またまた「葬式とは」?の話である。それは「死」とは「誕生」とは何か?ということにもつながってくる、と思われる。が、ここでは「葬儀・葬式」について考えてみたい。人間は個体(身体がある)である。この個体が身体であるとすれば、如何なる意味に於いても、共同性をもつ。この共同性は、利用出来る時は良い、邪魔な時には煩わしい、そのようなものでもある。そのような矛盾は、個体として身体が在るからでもある。さらに厄介なことには、人間は「心=想い」なるものもある。とりあえず、人間は「心(=想い)と身体」を持つと前提されている。どうも、人間理解も色々な時代社会によって変化するようでもある。そんな中で、この「人間は心と身体」を持つが今一番採用されている考えでもある。逆説的には「心と身体」を持つが故の苦労が、人間には常につきまとうことになる。世間ではよく「健康で長生き」が良い、と云う。確かにその通りかもしれない。ところが「健康で長生き」と心で想っても、身体がゆうことを聞かない、ということもある。心と身体は矛盾する時もある。「心身共に」は中々難しい問題でもある。
「葬式」についての話であったが、中々本題に入らない?のだが、心と身体は、先にも述べた通りなぜ葬儀なのか?と重要な関わりがあることでもあるので、今しばらく遠回りを。いずれ、仏教の四苦八苦はこの「心と身体」身体が在るとは、その環境(=空間)とその空間での共同性と、さらに大きく云えば社会とか自然、さらには「私」「我」とは何か?の問題まで含まれてくる・・・・。
つづく