田植え機に乗った元サラリーマン

車中泊旅や探石などを楽しみながら生活の中で感じたこと思ったことなどを気まぐれに書き込んでいます

ねぶた紀行(車中泊の旅)-7

2019-09-02 | 
ねぶた運行
「ねぶた」祭りの由来は諸説あるようで定かではないみたいです。有名なのが坂上田村麻呂説、まぁ関東、東北地方には坂上田村麻呂伝説や八幡太郎義家伝説は各地にたくさん残っていますのでうなづけなくもないです。有力なのが七夕灯篭流しの変形説、七夕祭りともともと津軽にあった習俗と精霊送り、虫送りなどが合体、紙とローソクの灯篭から始まりそして人形、ねぶたになったされる説です。

「青森自衛隊ねぶた協賛会」
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「ねぶた(ねぷた・ねふた)」という名称の方は、「東北地方を始め、信越地方「ネンブリ流し」、関東地方「ネブチ流し・ネボケ流し・ネムッタ流し」等の民俗語彙分布と方言学から「ねむりながし」の眠りが「ねぶた」に転訛したものと考えられています」とねぶたのホームページに書かれていました。う~ん、なんだかよくわかりませんね。

「跳人(はねと)」

1,700年代に灯篭を持ち歩き踊ったという記録がありさらに1,800年代に3mぐらいの灯篭を地車でひいているという記録が残っているようです。明治時代になって人形をかたどった灯籠(ねぶた)が主流となり大型化していき、昭和の初め頃まではお神輿みたいに担ぐ「担ぎねぶた」が主流だったようです。戦後になって現在の原型が出来徐々に大型化、これに観光化もあって今のような形になったようです。

「日立連合ねぶた委員会」

私が最初に祭りを見たいと思ったきっかけのひとつが「ラッセラー、ラッセラー」という掛け声です。まぁ聞いたことがない言葉、「出せ、出せ、ほら」とう意味の掛け声らしく、祭りに使うローソクやお酒を早く出せといっているらしいです。まぁ民謡などの掛け声や合いの手などは意味不明な言葉が少なくないですから、この掛け声もどうなんでしょうか。一説には津軽弁とフランス語が酷似しているらしくそっちから……、考え過ぎですね。

[公益社団法人青森青年会議所」

そして跳人(踊り子)の踊り、あんなに早いステップを踏む踊りは日本には少ないような気がします。大体踊りの振りは仕事や遊びの動作から来ているのが多いらしく、盆踊りは集団作業である農作業の振りですよね、ゆったりしたみんなおんなじ動作の繰り返しです。そこから比べると跳人の踊りは凄いです、跳ねるというより飛んでますから。いわゆる盆踊りが農耕民族系の踊りと考えるとねぶたや鹿の角を被った跳ねる系の踊りは狩猟民族系の踊りなんですかねぇ、少し飛躍しすぎですか、ハハハ。一方冒頭の「津軽にあった習俗と精霊送り、虫送りなどが合体」というところに焦点を当てると、長い長い雪に閉じ込められた暗い冬が明け稲も実り秋には順調な収穫が見込めそうということで閉じ込められていた喜びが爆発、その喜びの爆発を跳人の跳ねるような踊りで表現しているとも想像できます。う~ん、こっちも考えすぎですか、ハハハ。

「ねぶた愛好会」
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ねぶたを撮っていて気づいたんですがねぶたって紙で出来ているんですねぇ、よ~くみると角なんかが少し擦れて破れているところもあります。雨が降った時なんかは大きなビニールをかけて運行するそうです。

「青消防第二分団ねぶた会・アサヒビール」

最終日にいくつかのねぶたが船で海上運行されます。灯篭流しの海上版ですね。そしてそのあとねぶたは展示されるいくつかのねぶたを除いて解体されてしまうそうです。
ねぶたの実際の製作は5月半ばぐらいから着手するそうですが構想、詳細設計はその前から始まっていて、結構長い期間かけて作られるようです。でもそうして作られたねぶたはわずか6日間の運行で一瞬の輝きを放ち解体されてしまいます。最初はその豪快な図柄や鮮やかな色づかい、スケールの大きさで圧倒されていたんですが、わずか6日間で解体されることや紙で出来ていること知ると、はかなさといいますか寂寥感といいますかそんな感じを、嬌声で包まれた色鮮やかなねぶたから受けてしまいます。

「日本通運ねぶた実行委員会」

話は変わりますが、茨城県と福島県を結ぶ国道118号の県境のところに「これよりみちのく」という大きな看板があります。松尾芭蕉が書いた紀行文「奥の細道」は松島、最上川、象潟までです。さらにその奥の奥が青森、まさしく道の奥、いろいろと奥の深い文化がありますねぇ。

「青森市役所ねぶた実行委員会」

いい祭りや人を惹きつける祭りにはある基準があります。まぁ私が作った勝手な基準なんですが、それはいい祭りではお巡りさんがであまり目だたないということです。
たぶん大きなお祭りには警備や交通整理などでそれなりの数のお巡りさんが出動しているはずなんですが、不思議といい祭りと呼ばれる祭りにはお巡りさんが目につかないんですよね。今回も裏通りでは何人かを見かけましたが大通りではほとんど見かけませんでした。

「JRねぶた実行プロジェクト」
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まつりは昔から祭り、祀り、奉り、政り、そして祈りということで、運営は治外法権、参加は自己責任だといわれています。まぁ古くからの祭りは長い歴史の中で、伝統ある有志による実行委員会、運営委員会がいろいろな過去の出来事を踏まえたルールを取り決め祭りを運営しているので、警察が出てくる必要がないんでしょうね。一方市町村などが主催する比較的歴史の新しい祭りは、何かことが起きるといろいろと責任問題になってしまうのであれはダメこれもダメとなり、それをチェックするお巡りさんが目立っちゃうのかもしれません。
まぁそれだけではないとは思いますが、結構この基準当てはまっています。

「東北電力ねぶた愛好会」

教えられた通り反時計回りに少しずつ移動しながら撮影、ほとんどのねぶたを撮影することが出来ました。撮影方法を教えて頂いた方に感謝です。でも駅方向に近づくにつれ人込みがさらに大きくなって前の方に出られず、ふたつぐらいねぶたの写真を撮り損なってしまいました。でも初めてにしてはまぁまぁだったと思いますので良しとしましょう。
スタート地点で見たあの大太鼓がやってきました。どうやらグルっと一周してきたようです。時間は始まってから1時間ちょっとすぎ、祭りは約2時間、反時計回りに移動してきましたんで約半分の時間で全部のねぶたを見ることが出来ました。

「大太鼓」

駅の方に近づくとさらに観客が増え歩くのも大変になってきました。もう少し見ていたいんですが腹八分目、帰り道のこともありますしそろそろ帰ることにしましょう。

「青森ねぶた祭り」-2

昼間来た「AUGAビル」のゲルト・クナッパーさんのモニュメント、祭りの明かりで輝いています。今日実際に祭りを見てやっぱり以前に思っていた通りこの塑像のモチーフは、ねぶた祭りの「踊り子」だったと確信しました。
(2014年にこの像に初めて出会った時の思いを書き記しています。お暇な方は……。<北海道&東日本パスの旅-4

「青森ねぶた祭り」-3
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20時30分駅に到着、案の定家族連れなどの帰宅の人で混みあい車内は肩が触れ合うほどです。この後徐々に帰宅する人で混雑が増していくんでしょう、いい時間帯に帰れました。

「奥羽本線」

新青森駅で下車、駐車場に止めてあった車で予定通り国道7号に、早く出てきましたんで道路は車も少なくスムースに流れていました。途中から黒石市方面に左折道の駅「いなかだて」には10時過ぎに到着しました。駐車場も心配したほど混雑してなく半分ぐらいの埋まり具合です。

道の駅「いなかだて」

急いで車中泊の準備を整え途中のコンビニで買ってきた冷やし中華を食べて、シュラフに体を横たえました。目を閉じるとまだあの色鮮やかなねぶたがグルグル廻っています。大太鼓、笛、鐘のお囃子、踊り子の嬌声が遠くに聞こえています。

「ラッセラーラッセラー やがて悲しき ねぶたかな」

田舎館の夜が静かに静かに更けていきました。

次回に続く
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