千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

真田幸村

土曜日は朝から料理の仕込み、部屋の片付けの日です。
雨が降る前にYmobileに行ってきました。
先週の「カッパ」との約束でポケットWIFIのオプション解除です。カッパなんと店長やった。

雨の降らんうちにて朝一番で出かけとですばってんが
帰りつく前に雨の降りだしました。

さてさて本題に・・・・・今回ちょっと長文になってしまいました。
こらえとってください。

「真田幸村」文献に本人が書いたものでは「幸村」ていう名前は存在しません。何でかな?
ばってんが「信繁」より「幸村」の名前の方が有名です。
戦国時代、最後のツワモノて言われます。

顔も・・・・


こげな風・・・・・


今のゲームやらのイメージとは程遠か風貌です。

これもイメージが違う奴・・・・


有名な「源義経」静との恋路やらは想像もつかんですね。
「静の別れ」京人形では定番のモチーフですね。


ギャップのありますね・・・
この時代の兜と信長、秀吉、家康の時代の兜も違いのあって興味深いですね。
今の節句人形に使われる兜はこの時代のものです。

今回の脚本は信繁の大坂入りば決めての「幸村」への改名になっとりましたね。
兄貴が捨てた「幸」の名ば受け継ぐにくい脚本ですね。
その兄、「信幸(之)」は90歳ぐらいまで長生きしたて記憶しとります。
大河はフィクションやけんいつも史実そのままや無うて面白う脚色してありますもんね。

何で「幸村」か?それはこちらで以前書いたけんみて下さい。
あたきたちが良く知る時代もんは大概のちの江戸時代に芝居として
脚色されたもんがあたかも史実のごと伝えられとりますばってんが
すべて作りもんですけんね。
赤穂浪士、真田十勇士しかり。
猿飛佐助やら霧隠才蔵やらは実在しませんもんね。
服部半蔵は実際徳川におったばってんが忍者やあありまっせんとよ。

当然「赤影さん」「白影さん」「青影さん」は現代のフィクションです。



歴史は面白かですね・・・・・・
昔からこげん勉強しよったらおいしゃんも
一廉のおいしゃんになっとったかも知れまっせんばってんね~

現実は・・・・・


土曜日のお昼ご飯


土曜の夕ご飯


今夜の夕ご飯

いずれにしても当時の大名の夕餉にしてみればごっつぉうですもんね。
「お湯掛けたら食べられます」て信長に言うたら
「まやかしもんめ!」て首跳ねられたかも知れまっせんね。

美味かとぃ・・ちゃんちゃん

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