切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

観音寺 京都市上京区・・・百たたきの門

2021-10-19 23:06:40 | 撮影
観音寺



『観音寺
 慈眼山と号し、浄土宗に属する。
 慶長一二年(一六〇七)梅林和尚が一条室町に創建した。その後、天明の京都大火に遭って、建物をはじめ記録を焼失してしまったので、正確な寺史は困難となっている。
 伝えによれば、山門は旧桃山城の牢獄の門を移建したものといわれ、罪人を釈放するに当たってこの門前で百回たたいたと伝えられ、「百たたきの門」と呼ばれていた。
 また、門の扉は楠の一枚板でできており、「出水の七不思議」の一つに数えられている。
 境内の観音堂の本尊は運慶の弟子安阿弥の造顕といわれ、堀川一条にあって一三九〇年に疫癘(えきれい)の時死屍を捨てるものが多く、山名重氏は鎮疫を祈念し、霊験により死屍を蘇生させた。
 延喜一八年(九一八)に没した三善清行の葬送の時、その子浄蔵が佛神に祈って蘇生させたという、返り橋の名は戻り橋と呼ばれ、観音堂の信仰を集めて千人堂と称せられるようになった。慶長の頃に現地に移され、洛陽観音ニ十七番に数えられている。境内の「よなき地蔵」も著名である。
  京都市』  (駒札より)

  

 同名のお寺は京都市内にもいくつかあるが、こちらは上京区にあり、JR山陰線円町駅から北東へ約1 km 足らず。周辺は主に住宅街となっている。近くには二条城もある。創建の由緒等については上記駒札の通りだ。
 しかし天明の大火によって消失し、それ以降の変遷については不明な点が多く、第一この地に元々あったものなのかどうかも定かではない。ひょっとして移転してきたのかもしれない。
 道路上から正面に観音寺を見るとごく普通のお寺という印象だ。近づいて駒札を見る。山門の板は山門全体の使用木材に対して明らかに傷みが進んでおり、古いように見える。駒札の記述にあるように、この門は楠の一枚板でできておりとある。その板を何枚か組み合わせて両開きの門となっている。これが七不思議と言われるのは、このような大きな一枚板がどこから調達されたのか、こんなに大きな楠があったのか、ということの不思議さなんだろうと思う。
 そしてこの門は旧伏見城(桃山城)の牢獄のものだったと言われる。伏見城は豊臣秀吉によって築城され、徳川氏によって豊臣氏が滅ぼされた後、約20年後に城は廃棄され解体された。その時に一部の利用できるものがあちこちに分けられたと言う。伏見城の遺構については今現在も発掘作業が続き、正確な場所はほぼ特定されていれる。全体像はその上に今は住宅等が建っているので、調査にも限界があるが、そこそこの規模であったのではないかと推察されている。近くの御香宮神社にはその伏見城の遺物である表門が利用されており、これは国の重要文化財に指定されている。
 なぜこのようなものが観音寺に据え付けられたのか、といったこともよくわからない。いずれにしろこのお寺自体が、様々な由緒を持った興味深いお寺であることだけは確かだ。

   
コメント
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