(記事中の写真はクリックで拡大します。プライバシー保護等の為、人の顔部分に修正を加えていることがあります)
どうも、こんにちは。
前々回と前回に続いて、皇室の菩提寺・泉涌寺の塔頭寺院を巡ります。
今回は、七福神のうち布袋を祀り、‘弘法大師’空海が掘り当てたという霊泉「弘法大師独鈷水」があるという、来迎院を巡ります。
前回の戒光寺から、泉涌寺参道をさらに奥へ。
途中の分かれ道が。
「今熊野観音寺」に通じる道と、泉涌寺塔頭・来迎院へと通じる道とに分かれています。
そのうち来迎院への道を進みます。
途中の案内板には。
来迎院には面白いものが3つもあるということです。
『忠臣蔵』の大石内蔵助ゆかりの含翠茶庭と。
日本最古の三宝荒神「ゆな荒神」と。
そして、‘弘法大師’空海が掘り当てた「弘法大師独鈷水」と。
これは是非とも行かなければ、とさらに進んでいきます。
奥へ進んでいきますと、何とも風情のありそうな石橋が。
この石橋を渡り、山門をくぐって、来迎院の境内へ。
ここで、来迎院について簡単に説明を。
この古刹は、大同元年(806年)、空海が唐から伝えた「三宝荒神」をこの地に祀ったのが始まりとされています。
その後鎌倉時代、泉涌寺の長老・月翁(がつおう)律師がここに諸堂を建立し、来迎院の開祖となったそうです。
元々は平安時代に天台か真言密教の寺院やお堂として建てられたのが、後世に禅宗や浄土真宗などの寺に変化するのは、結構多いようで、その為もあってか、禅宗の寺院には密教の神仏を祀っているところも多いようですが、ここ来迎院もそうした古刹のひとつというところでしょうか。
山門から入って正面には、三宝荒神を祀る荒神堂へと通じる石段と、その下に「弘法大師独鈷水」へと続く道が見えますが。
まずはその前に、大石内蔵助ゆかりの庭・含翠茶庭と、茶室・含翠軒を訪れてみます。
拝観料を払って、含翠軒・茶庭に入ります。
江戸・元禄時代、泉涌寺長老・卓巖和尚が来迎院の住職を務めていた時期に、のちの『忠臣蔵』物語の発端となる「江戸城・殿中松の廊下の事件」が起こります。卓巖和尚は、かの大石内蔵助の親族でもあった為、浅野家が潰されて内蔵助が浪人になった後、今で言う身元引受人か保証人のような役目を負ったそうです。大石内蔵助はここ来迎院の檀家として生活し、この茶室と庭を設けることを許されたそうです。
落ち着いた雰囲気のあるいい庭です。
雪の日か、紅葉の時期にでも訪れたら、さらに風情のあるいい景色が見られそうです。
残念ながら、今年の紅葉の時期は、ここを訪れる機会を逃しましたが、また来年以降にでも再訪したいところです。
茶菓子を頂きながら。
わびさびの美が体現されたような、静かで落ち着いた空間を堪能します。
茶室内には、(複製ではありますが)作者不詳の大石内蔵助の肖像とか。
内蔵助本人が描いたという「翡翠の図」とかも。
ああ、いいなあ。
先人たちが見いだしたこういう美があって、それを堪能できるとは。
こういう時は、日本人に生まれてよかったなあ、と思えてきます。
世俗を離れた者たちの為の空間。
・・・ただ、そんな美の空間を創り出した大石内蔵助の姿は、後に討ち入りなどというバリバリに穢土・俗世の業そのものな行為をやり遂げる為の仮の姿でしかなかったのかと思うと・・・何とも複雑な気持ちになります。
含翠軒と茶庭でわびさびの世界に浸った後は、三宝荒神のお堂と弘法大師独鈷水を訪れます。
石段を登った上に立つ「三宝荒神堂」。
弘法大師が唐から伝えたという日本最古の「三宝荒神」。
簡単に言えば、仏教の「三宝(仏・法・僧)」の守護神であり、不浄を除去することから火やかまどの神様としても信仰されています。
ただし「荒神」と名付けられているように、祟りやすい神様としても恐れられているもいるそうです。
もっとも・・・本来の、古来よりの神様というのは、だいたいこんなものではないかな、と思います。日本の民間信仰とか、ギリシャ神話の神々とか、自然神や多神教の神様などを見ても、神様というのは必ずしも人間に対して優しいとは限りませんからね・・・。
なお、「三宝荒神」については、シリーズ第588回記事でもとりあげたことがあります。
そして荒神堂より奥へ行くと・・・。
大量の布袋像が廃棄・・・いや、奉納されているのでしょうか。
そう言えば、泉涌寺の泉山七福神のうちの布袋がここだという話でしたが。
夜にここ来たら・・・怖そうです。
さて、石段の下へ戻ります。
ここには弘法大師の像と。
祈願の石を納める場所があって。
その更に奥に霊泉「弘法大師独鈷水」が。
‘弘法大師’空海が、密教の法具・独鈷(とっこ)を使って掘り当てたという霊泉。
霊元天皇に仕えた女官、小少将の局の娘は生まれつき目が不自由であったのですが、この独鈷水で目を洗えばよいという霊告を聞いてそのようにしたところ、たちまち見えるようになった、とも伝えられています。
現在でも、様々な病気に効くと信じられています。
空海にはこの他にも、井戸を掘り当てたとか、ため池を造ったとか、数多くの寺院を建てたなどのエピソードがありますが、私が思うに空海は、単なる宗教家というだけではなく、建築土木の技術者でもあったのではないかと。唐に渡って、密教だけでなく、当時最先端だった建築土木の技術なども学んできたのではないか。
古代エジプトの神官などもそうだったように、力ある宗教的指導者は、人民の生活に必要不可欠な建築土木などの技術も兼ね備えていた。おそらく空海も。
それが後世に、「法力で霊泉を湧き出させた」という風に伝わった。いずれにせよ、当時では多才な能力の持ち主であり、超人的な働きをしていたものだと推測されます。
もっとも、空海が一種の神様や超人のように伝えられるに伴って、箔付けの為に「弘法大師が創った」ことにされたというケースも、もしかしたらあるかもしれませんが。
ここ一箇所だけで、お腹いっぱいになりそうですが・・・それでも貪欲に、次のスポットを探し求めて、この古刹を後にします。
ところで。
「特別編・2022年の目標」で、「今年中に、本シリーズで新規スポットの記事を最低でも15以上、出来れば20以上書く」ことを目指していましたが。
今回でようやく15本目。何とか今年中に目標達成です。
今回はここまで。
また次回、また来年。
*来迎院へのアクセスはこちら。
*来迎院のHP
https://raigoin.com/raigo-in/
*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/