四天王寺は、今から1400年以上も前の推古天皇元年(593)に建立されました。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、
崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を
安置する寺院を建立しましょう」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。
聖徳太子が四天王寺を建てられるにあたって、「四箇院の制」をとられたことが『四天王寺縁起』に示されています。
「四箇院」とは「帰依渇仰断悪修善速証無上大菩提所」つまり仏法修行の道場である“敬田院”、病者に薬を施す“施薬院”、
病気の者を収容し、病気を癒す“療病院”、身寄りのない者や年老いた者を収容する“悲田院”の四つの施仏教の根本精神の実践の場として
、四天王寺を建てられたといえるでしょう。
和宗総本山 四天王寺
四天王寺境内案内図です
四天王寺の門の表札です
地蔵堂のおもかる地蔵尊です
元三大師堂です
大黒堂です
四天王寺内に咲いていた紫陽花です
六時礼讃堂と石舞台です
石舞台の両側の亀の池の亀たちです
北鐘堂の屋根の上には、鳥が居ました。はじめは装飾かと思っていましたが、動いたので生きた鳥だと分かりました
灯籠も並んでいると壮観ですね
仁王像も迫力があります
五重塔です
金堂とその前の灯籠です
井戸です
天井には龍の絵が描かれています
井戸にも龍の絵が写りこんでいます
西大門です
石鳥居です
聖徳太子引導石について書いてあります
引導石が見えますか
南鐘堂です
歴史のあるお寺で、パワーを貰いました!
崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を
安置する寺院を建立しましょう」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。
聖徳太子が四天王寺を建てられるにあたって、「四箇院の制」をとられたことが『四天王寺縁起』に示されています。
「四箇院」とは「帰依渇仰断悪修善速証無上大菩提所」つまり仏法修行の道場である“敬田院”、病者に薬を施す“施薬院”、
病気の者を収容し、病気を癒す“療病院”、身寄りのない者や年老いた者を収容する“悲田院”の四つの施仏教の根本精神の実践の場として
、四天王寺を建てられたといえるでしょう。
和宗総本山 四天王寺
四天王寺境内案内図です
四天王寺の門の表札です
地蔵堂のおもかる地蔵尊です
元三大師堂です
大黒堂です
四天王寺内に咲いていた紫陽花です
六時礼讃堂と石舞台です
石舞台の両側の亀の池の亀たちです
北鐘堂の屋根の上には、鳥が居ました。はじめは装飾かと思っていましたが、動いたので生きた鳥だと分かりました
灯籠も並んでいると壮観ですね
仁王像も迫力があります
五重塔です
金堂とその前の灯籠です
井戸です
天井には龍の絵が描かれています
井戸にも龍の絵が写りこんでいます
西大門です
石鳥居です
聖徳太子引導石について書いてあります
引導石が見えますか
南鐘堂です
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