父は子供嫌いの性格に感じられた。祖母は、末っ子の私を溺愛した。まるでそのことが生きがいのようにだった。人間の性格や人格形成は幼少期に影響されるとか定まってしまうとか読んだことがあるが、自己分析してみると確かに末っ子の私への祖母の溺愛が、大人になってからも私の性格や人間性に影響していると思うことがある。多くの家で、祖母は末っ子を溺愛するものと聞いたことがあり、他人と話していて末っ子と知ると、私と同じ一面があるかもと思ったりする。
 私が短大一年の時、兄が結婚した。その挙式の日、私は初めて振り袖を着た。祖母は私の振り袖姿を、姉のそれより似合うと何度も褒めてくれた。
 兄夫婦は敷地内の離れの家に住んだが、食事は母屋(おもや)で家族と一緒にとる。台所には、祖母、母、義姉、料理学校に通っていた姉、の合計四人がペチャクチャとお喋りしながら料理に励んでいる。たまに、私が部屋へ入って行くと、「邪魔、邪魔」なんて追い出されたりすることもあった。料理は作るより味見のほうが好きだった。
 そのころはもう父も気まぐれに天ぷらを作ることもなくなっていた。それでもお茶ぐらいは、自分でいれられる。兄はお茶ひとつ、いれられない人だ。私がかつて結婚していた相手は、時々、料理を作ってくれた。当然だが、男性にもいろいろなタイプがいる。
 男の料理流行は、世の奥さんたちにとっては喜ばしいことでも、独身の私には賞味するチャンスのないことが、残念である。 

※ミニコミ誌『あじくりげ』445号 1993年6月1日掲載

       
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