今月末の27~28日は我が寺でも報恩講である。
宗派的に報恩講とは、我が宗派の開祖である親鸞聖人様がお亡くなりになった日、つまり命日に行う行事でいささかウザい行事でもある。ではそんな行事止めちゃえば!がそうはいかないのが世の常である。それが宗派的である……がよけいウザくなる。確かに親鸞は凄い人であるのだが………。
そのウザさ解消のため我なりに考え方てみる。
親鸞もまた死者である。その行事を勤めるのは生者でもある。それは言葉を変えて云えば、やはり死者と生者の対面、応答、対話でもある。しかも七八百年前の生者とである。
それは生者と死者を媒介とした、歴史との応答でもある。
報恩とは、死者に対する供養であり、死者を心に刻み語り継ぐことでもある。それは偉い人愚かな人と云う壁を乗り越える、生者の単純な行為でもある。
「非僧非俗」とは
非僧非俗とは、僧でもなく俗でもない。僧に非ず、俗に非ず。なにこれ!
親鸞の言葉である(教行信証、後序)。
と、非僧非俗について想っていたら? 突然、あるぬ発想が頭の中を過った。
親鸞を主人公に「青春の親鸞」と云うタイトルの映画を作りたい、である。
思いつきでいい加減な物語で、恐縮なのであるが?
「青春の親鸞」
制作意図
非僧非俗について色々調べているうちに、親鸞、法然の伝記、口伝、色々な語り(現代の親鸞についての研究書も含め)を読んでいる中かから、ふと思いついてきたのがこのタイトル「青春の親鸞」である。むろんフィクションである。
その物語の重要な要素として、生者と死者の観点をいれる。それは当時の時代状況での死者への扱いと、死の観念との問題でもある。
これはなぜ夢告なのか?とも繋がって来る問題でもある。
(夢告は親鸞理解においては重要であるとされている)
例えば、その時代死者はもっと身近であった。が、その観念は汚れとして最も忌み嫌われていた。京の街は飢饉や災害で飢えた人々が溢れ、野垂れ死にした死者が放置されていた。
そのような街の様子を、叡山で修行中の親鸞は聞き及んでいたのか?--いわば方丈記的世界を知っていたのか?ーである。
そのような状況を、親鸞を含め当時の僧侶は知っていた。それを前提に話が始まる。
そのような世界の中で仏教者である僧侶は、度衆生、願作を問題として抱え込まざるを得なかった。世間を憂い、そのような中を生きざるを得ない我を憂う、仏教者の至言、原像を創造してみる。
また、法然を始めそこに集まった僧侶達の仏教的活動を考慮する。例えば、吉水を拠点として、京の街での布教活動とか?そんな中での法然、親鸞、玉日、恵信尼等々による吉水での共同生活、つまり日々の暮らし振りをその物語の中に入れる。むろんそれは、恵信尼、玉日、親鸞らは、すでに法然の吉水教団の中に逢ったことを前提にする。そして、そんな中で親鸞と玉日は結ばれ、子どもを授かり、が玉日は死者になり、その死者が媒体になり親鸞と恵信尼の関係も進んで行く。
また夢告については、六角堂参籠によって夢告を得、法然の吉水に入室したことになっている、が親鸞の六角堂参籠は、すでに比叡山を下り吉水入室後である。と云うことを前提とする。むしろ三夢記で云えば、最初の夢記である、河内磯長の夢記以降に親鸞は吉水入室をかなり意識したのでは……。さらには、次の二回の夢告は吉水からその場所へ通ったのでは……。例えば、それは親鸞が19歳頃に吉水に入室し法然と出逢ったが、そんな中でも十年弱の間はまだこれで良かったのだろうか?と、迷っている時期も逢ったのでは……?を、前提に物語を構成する。
「地獄の世で命を賜る」と云う言葉がある。親鸞と玉日の結婚はこれに等しい。
理由はどうであれ、親鸞と玉日は結婚をする。そして玉日は子を産み亡くなってしまう。
残された親鸞は、玉日の侍女である恵信尼と子育てを含め仏教修行を生きて行く。そんなこんなの中での六角堂参籠である。そこで夢告を得て、改めて法然や念仏の教え吉水入室が間違いではなかった、と親鸞は腑に落ちる。
と、粗筋になってしまったが……。ちなみにそれ以降は、流罪(法難),恵信尼との越後での生活、流罪が許され、法然の死である。
いずれ、生者と死者の関係でストリーが展開する構成にしたいのだが………?
主な登場人物 親鸞(19~40歳頃まで)
慈円
法然
九条兼実
玉日
恵信尼
その他(2~3人)
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