おはようございます。
広がる青空。
散らばる白雲。
照らす太陽。
私が最も好み
同時に嫌う天気が広がります。
そんな日に広々とした道を歩いていると
何者かがついてくる。
決してこれ以上近づいてくる事なく
また、離れる事もなく。
時折障害物で折れ曲がり
一定間隔を保ちながら
ただついてくる。
その名は「影法師」
「法師」とは
単に「人」を指す場合もあれば
「男の子」を指す場合なんかもある。
はたまた
仏法に通じた人
例えば僧などを指す場合もある。
私が思うに
「影法師」の「法師」は最後者に当たる。
一体、私はこの影が敵でない事を
いつ、どこで、どのように認識したというのか。
別の解釈で考えよう。
「影法師」=「影人」
黒ずくめどころか、真っ黒な人にストーカーされる気分は如何に。
それが晴れた日には毎日、常に。
背後から殴られ、謎の薬を飲まされた後
児童として生きるほうがまだマシだろう。
「影法師」=「影男」
視認は出来てもつかめない。
そんな真っ黒な男に追われる気分。
想像もしたくないだろう。
私が思うに捉え方なら。
「影法師」=「影の僧」
無宗教といえども
仏教が知らず識らずのうちに
刻み込まれていた日本人にとって
僧に"見守られている"気分は
決して悪いものではない。
と、勝手に思っている。
話を問題提起まで戻して。
私が「影法師」を敵ではないと
いつ、どこで、どのように認識したか。
いつ:不明だ。「影」の概念を知った時か。
どこで:まぁ、「影」の見えるところ。
どのように:共に生活する、実体験に基づいて。
当初は恐れていたのかも知れない。
それを親が「恐ろしいものではない」
と教え、覚え
何年も共にすることにより
敵かも知れないという疑念を拭った。
結局は
「影法師」という名は親の言葉他から学んだ事で
私自身が名付けたものではないので
どう捉えようが敵味方判断に影響はない。
辞書によっては
「影法師」の「法師」は「人を指す」
としているものもある。
辞書にそう書いてあるから。
そんな短絡的な考えは嫌いだが
辞書は一般的に正しいから
私の見解が少数派なのだろう。
さて
敵ではないという結論が出たところで
「影法師」は一体何なのか
軽く考えよう。
まぁ
「光が物にさえぎられて出来る人の形をした暗い部分」
なんですが。
それではつまらない。
そもそも「影」って
光遮られた暗い部分と同時に
遮られているもの自体も指します。
つまり
「影」=光なのです。
面白いですよね。
これが
「光あるところに闇が生まれる」
RPG・ヒーローモノの
典型ストーリーの所以です。
ここから考えられる「影法師」の正体は
影法師の主の「分身」である。
「影踏」という遊びをご存知か。
最近の子供は蛍光灯やLEDに育てられて
嘆かわしい訳ですが
その話は置いておいて。
影踏は鬼ごっこの一種で
影を鬼に踏まれたら鬼になる
鬼ごっこですね。
「分身」要素感じるでしょう?
その他
「影縫」
様々な被造物に登場しますが
何故、影に針を刺されたら動けなくなるのか。
「分身」だからでしょう。
前述で
影法師を何故敵だと認識しないのか
などとほざいておりましたが
敵など論外!
影法師はいわば自らの分身。
守護霊に近いところがあるのでしょう。
それでも私は考えてしまうのです。
この「影法師」はいつか私を襲ってくると。
「分身」である暗い部分だから。
バカバカしい話ですね。
それでは bye! Konemy
広がる青空。
散らばる白雲。
照らす太陽。
私が最も好み
同時に嫌う天気が広がります。
そんな日に広々とした道を歩いていると
何者かがついてくる。
決してこれ以上近づいてくる事なく
また、離れる事もなく。
時折障害物で折れ曲がり
一定間隔を保ちながら
ただついてくる。
その名は「影法師」
「法師」とは
単に「人」を指す場合もあれば
「男の子」を指す場合なんかもある。
はたまた
仏法に通じた人
例えば僧などを指す場合もある。
私が思うに
「影法師」の「法師」は最後者に当たる。
一体、私はこの影が敵でない事を
いつ、どこで、どのように認識したというのか。
別の解釈で考えよう。
「影法師」=「影人」
黒ずくめどころか、真っ黒な人にストーカーされる気分は如何に。
それが晴れた日には毎日、常に。
背後から殴られ、謎の薬を飲まされた後
児童として生きるほうがまだマシだろう。
「影法師」=「影男」
視認は出来てもつかめない。
そんな真っ黒な男に追われる気分。
想像もしたくないだろう。
私が思うに捉え方なら。
「影法師」=「影の僧」
無宗教といえども
仏教が知らず識らずのうちに
刻み込まれていた日本人にとって
僧に"見守られている"気分は
決して悪いものではない。
と、勝手に思っている。
話を問題提起まで戻して。
私が「影法師」を敵ではないと
いつ、どこで、どのように認識したか。
いつ:不明だ。「影」の概念を知った時か。
どこで:まぁ、「影」の見えるところ。
どのように:共に生活する、実体験に基づいて。
当初は恐れていたのかも知れない。
それを親が「恐ろしいものではない」
と教え、覚え
何年も共にすることにより
敵かも知れないという疑念を拭った。
結局は
「影法師」という名は親の言葉他から学んだ事で
私自身が名付けたものではないので
どう捉えようが敵味方判断に影響はない。
辞書によっては
「影法師」の「法師」は「人を指す」
としているものもある。
辞書にそう書いてあるから。
そんな短絡的な考えは嫌いだが
辞書は一般的に正しいから
私の見解が少数派なのだろう。
さて
敵ではないという結論が出たところで
「影法師」は一体何なのか
軽く考えよう。
まぁ
「光が物にさえぎられて出来る人の形をした暗い部分」
なんですが。
それではつまらない。
そもそも「影」って
光遮られた暗い部分と同時に
遮られているもの自体も指します。
つまり
「影」=光なのです。
面白いですよね。
これが
「光あるところに闇が生まれる」
RPG・ヒーローモノの
典型ストーリーの所以です。
ここから考えられる「影法師」の正体は
影法師の主の「分身」である。
「影踏」という遊びをご存知か。
最近の子供は蛍光灯やLEDに育てられて
嘆かわしい訳ですが
その話は置いておいて。
影踏は鬼ごっこの一種で
影を鬼に踏まれたら鬼になる
鬼ごっこですね。
「分身」要素感じるでしょう?
その他
「影縫」
様々な被造物に登場しますが
何故、影に針を刺されたら動けなくなるのか。
「分身」だからでしょう。
前述で
影法師を何故敵だと認識しないのか
などとほざいておりましたが
敵など論外!
影法師はいわば自らの分身。
守護霊に近いところがあるのでしょう。
それでも私は考えてしまうのです。
この「影法師」はいつか私を襲ってくると。
「分身」である暗い部分だから。
バカバカしい話ですね。
それでは bye! Konemy