新編 辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス 前編 15話
第六章【見捨てられたアリス】②
敵陣の只中に異変が起きたのを見逃すはずはない。カッセル守備隊の救援部隊は丘を駆け下りて本陣を目指した。
シュロス月光軍団の本陣は大騒ぎになった。隊長のスワンが乗った馬車の脇を、騎士の一団が駆け抜けていったのだ。
「こっちにも悪魔が」「怪物だ」「隊長を守れ」
先ほどまでの楽勝ムードは一瞬にして消し飛んでしまった。
「ほら、お前だ」
守備隊のリーナは中る(あたる)を幸い、鋭い槍で突きまくった。群がる数人を蹴散らし、その勢いでジュリナをなぎ倒した。
ベルネは疾走する馬上から剣を振り回した。
「邪魔だ、命が惜しければ下がっていろ」
バシッ
すれ違いざまに副隊長のミレイを弾き飛ばした。
「あっひゃあ」
ミレイは転げ落ちた。
これを見た部下が弓を取り矢をつがえたが、スターチの投げた飛礫が射撃手の腕を直撃した。
「あれは何者だ」
リーナが敵陣を威圧するように立っている黒づくめの騎士を指した。敵か味方かは分からないが、どちらにせよ、守備隊に加勢してくれていることには間違いない
ベルネは隊長のリュメックの元へ駆け寄った。敵の抵抗はほとんど受けることはなかった。月光軍団はベルネたち三人を黒い騎士の仲間だと恐れて包囲網を解いたのだった。
「隊長、ご無事で」
「あわわ、お前は誰だ」
「輸送部隊の警備兵です。指揮官のエルダさんの指令により隊長を救出にきました」
「ああ、エ、エルダの・・・そうか」
追放しようとしていたエルダの部隊が救援に駆け付けたとあって、リュメックは面目丸つぶれだった。ベルネが先導し、守備隊の兵とともにリュメックは包囲網を抜け出すことができた。ベルネはそこで自分の乗ってきた馬を味方の兵士に与えた。
「隊長、先に逃げてください、我々がここで敵を防ぎます」
「ああ、そうする」
リュメックは礼もそこそこに馬を駆った。
「ベルネ、隊長と一緒に退却するんじゃなかった? こんな敵の真ん中で食い止めるなんて、エルダさん、そんなこと言ってたかな」
指揮官のエルダは、輸送隊が待機している所で陣地を作っていると言っていたはずだ。
「そうだっけ、スターチ。あたし間違えたかな」
「大間違いだ。見てごらん、敵は百人くらいいるよ。でもって、こっちはたったの三人、馬はないし、どうする」
「どうするって言われても・・・やることは一つだよ」
「そうだよね」
「逃げよう」
月光軍団のトリルは気が逸った。
黒づくめの騎士が出現したことで優勢だった状況が一変してしまった。三人ばかり突入してきたのだが、それが黒づくめの騎士の仲間なのか、それとも敵の突撃隊なのか分からない。しかし、相手は僅かな人数だ。出陣前に部隊長のナンリに訓練を受けた、その成果の見せ所だ。
体当たりでもなんでもしてやる。
だが・・・足がすくんで動けなくなった。
月光軍団の隊長スワン・フロイジアはただ茫然として見ているだけだった。
正体不明の黒づくめの騎士が出現したことによって戦場は大混乱になった。それと同時に本陣になだれ込んできた者たちは、悪魔の騎士の仲間かと思うほど暴れまくった。突撃してきたのが守備隊だと判明した時はすでに手遅れだった。捕らえたはずの守備隊の隊長に逃げられてしまった。
これではローズ騎士団に合わせる顔がなくなった。手ぶらでシュロスに戻ったのではローラに罵倒される・・・
このまま指を銜えて見ているわけにはいかない。こちらには無傷の兵、百数十人がいるではないか。
「敵は数騎だ、全軍、追撃するのよ」
予備兵力として参戦していたフィデス・ステンマルクと部下のナンリは逃走する敵を追走した。守備隊が突撃してきて数騎で月光軍団を蹂躙していった。むしろ陣営を駆け抜けていったと言うべきだ。敵の兵は本陣には目もくれず守備隊の隊長を救出しに来たのだ。
「ナンリ、あそこに」
前方に、馬に乗らず走って逃走する三人が目に入った。遠目に見ても殺気を孕んだ姿である。
逃がすものかと、たちまち追い抜き、前に回り込み行く手を塞いだ。
フィデスとナンリが馬を下りた。対するはベルネ、スターチ、リーナの三人だ。
「ううむ」
構えを見ただけで只者ではないと分かる。久しぶりに出遭った強敵にナンリの闘志はメラメラと燃えた。
斬り合いが始まった。
ガキン、バシッ
ナンリが睨んだとおり、なかなか手強い相手だ。だが、それにしては鎧といい兜といい、身に着けた装備は軽い。対するナンリは革製の上着にたくし上げたスカートを履き、腹部胴体は鎧で覆い隠している。敵は歩兵だろうか、騎士でもないのにこんなに強い兵がいるとは驚いた。
二対三、数では不利だがナンリは後へは引かない。ベルネとスターチを相手に二刀流で互角に剣を合わせた。
ビユッ
ナンリの小刀がベルネの肩口を掠めた。ナンリは左手の小刀でベルネと対峙し、右手にした剣でスターチと間合いを保つ。
しかし、フィデスがリーナに押し込まれていた。フィデスの悲鳴に振り向いた瞬間、ナンリは小刀を叩き落とされた。
「あっ」
斬られると覚悟した。だが、敵は剣を収めて駆け出していった。
「大丈夫ですか、フィデスさん」
「ええ、危ないところでした」
「手強い奴らだった」
剣を落とされたのでは負けに等しい。ナンリは駆けていく三人の後ろ姿をキッと睨んだ。
とにかく逃げることが先だ、ベルネたちはまた走り出した。今の闘いでかなり遅れてしまった。追いつかれないように速度を上げる。しかし、息が苦しくなってドタンと倒れ込んだ。
「後方で陣を張って待っているんだよね」
「ああ、でも、副隊長のアリスはとっくに逃げただろうな」
「馬車に乗って一目散だ」
「カッセルに帰ったら、アリスをぶっ飛ばしてやろう」
ベルネは肩口に手を当てた。小刀で斬りつけられた傷口がズキンと傷む。
地面に耳を付けたリーナが敵の足音を察知した。
「追手が来た」
九死に一生を得たカッセル守備隊の隊長リュメック・ランドリーは、ほうほうの体で輸送隊が待つ所へ逃げ込んできた。付き従うのは数人の部下だけだ。副隊長のイリングが救護班に向かって、水だ、薬だと大声を出している。救護班にいたロッティーは名誉挽回とばかりに水桶を運んだ。
ベルネたちは救出作戦を見事にやり遂げてくれたのだ。三人はまだか・・・指揮官のエルダは遠くを見つめた。
逃げてきた兵士によると、ベルネたち三人は隊長に馬を譲り、自分たちは走ってくるのだという。しかし、それでは、月光軍団から馬で追撃されたら、たちまち追い付かれてしまうだろう。無事に戻ってくれればいいのだが。
月光軍団の部隊は百人かそれ以上と思われる。こちらの兵力はせいぜい五十人しかいない。ここで陣地を構築したとしても、追撃してくる第一陣を食い止めるのが精一杯だ。
隊長と副隊長には先頭に立って戦ってもらいたい・・・
「エルダさん、大変、隊長が」
輸送隊の責任者カエデが慌てて駆け込んできた。
「隊長が退却する」
カッセル守備隊の隊長リュメック・ランドリーが退却しようとしていた。
エルダが馬車の集合場所へ駆け付けると、マリアお嬢様が荷台にしがみついているところだった。それを、先に乗り込んでいたイリングとユキが押し出そうとしている。
「あんたなんか乗せるもんか」
ユキがお嬢様の手を引っ叩いた。
「あっ、ひゃん」
お嬢様が荷台から落下した。
「うわっ・・・」
寸でのところで抱き止めたのはアリスだった。だが、アリスは落ちてきたお嬢様の下敷きになった。
「アリス、エルダ、お前たちは撤退の最後尾、しんがり部隊になれ、隊長の命令だ」
「待ってください、せめてお嬢様だけでも馬車に乗せてください」
エルダが叫んだ。
横からロッティーが荷台に手を掛けた。
「待って・・・私も乗せて」
隊長とともにイリングとユキが馬車で逃げようとしているのだった。
自分だけ置いていくなんて・・・
「お前も同罪だ、ロッティー。ここに残れ」
イリングが馬車の幌を閉じた。
「待って、待って・・・助けて」
ロッティーの声をかき消すように車輪がガラガラと回りだした。
「あはあ・・・あはあ」
ロッティーはヘナヘナと崩れ落ちた。
隊長を乗せた馬車がどんどん小さくなっていく。
アリスは戦場の真っ只中に置き去りにされたのだ。いざとなったら部下を差し置いても自分だけは助かろうとしていたのに、あろうことか、上官に見捨てられてしまったのである。
「こんなはずではなかった」
しかし、その原因を作ったのは不倫をしたアリスに他ならなかった。
そこへベルネたちが戻ってきた。三人とも無事だった。全速力で走り続けてきたのでゼイゼイと荒い息で倒れ込む。
「指揮官、エルダさん、敵が来る、敵が。陣立ては・・・ゴホッ」
ベルネが見渡したが防御の陣地どころか味方の兵は僅か数人しかいない。
「隊長はどこ」
「逃げてしまったわ」
「なんですって」
「私たちはしんがりを任されたの」
<作者より>
本日もお立ち寄りくださり、ありがとうございます。
とりあえずここで一段落しました。
次回に備え、登場人物のおさらいをしておきます。
ルーラント公国 カッセル守備隊
リュメック・ランドリー カッセル守備隊隊長
イリング 副隊長
ロッティー(シャルロッテ)、ユキ 隊員
アリス 副隊長補佐
エルダ 新任の指揮官
アリスの部隊の隊員
ベルネ、スターチ、リーナ
レイチェル、マーゴット、クーラ
マリア・ミトラス お嬢様隊員
アンナ お嬢様のお付き
カエデ 輸送部隊隊長 ミカエラ 事務官 エリオット メイド長
バロンギア帝国 シュロス月光軍団
スワン・フロイジア シュロス月光軍団隊長
コーリアス 参謀
フラーベル 副隊長 文官
ミレイ 副隊長 ジュリナ 部隊長
ラビン、キューブ 隊員 カンナ 魔法使い
フィデス・ステンマルク 副隊長
ナンリ 部隊長 フィデスの部下
トリル、マギー、パテリア 隊員
スミレ・アルタクイン 東部州都軍務部
ミユウ 東部州都軍務部所属
ニーベル 地下帝国の住人