先日、7年ぶりに親友と再会した。互いに顔を見たとたん、抱き合いたいくらい、なつかしかった。学生時代に知り合って以来の親友である。私と違って、もの静かで、頭が良くて、繊細で、ニヒリストの彼女。私には読めないような難解な本をたくさん読み、学生運動の経験もあって、時々、自殺願望を口にした。何かに悲観してとか絶望してではなく、自分の存在がとても小さく感じられる、この世界で自分が存在する意味が見出せない、でも親が悲しむと思うと死ねないと言うのだが、私には抽象的過ぎるというか哲学的過ぎるというか、あまりよく理解できなかった。
そのころ私は恋愛小説ばかり読み、人生は素晴らしいものと考えていた。死は遠くにあったし、自殺など考えたこともなかった。この世に生まれたことの喜びを感じ、生きること、これから生きて行くことがワクワクするほど楽しくて、うれしくて、幸せに感じられた。
対照的な考え方をする私たちは、とても気が合って、長い手紙を交わしたり、一緒に旅行したりした。
彼女は現在、地方で夫と暮らしていて、会社勤めをしている。大阪へ行く用事があって、帰りに東京に寄ったのである。シティホテルのカクテル・ラウンジで飲みながら、お喋りしたのだが、
「離婚も考えたのよね」
と、彼女は呟くように言った。夫のある事実を知って以降、彼女にも新たな心境の変化があり、夫婦の会話がないというのである。子供はいないし、別れたほうがいいのではと、私が言うと、
「修羅場をくぐり抜ける自信がない」
彼女は、そう答えた。私は彼女が離婚したら、また東京に住んで、以前のように度々会えるという期待で、しきりに離婚をすすめてしまった。偽りの結婚生活は、人生の無駄であり、自分を欺くこと。夫婦であれ恋人同士であれ、男と女は互いに恋愛感情を持てなくなったら、もう終わりである。
「人生って、たった一度きりじゃないの。自分の心を欺いて生きることはないと思うわ」
というような私の言葉に、女性にしては珍らしいほどニヒルな思考をする彼女は、
「☆子さんらしいわね」
と、苦笑するばかりだった。
確かに、離婚は男女の修羅場を経験することになる。20代の終わりのころ、私はそれを経験した。毎晩のように話し合って1年経った時、私と彼は、友達のような感じになった。離婚前夜、正確には別居前夜、リビングのテーブルにウィスキーやワインや食べ物をたくさん並べて、2人きりのお別れパーティを開いた。
7年と9か月の結婚生活の思い出話。修羅場だった数か月のこと。現在の心境。今後のこと。それらを語り明かし、2人とも酔っていたので夫婦の行為もした。今では友人関係になり、時々、娘と3人で食事をする。
私は良い妻ではなかったが、彼は最高の夫であったと、今でも思う。離婚の原因は、生き方の違いである。私たちは空気のような存在の夫婦には、なれなかった。いつまでも恋人同士のように、純粋に愛し合っていたかった。愛がなくて一緒に暮らせる夫婦が世間に多いが、私にはそんな人生は考えられなかった。
とは言え、離婚は当人同士より周囲の人間の心を傷つける。電話で母に泣かれたのは初めてのことだった。幼い娘を悲しませてしまった。けれども、やはり、自分の人生を生きたいと思ったのである。
考えてみれば──。親友の彼女と7年前に再会した時は、私の離婚話が出た。彼女は私に、離婚をすすめる言葉を口にした。
安定した妻の座に居続けることができない要素を、私と彼女は共通して持っているような気がした。
※掲載誌『随筆手帖』1988年12月10日号 (加筆)
そのころ私は恋愛小説ばかり読み、人生は素晴らしいものと考えていた。死は遠くにあったし、自殺など考えたこともなかった。この世に生まれたことの喜びを感じ、生きること、これから生きて行くことがワクワクするほど楽しくて、うれしくて、幸せに感じられた。
対照的な考え方をする私たちは、とても気が合って、長い手紙を交わしたり、一緒に旅行したりした。
彼女は現在、地方で夫と暮らしていて、会社勤めをしている。大阪へ行く用事があって、帰りに東京に寄ったのである。シティホテルのカクテル・ラウンジで飲みながら、お喋りしたのだが、
「離婚も考えたのよね」
と、彼女は呟くように言った。夫のある事実を知って以降、彼女にも新たな心境の変化があり、夫婦の会話がないというのである。子供はいないし、別れたほうがいいのではと、私が言うと、
「修羅場をくぐり抜ける自信がない」
彼女は、そう答えた。私は彼女が離婚したら、また東京に住んで、以前のように度々会えるという期待で、しきりに離婚をすすめてしまった。偽りの結婚生活は、人生の無駄であり、自分を欺くこと。夫婦であれ恋人同士であれ、男と女は互いに恋愛感情を持てなくなったら、もう終わりである。
「人生って、たった一度きりじゃないの。自分の心を欺いて生きることはないと思うわ」
というような私の言葉に、女性にしては珍らしいほどニヒルな思考をする彼女は、
「☆子さんらしいわね」
と、苦笑するばかりだった。
確かに、離婚は男女の修羅場を経験することになる。20代の終わりのころ、私はそれを経験した。毎晩のように話し合って1年経った時、私と彼は、友達のような感じになった。離婚前夜、正確には別居前夜、リビングのテーブルにウィスキーやワインや食べ物をたくさん並べて、2人きりのお別れパーティを開いた。
7年と9か月の結婚生活の思い出話。修羅場だった数か月のこと。現在の心境。今後のこと。それらを語り明かし、2人とも酔っていたので夫婦の行為もした。今では友人関係になり、時々、娘と3人で食事をする。
私は良い妻ではなかったが、彼は最高の夫であったと、今でも思う。離婚の原因は、生き方の違いである。私たちは空気のような存在の夫婦には、なれなかった。いつまでも恋人同士のように、純粋に愛し合っていたかった。愛がなくて一緒に暮らせる夫婦が世間に多いが、私にはそんな人生は考えられなかった。
とは言え、離婚は当人同士より周囲の人間の心を傷つける。電話で母に泣かれたのは初めてのことだった。幼い娘を悲しませてしまった。けれども、やはり、自分の人生を生きたいと思ったのである。
考えてみれば──。親友の彼女と7年前に再会した時は、私の離婚話が出た。彼女は私に、離婚をすすめる言葉を口にした。
安定した妻の座に居続けることができない要素を、私と彼女は共通して持っているような気がした。
※掲載誌『随筆手帖』1988年12月10日号 (加筆)