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星読み無料講座

2022-08-19 20:11:09 | 日記
いろいろな占星術のクラスがありますが、これは本当におすすめの講座です。
わたしも受けました。
女性対象ですが、男性でも勉強になります。
https://a22.hm-f.jp/cc.php?t=M37047&c=20209&d=10fa
ぜひ試してみてください。
今足踏み状態なら、そして魂がよどんでいて停滞していると感じたらぜひです。
・星読み(西洋占星術)の世界に魅力を感じている
・占星術を学んで「ちょっと難しいな…」と思ったことがある
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・個性を活かした星読みをしたい

こんな人にピッタリな講座だと思います!

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星読み無料講座

2022-08-19 20:11:09 | 日記
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精神的疾患

2022-03-08 10:40:40 | 日記
精神的病が治らないという事実が病のもとがこの世のものではなく5次元に帰しているからだという証拠!3次元での薬の化学反応は脳の物質的な部分で終わる。この先に届かない。ただ脳神経に働いた延長として間接的に心に働くのみである。対症療法に過ぎず、根本には働かない。むしろ病でない可能性がある。
心理相対性理論からしたら他と違うエネルギーの受け方をしていてその歪みが絶対多数が普通と言われる社会の中で病的とされるのである。

神の存在!

2022-03-08 10:38:41 | 日記
神は存在するのか? これは、人がする質問の中で、ほぼ間違いなく一番重要な質問でしょう。この質問への答えによって、現実や道徳、倫理、価値観や人生の決断についての見方が変わってきます。神の存在は、人生の見方、現実の解釈の仕方を左右するのです。この質問への答えは、永遠の影響を及ぼします。アメリカ人の哲学者かつ著者であるモーティマー・アドラーは、「神を肯定するか否定するかは、他のどんな基本的質問に対する答えにもまさって、考え方や行動に影響を及ぼす」と語っています。―ブライアン・オーテン

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C・S・ルイスはかつて、神というのは、「そこそこ興味がある」と言えるような存在ではないと語りました。結局のところ、神が存在しないのなら、神に関心を抱く理由など全くありません。逆に、神が存在するなら、それは最も関心を持つべきことであり、その存在とどうやって正しい関係を築くかに最大級の注意を払うべきだからです。私たちの存在そのものが、その方の存在に依存しているのですから。というわけで、肩をすくめて、「神はいるのか? いようといまいと何の違いもないさ」と言う人は、この問題についてまだあまり深く考えたことがないということです。―ウィリアム・レーン・クレイグ

神の存在について考える

常に変化し続け、ますます複雑化しコンピューター化された現代社会では、多くの人は経済的に成功しようと死にもの狂いになり、人生の意味とか、心の平和、人類愛、さらに自分の魂の永遠の幸福などといった、いわゆる「抽象的」な事柄について考える時間などほとんどありません。結局、そういったことは、この世界で一番人気のある『神』を追い求めることを妨げ、阻むことになりますから。その神とは、世界の崇拝と献身を要求する神、つまり、お金と物質的な富です。

大勢の人は子どもの頃から、人生で幸せになるには、次のものを得るしかないと教え込まれています。

1) 良い教育を受ける。願わくば、名門大学を卒業する。

2) 成功している会社・企業で有望な仕事に就く。

3) 新車や1~2軒のすてきな家を手に入れ、贅沢な家具その他を置き、成功の象徴とされるハイテク商品をそろえるに十分なお金を稼ぐ。

こうやって富を築くには、生涯、血と涙と汗のにじむような努力をしなければなりません。けれども、年月を経る内に、職場や社会的なプレッシャーのせいで、ストレスや心労がたまり、平安も満足感もないということに気づきます。結果として、私生活が害をこうむります。家族や愛する人たちと過ごす時間がなかなか十分取れないからです。

この世界や、世のあらゆる宝やはかない快楽が、人の魂を真に満たすことはありません。物質的なものは一時的な満足は与えても、魂の永遠の渇望や、永続する喜びや平和や充足感を求める人の精神を満たすことはありません。人の精神は、物質的なものを得るだけでは満たされません。

それが理由で、お金持ちや権力者の多くは、最もみじめな存在なのです。そのような人は、他の多くの人がこれがあれば満足し幸せになれると思うようなものを、すでに全部持っています。すでに、望む物はほしいだけ手に入れたのですが、悲しいことに、そういう物では空っぽの心や飢えた魂を満足させ、満たすことはないとわかったのです。

今日の多くの人は、創造主や神の存在についてほとんど考えませんが、突然、個人的な危機や悲劇に直面すると、たとえば、思いがけない事故にあうとか、生命を脅かすような病気になるとか、家族を亡くすといったことを経験すると、わかることがあります。この世界のあらゆる良きものも、この人生の楽しみも、死という扉をくぐっていった愛する人を取り戻してくれはしません。家や土地や、たくさんのぜいたく品も、冷めた愛に火を付けてはくれないし、傷ついた心をいやしてもくれません。そういう危機的な時に、人はよく、人生の真の価値は、単なる物質的な富よりもはるかに大切だと気づくのです。

「人生にはどんな意味があるのだろう? 私は何のためにこの地上にいるのか? 私のための目的や計画があるのだろうか? あるなら、何?」 人々は昔から、こういう質問に魂や想像力をかきたてられてきました。国籍や人種、信条に関係なく、私たちの心は皆、同じものを渇望します。永続する愛、真の幸せ、心の平安、真理、美しさ、意味、目的を。―デービッド・ブラント・バーグ

神の存在の証拠

神がいるなら、その存在を証明するに足る証拠を私たちに示してくれるだろうと考えるのは理にかなったことです。しかし、そのような証拠は存在するのでしょうか? 存在するとしたら、どんな類の証拠でしょうか? …物質的な結果はすべて、それに見合った、先立つ原因があってのものです。宇宙はここに存在します。知的生物も存在します。道徳も愛も存在します。それらに見合った、先立つ原因とは何でしょうか? 結果が先んじるとか、結果の方が原因にまさることはありえないので、生命の「原因」は、それ自体が道徳的で愛情深い生きた知性であるというのは筋の通ることです。聖書には、「はじめに神は…」と記されており、その「第一原因」を私たちに示してくれています。―バート・トンプソン

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究極的には、問題になっている具体的な質問は、「誰かが存在する」かどうかということです。目に見えるものの向こうに神が存在すると信じるべきでしょうか? あるいは、存在しないという結論を出すべきでしょうか? あるいは、誰にも本当のところはわからないということでしょうか? 「誰かが存在する」かどうかは、通常どのように結論付けますか? いうまでもなく、存在するかどうかを知るために一番手っ取り早い方法は、実際にその人を目で見ることです。それなら、直接的な証拠となります。法廷では、確証できる直接的な証拠は普通、かなり有力です。しかし他にも、同様に有効である、推論や推測といった方法もあります。砂に足跡があるなら、それは、誰かが少し前にそこを歩いていたというかなり有力な手がかりとなります。郵便受けにある手紙は、自分でそこに入ったわけではありません。そういったものがどこから現れたのかはあまり知らないとしても、ひとりでに現れたのではないと考えるのは賢明なことです。―アル・セラト

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神の存在について話していると、たいてい「証拠」についての議論になります。「神の存在を証明することはできない」というセリフを耳にしたことがありますが、その発言の問題点は、「証明する」という言葉には曖昧さの問題があるということです。神の存在を証明するのに数学的な証拠が要求されるなら、確かに、そういう方法で神の存在を証明することはできません。しかし、「証明する」ということが、「十分な証拠」を提供することが求められるという意味なら、神の存在は証明できます。―エリック・シャボー

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2つのものが私の心を今までないほどの驚異と畏敬の念で満たしている。私の心はより頻繁に、またより強烈に、この2つに引きつけられる。その2つとは、頭上にある星の輝く空と、心の内にある道徳律である。―イマヌエル・カント

ネガティブさの麻薬!

2022-02-07 14:20:47 | 日記
ネガティブさの麻薬

 19.(イエス:)ネガティブ思考の人間というのは、麻薬中毒のようなものだ。それも、どこにでもあるような麻薬ではなく、何の良いところもなく、ただ恐ろしいほどの依存性を持つだけの、本当に悪い麻薬だ。いったんそれを経験し、吸ってしまうと、とたんに抵抗力が弱まり、すぐさま習慣になる。ネガティブさの麻薬を吸うと、何度も悪いトリップをして、そのたびに、深く、暗い、泥沼に落ちていく。ネガティブさと戦ってそこから救出されないなら、最後にはあきらめて、ネガティブさに負けてしまう。だが、どんなに長い間ネガティブさに耐えて生きてきたとしても、あなたはそれを克服できる。

  20.もし正気なら、何の得もない、何かとても恐ろしいものの中毒になるに任せる人などいないだろう。さて、サタンはすべての薬を糖衣でくるんで、ゆっくりと、ずる賢く、あなたの肉の思いと見せかけの理論に訴える方法で与え始める。

  21.ネガティブさは他のとても多くの霊的問題や、さらには肉体的問題につながる。だから、敵はこの策略をとても好むのだ。ネガティブさの背中にはとても多くのものがおんぶしている。批判的態度、苦い根、嫉妬、落胆、うつ、さらには摂食障害、不眠症などの肉体的な問題でさえもだ。ネガティブさに対して扉を開けると、知らない内に他の多くの間違った物事も引き入れてしまう。

  22.わたしの子供たちはたいてい、何度かはネガティブさに試みられたことがある。いつだって、何かの面で自分よりも才能がある人や、自分もほしいと思うような物(それがどんなに小さな物でも)を持っている人がいるものだ。サタンは何か論理的で筋が通っているものから始めて、その上にだんだんと築いていく。

  23.敵は何食わぬ顔でそれを始める。最初は邪悪な誘惑に少しの真実を混ぜる。軽い「かわいそうな私」病にかかるのは、ほとんど慰めにもなると言えるほどだ。もしかしたら、あなたは何かの面で進歩しようとしているけれども、それが難しいのかもしれない。敵はそこにつけ込む。あるいは、あなたにはボーイフレンドやガールフレンド、夫や妻がいないのかもしれない。すると、敵はそこから手を着け始める。あるいは、その日、誰かがあなたよりも証しの結果が良かったとか、他にも色々あるだろう。ほんのちょっとしたことでも、あなたの思いにネガティブさの種を植えるためのきっかけになる。そして、すぐさまそれに対抗しないと、どんどん大きくなって、手に負えなくなる。そして、あっと言う間に、予期していたよりもとても多くの問題を抱えてしまう。

  24.しかも、さらに悪いことに、いったんネガティブさを取り入れてしまうと、自責の念に対しても扉を大きく開いてしまうことになる。ネガティブになるのは正しくないと知っていて、そうなりたくないとは思うが、「もう手遅れだ。私はひどい失敗者だ。すでにネガティブさを中に入れてしまい、私は負けてしまった。だから、私はこれからずっとこのままなんだ」という思いに襲われる。自分の心の庭を見渡すと、そこは実にめちゃくちゃで、雑草だらけなので、「もうやめてしまえ!」と考えるのだ。

  25.けれども、その時、あなたは気づかなければならない。助けを呼び求め、ネガティブさの雑草を取り除きたいと心に決めるや否や、その習慣がどんなに悪くても、どんなに長い間ネガティブだったとしても、わたしが強力な斧を持ってやってくるのだと! わたしは雑草を切り倒すだけでなく、あなたの庭をきれいにして、すべてを完全な勝利に変えることができる。