テレビのトーク番組で、専業主婦を攻撃するような本を書いたノンフィクション作家と、対立する専業主婦たちが討論しているのを、興味深く見た。
専業主婦たちは、毎日の家事のハードな労働力を強調し、金銭に換算できると主張していたけれど……。
そうかしら、と私は少し疑問だった。
家が商売しているとか、介護の親がいることを別にすれば、主婦が家事を楽しいと感じるか、ハードな労働と思うかは、夫次第ではないかと私は思う。
主婦がいきいきと楽しそうに家事に専念するのは、結婚生活が幸福だから、ではないだろうか。
家事は、一種の愛情表現、と言えるような気がする。
前夜、夫からたっぷりと愛されて、幸せな眠りにつく。目覚めた朝も幸せで、食事の用意もハミングしながらするほど楽しい。
食卓についた夫が、
「朝から、ずいぶんボリュームのある食事だネ」
テーブルの上の、カロリーたっぷりの料理を見て、目を丸くする。
「だって、ゆうべのあなた、ベッドでエネルギー消耗しちゃったでしょ、うふッ」
昨夜のことより、今夜のことを妻は考えての料理かもしれない。
洗濯だって楽しい。愛の行為を思い出しながら、シーツやタオルや夫の下着を洗うのだ。
愛する夫との城である家の、リビングや寝室を掃除するのだって浮き浮きする。ベッド・メイキングしながら、一人で思い出し笑いしたり、顔を赤らめたりしてしまうかもしれない。
アイロンがけだって、浴室磨きだって、夫との愛の暮らしなら楽しいはずだ。
決して新婚時代に限ってではない。夫から愛されている、と感じながら生活している主婦にとって、どんな家事も楽しいもの――と、20代の時に専業主婦の経験がある私は思う。
毎日の家事が好きな妻にするのも、家事を嫌いな妻にするのも、夫である、と言えるのではないだろうか。
そう言えば、このごろ妻が〈手抜き家事〉をしているナと思ったら、ご主人も〈手抜きセックス〉をしていたかもしれないと、反省してみたほうがいいかも――。
専業主婦たちは、毎日の家事のハードな労働力を強調し、金銭に換算できると主張していたけれど……。
そうかしら、と私は少し疑問だった。
家が商売しているとか、介護の親がいることを別にすれば、主婦が家事を楽しいと感じるか、ハードな労働と思うかは、夫次第ではないかと私は思う。
主婦がいきいきと楽しそうに家事に専念するのは、結婚生活が幸福だから、ではないだろうか。
家事は、一種の愛情表現、と言えるような気がする。
前夜、夫からたっぷりと愛されて、幸せな眠りにつく。目覚めた朝も幸せで、食事の用意もハミングしながらするほど楽しい。
食卓についた夫が、
「朝から、ずいぶんボリュームのある食事だネ」
テーブルの上の、カロリーたっぷりの料理を見て、目を丸くする。
「だって、ゆうべのあなた、ベッドでエネルギー消耗しちゃったでしょ、うふッ」
昨夜のことより、今夜のことを妻は考えての料理かもしれない。
洗濯だって楽しい。愛の行為を思い出しながら、シーツやタオルや夫の下着を洗うのだ。
愛する夫との城である家の、リビングや寝室を掃除するのだって浮き浮きする。ベッド・メイキングしながら、一人で思い出し笑いしたり、顔を赤らめたりしてしまうかもしれない。
アイロンがけだって、浴室磨きだって、夫との愛の暮らしなら楽しいはずだ。
決して新婚時代に限ってではない。夫から愛されている、と感じながら生活している主婦にとって、どんな家事も楽しいもの――と、20代の時に専業主婦の経験がある私は思う。
毎日の家事が好きな妻にするのも、家事を嫌いな妻にするのも、夫である、と言えるのではないだろうか。
そう言えば、このごろ妻が〈手抜き家事〉をしているナと思ったら、ご主人も〈手抜きセックス〉をしていたかもしれないと、反省してみたほうがいいかも――。