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永遠の命

2011-05-06 21:18:28 | 日記
ヨハネ3章16節「神はそのひとり子を賜ったほどにこの世を愛してくださった。それはみ子を信じるものが永遠の命を得るためである。」

東日本大震災はたくさんの命を奪っていきました。わたしの子ども時代の特別な友人も行方不明になりました。

三陸沿岸は首を悪くする前に何年も伝道活動で行きました。たくさんの知り合い、思い出の場所があります。TVの中継でわたしがたくさん足を運んだ場所が津波にのみこまれていくいのを目撃しました。・・・・・・・長い????の後、ふとこの節を思い出しました。

もし命がこの世限りなら、なんとさびしいことでしょう。二度と別れた人とは出会えないのですから。命は永遠です。消えること無いものです。また主の時に合えるのです。

わたしの弟は三歳のとき家の裏の防火用水に落ちて溺死しました。わたしの子どもの時の記憶はわたしの父が弟を抱えて水の中からでてくるところから始まります。きっとあまりの衝撃でその前に記憶が消えてしまったのでしょう。そして通夜、葬儀、火葬場、と場面が思い浮かびます。そしてある日わたしの前に現れたわたしの弟・・・科学的なことしか信じないわたしにとってその現象を理解することは長年の宿題でした。それを理解することはできませんした。合理的な答えも見つかりませんでした。ただある日知った聖書が何か灯火のようにわたしの足元を照らし、そのときの記憶に平安を運んでくれました。

・・・・・それからわたしは科学的に理解できなくてもイエスを救い主と信じ、クリスチャンとなりました。

そして二番目の子を失うという場面に出会いました。弟も二番目、そしてこの子も二番目でした。あまりにも深い悲しみと寂しさ、苦しさ、しかし永遠の命・・・それはそのような深い暗闇の中でもほのかな希望の光でした。

このことを今思い出します。津波でのまれていった尊い愛する人々の群れ群れ・・・・・理解できなくても再会するときが来るのです。そして津波はなにものみこんでいかなかったことを知る日がくるのだと思います。

わたしは南三陸町の防災放送の娘、遠藤未希さんの新聞記事の切抜きを持っています。かの上が海のもくずと消えてしまうのが現実だとしたらなんとさびしくむなしいことでしょう。しかし現実はそうではありません。・・・・・・未希さんの体は滅んでしまっても、命は、心は、そして彼女自身がこの見える世界から消えてしまったとしても、真実はわたしたちの理解できない存在する世界で今も生きているのです。愛する人たちとそこで再会するのです。

キリストの愛が癒すことできない悲しみはこの世にない・・・・・そうなるのです。

わたしも尊い弟、娘と出会う日があるのです。

それを愚かしいという人がいるかもしれませんが、それは聖書のみ言葉が約束しているこれから起きる現実です。

ぜひこの機会に考えてみてください。この命、それが限りあり、消滅してしまうものなのか・・・・それとも今あなたがここで感じるように手ではつかめないもの目には見えいないものでも・・・あるものあることを!