若い夫婦が子供と接しているのを見て、ついイライラしてこうした方が良いんじゃない。と、云ってしまう。私達が若い頃には、やはり、自分たちの両親もそのような感情を抱いていたのか?そう云えば、子育てのプロセスで子供の年に応じて、この頃自分はこうだったああだった、と思い出したものだ。これまた、親父おふくろも同じだったのか?むろん、時代も違うし、社会状況も違うのだが家族、子供に対する想いは共通するのか、例えば孫はかわいいとか・・・・・?
他者が記憶として身体に刻まれるというようなこともあるのか?人間が生まれ養育し、養育されるプロセスで身体的に刻まれる記憶、それは認識する、ハウツーものとかレシピものとは多少違う、その場の空気とか匂いとか、それぞれの体調の違いとかによっれても違うのかもしれない。が、いずれ他者と場を共有しているということで、その場を共有した他者それぞれが、それぞれに身体的痕跡として刻まれ、記憶の奥底で深い眠りについている。そのような記憶のようなものを、目覚めさせるのが妥当かどうか分からないが、そのようなものは、どこか懐かしそうな、何かを教えてくれそうな他者でもあるような気もする。そのように、生者の記憶の奥底に刻まれた他者の身体的痕跡は、死者なのかもしれない。私の死後はあなたに託すしかない。それはお互い様である。今後ともよろしく!とはよく云ったものである。
他者が記憶として身体に刻まれるというようなこともあるのか?人間が生まれ養育し、養育されるプロセスで身体的に刻まれる記憶、それは認識する、ハウツーものとかレシピものとは多少違う、その場の空気とか匂いとか、それぞれの体調の違いとかによっれても違うのかもしれない。が、いずれ他者と場を共有しているということで、その場を共有した他者それぞれが、それぞれに身体的痕跡として刻まれ、記憶の奥底で深い眠りについている。そのような記憶のようなものを、目覚めさせるのが妥当かどうか分からないが、そのようなものは、どこか懐かしそうな、何かを教えてくれそうな他者でもあるような気もする。そのように、生者の記憶の奥底に刻まれた他者の身体的痕跡は、死者なのかもしれない。私の死後はあなたに託すしかない。それはお互い様である。今後ともよろしく!とはよく云ったものである。