新編 辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス 前編 17話
第七章【置き去り部隊】②
・・・カッセル守備隊のアリスとエルダは月光軍団に捕らえられ、そして、身を隠したマリアお嬢様までもが・・・
「いたわ、ここよ」
月光軍団の副隊長フィデス・ステンマルクと部下のナンリが敵兵を見つけた。その後ろにはトリル、マギー、パテリアの三人も続いている。
「カッセル守備隊の隊員ね」
フィデスが確認した。
「そうですね、何と言いますか、早く言えば、おっしゃる通りカッセル守備隊です」
アリスは問い詰められて仕方なく守備隊だと認めた。
「捕虜にしますので付いてきてください。命まで奪おうとは言いません」
「はい、はい」
アリスは二つ返事で捕虜になろうとした。
相手は軍人にしては丁寧な言葉遣いである。礼儀を弁えているタイプに見えた。いきなり斬り殺されるような心配はなさそうだ。副隊長補佐という微妙な役職であることや、戦場初体験だとか、隊長に置き去りにされた事情を訴えれば、捕虜にもされず解放してくれるかもしれないと思った。
「縄につけ。それとも掛かってくるか」
アリスがグズグズしていると敵の一人が剣に手を掛けた。こちらは見るからに強そうで、革製の服に胸当て肩当てなどに身を固め、革のブーツを履いた重装備の兵士である。言い訳など通用しない、いきなりバッサリ斬るタイプだ。
これでもアリスは軍人のはしくれである。随分前のことだったが剣術の稽古はしたことがあった。
そこでハタと気が付いた。敵と向かい合うのはこれが初めてだった。俄然、手が震えて剣が抜けなくなった。
敵がフッと笑った。アリスは笑われている。
「お前には武器は必要なさそうだな」
なんと敵は素手で戦うというのだ。人を見下した態度、というか、諸般の事情を考慮して大幅に譲歩してくれたのである。こちらは剣、相手は素手、これはアリスにとって大きなアドバンテージだ。
アリスは剣を抜いて構えた。
「イヤァ」
ガシッ。
踏み込んだところを体をかわされ、あっさり剣を叩き落とされた。何のことはない、戦場デビューは僅か一秒で終わった。
それでもアリスはまだいい方で、他の二人、エルダとカエデに至っては剣を抜くことすらできなかった。エルダはあくまでも戦うと言っておきながら、いざとなったら、あっけなく抵抗を諦めてしまうのだった。
敵ながら情けなるほどに弱い相手だった。
月光軍団の部隊長ナンリは、
「トリル、こいつらを取り押さえなさい」
と、部下のトリルやマギー、パテリアに命じた。
「はいっ」
三人は守備隊のアリスたちを押さえ付けて身柄を確保した。
「よくやったぞ」
「いえ、ナンリさんが倒したんですよ。私たちは腕を掴んだだけです」
「見ましたね、フィデスさん。トリルたちが敵を捕まえるところを」
ナンリが上官のフィデスに言った。
「ええ、しっかり見せてもらったわ」
「三人の手柄だと褒賞係に伝えることにしよう」
トリルたちは倒れている敵の背中を押さえつけただけなのに、フィデスやナンリが手柄を立てさせてくれたのだ。
「捕まえたってことは間違いない、初陣なんてこんなものだよ」
さっそくその場で捕虜の取調べが始まった。
ナンリが役職と名前を問い質すと、捕虜の内の二人は、副隊長補佐のアリス、輸送隊の隊長カエデだと判明した。捕らえてみれば意外にも高官であった。トリルは自分たちが捕虜にしたのがカッセル守備隊の幹部クラスだと知ってびっくりした。
「あなたは?」
フィデスがエルダに尋ねた。
「エルダです、この部隊の指揮官です」
「月光軍団副隊長フィデス・ステンマルクです」
フィデスはエルダを見つめた。白く透き通るような肌、スッとした鼻筋。エルダの美しい顔にたちまち魅入られた。エルダを捕虜にできたことを密かに喜んだ。
「輸送隊の隊長に指揮官とは、願ってもない収穫ではありませんか」
「え・・ええ」
エルダの容姿に見とれて返事がおろそかになった。
さらにナンリが聞き取りを続けたところ、守備隊の隊長はすでに逃亡し、この数名はしんがりの任務を任されたのだということだ。
「部隊は何人でしょうか」
「全部で十二人だったのですが、バラバラになりました」
「たった十二人、それだけで最後尾にいるんですか」
フィデスは少なからず同情してしまった。
「あひっ」
灌木の背後で声がした。
「誰か隠れているな。トリル、お前たち見てきなさい」
三人はトリルを先頭に声のする方へ近づいた。相手が攻撃してくるかと身構えたが、敵は茂みに隠れたまま出てこない。パテリアが恐る恐る覗き込むと、そこにはメイド服を着た二人が身体を寄せ合っていた。
「カッセル守備隊の人ですか」
「そうです、それがどうかしましたか」
「逮捕しますよ」
二人を捕まえればさらに手柄をあげられる。しかも、相手は抵抗もせず地面に座り込んでいるだけだ。いかにも弱そう、これなら勝てる。ついに自分より弱い敵に遭遇したのだ。
「怖い、アンナ、ここにいて」「お嬢様、気を確かに」
二人がお嬢様などと呼び合っているのを聞くと捕虜にするのが気の毒になってきた。パテリアがそっと手を差し伸べた。
「一緒に来てください」
灌木に隠れていたマリアお嬢様とアンナが連れてこられた。エルダは月光軍団の隊員と手を繋いでいるのを見てホッとした。どうやら丁寧に扱ってくれているようだ。
「お嬢様、ご無事ですか」
「ああ、怖かった」
マリアがエルダに抱きついた。
「この二人は、見習い隊員でしてメイドの役目です」
エルダはナンリを仰ぎ見た。
「メイドか・・・かえって足手まといだろうに」
腰抜けの副隊長補佐といい、メイドといい、こんな弱々しい者を最後尾に配置するとは通常では考えられないことだ。
「フィデスさん、このメイドはどうしますか」
「そうですね、指揮官たちを捕虜にできたのだから、その二人は見逃しましょう。国境まで馬車で送り届けてあげなさい」
見逃してくれると聞いて安心したのか、お嬢様がツッコむ。
「私たちは馬車で逃げようとしたのですが、突き落とされてしまいました」
「何ともお気の毒なことですね。早くお逃げなさい」
「それで、私が乗る馬車はどこにあるんですか」
まるで女王陛下のような物言いにナンリは跪いて一礼した。
「はい、ただいま急いで馬車を手配いたしておりますので、少々お待ちください」
捕虜になった五人が集められた。
エルダたちはフィデスの監視下に置かれたものの、その扱いは丁重で、きつく縛られることもなかった。
「メイドの二人を解放していただければ、私たちは捕虜になる覚悟です」
ここはフィデスに取り成してもらうしかない。
「よろしいですよ、その二人は解放すると約束しましょう。でも、エルダさん、あなたは私の捕虜に・・・」
フィデスがそう言ったとき、
「指揮官!」
「ベルネさん」
カッセル守備隊のベルネが駆け付けてきた。すかさず月光軍団のナンリが剣を構えて立ち塞がる。
「お前はいつかの・・・」
現れたのはナンリが剣を叩き落とされた相手だった。ベルネとナンリは睨み合った。
「この先だ」「早くしろ」
間髪を入れず、四方八方から声が飛び交った。月光軍団の主力部隊が追い付いてきたのだ。真っ先に飛び込んできたのは部隊長のジュリナだ。すぐあとに続いて守備隊のリーナももつれ合うようにして突っ込んできた。
あちこちで斬り合いが始まり、ナンリとベルネは激しく剣を打ち合わせた。
「うむう」
「ぐぐっ」
負けるものかと意地を見せて押し合った。ナンリの剣がベルネの剣を受け止めた。手の合う相手に血が滾る。
この日の戦いでベルネの鎧は肩口の辺りが破れ、胸当ての紐が切れていた。何人もの敵を相手にして疲れが溜まっていたベルネは次第に押され始めた。ナンリが体当たりするとベルネはガックリ膝を付いた。
「うむ、無念」
ベルネのピンチとみるやリーナが槍を振り回して間に入った。リーナはジュリナを引きずったままだ。
「放せ」
リーナがジュリナを蹴り飛ばした。
入り乱れての闘いになっては自分たちの出番はない。月光軍団のパテリアは身を屈めて逃げ出した。守備隊のお嬢様がいたので「一緒に来て」と抱きかかえた。
月光軍団の魔法使いカンナが目ざとくこれを見つけた。パテリアが敵を捕まえたのだが、それにしては何かおかしい。捕獲したというよりは守っているかのようだ。
「こっちへ来なさい」
カンナが強引にお嬢様を引っ張った。
「いやん、助けて」
お嬢様は必死でパテリアにしがみつく。
「この人はメイドよ」
「パテリア、あんたどっちの味方してるの」
カンナはパテリアを押し退け、「カミナリ攻撃」と叫んで魔術を繰り出した。
バチッ、
魔術で放たれた稲妻がお嬢様の足元に飛んだ。
「うわっ」
お嬢様が感電した。
「お嬢様には手を出すな」
カッセル守備隊のレイチェルが助けに入った。
「お前も串刺しだ」
再び、カンナの指先から稲妻が走った。
バチッ、ガン
レイチェルが素手で弾いた稲妻が飛んでロッティーを掠めた。左の袖が黒く焦げている。
「熱っ・・・あたしは味方だよ、レイチェル」
<作者より>
本日もお読みくださり、ありがとうございます。
今回掲載分では、マリアお嬢様が月光軍団に捕らえられてしまう場面があります。後々、この状況は双方にとって重要なポイントになります。