誰もいない観客席を5分間流し続けることでも話題になったそうですが、3分以上あった男子トイレのションシーンも忘れてはならない。何リットル出た?
映画館ではキン・フー監督の武侠映画『残酷ドラゴン・血斗!竜門の宿』が流れている。観客席には涙を流しながら観ている老人がいる。これは1967年の映画の出演者2人、往年の映画スター、シー・チュンとミャオ・ティエンだ。これはさすがにわかりません。台湾映画史上でもかなり有名な作品らしいのですが、マギー・チャン主演のリメイク版『ドラゴン・イン』しか観たことがなかったです。
とにかくこの『楽日』は長回しばかり。そのカットの中心は『西瓜』でも共演したチェン・シャンチーとリー・カンション。足の悪い女性店員と映写技師の2人。チケット売り場で饅頭を食べようとするシーンなんてのは無駄じゃないかと思うほど長いのですが、斜陽産業と化した映画業界と寂れていく館内とともに哀愁を感じさせるには丁度よい。彼女が廊下を歩くシーンにしても長年勤めてきた映画館への惜別の念が伝わってくる・・・ような気がしました。
日本人俳優三田村恭伸も好演していて、ガラガラの観客席の中、1人ポツンと鑑賞していたのに、彼の後ろや隣に次々に人が増える。千秋楽の映画館。足を投げ出すマナーの悪い観客にも愛着を感じ、すりよってくるホモっぽい男であっても温かさがある。皆寂しいはずなのに、映画館という場所ではその想いを語り合うこともできず、一言もしゃべらずに並んで黙々と鑑賞する。トイレに入っても倉庫に入っても、彼のそばには人が寄ってきて、「今日が最後じゃなければ、映画友達になれたかもしれないのに」とでも言いたそうな雰囲気がありました。直情的な言葉がなくとも思いは伝わる。「サヨナラ」という言葉だけがこだまして余韻を残すのです。
『ニューシネマ・パラダイス』のように、映画館の楽しかった思い出があるわけじゃない。ガランとしたラストの観客席が何を伝えたかったのかもわからない。しかし、この長回しのおかげで座席数が600以上ある巨大な映画館であることもわかりました(数えるなって・・・)。あぁ、それにしても、エンドクレジットには山田村恭伸と表記されていたことも侘しい・・・
★★★・・
映画館ではキン・フー監督の武侠映画『残酷ドラゴン・血斗!竜門の宿』が流れている。観客席には涙を流しながら観ている老人がいる。これは1967年の映画の出演者2人、往年の映画スター、シー・チュンとミャオ・ティエンだ。これはさすがにわかりません。台湾映画史上でもかなり有名な作品らしいのですが、マギー・チャン主演のリメイク版『ドラゴン・イン』しか観たことがなかったです。
とにかくこの『楽日』は長回しばかり。そのカットの中心は『西瓜』でも共演したチェン・シャンチーとリー・カンション。足の悪い女性店員と映写技師の2人。チケット売り場で饅頭を食べようとするシーンなんてのは無駄じゃないかと思うほど長いのですが、斜陽産業と化した映画業界と寂れていく館内とともに哀愁を感じさせるには丁度よい。彼女が廊下を歩くシーンにしても長年勤めてきた映画館への惜別の念が伝わってくる・・・ような気がしました。
日本人俳優三田村恭伸も好演していて、ガラガラの観客席の中、1人ポツンと鑑賞していたのに、彼の後ろや隣に次々に人が増える。千秋楽の映画館。足を投げ出すマナーの悪い観客にも愛着を感じ、すりよってくるホモっぽい男であっても温かさがある。皆寂しいはずなのに、映画館という場所ではその想いを語り合うこともできず、一言もしゃべらずに並んで黙々と鑑賞する。トイレに入っても倉庫に入っても、彼のそばには人が寄ってきて、「今日が最後じゃなければ、映画友達になれたかもしれないのに」とでも言いたそうな雰囲気がありました。直情的な言葉がなくとも思いは伝わる。「サヨナラ」という言葉だけがこだまして余韻を残すのです。
『ニューシネマ・パラダイス』のように、映画館の楽しかった思い出があるわけじゃない。ガランとしたラストの観客席が何を伝えたかったのかもわからない。しかし、この長回しのおかげで座席数が600以上ある巨大な映画館であることもわかりました(数えるなって・・・)。あぁ、それにしても、エンドクレジットには山田村恭伸と表記されていたことも侘しい・・・
★★★・・
自分が廃墟や大きな建造物に惹かれている自分にとっては。
>すりよってくるホモっぽい男
ではなくて、ホモですよね。
三田村さんも異国からやってきたゲイという設定らしいです。
なので、あんなにガラガラの映画館なのにわざわざ隣に座るのも、狭い通路ですれ違うときにお互い向かい合うのも、あの老人達以外の男性客は誰も真面目に映画なんか見ないでうろうろしてるのも、トイレで小便器の前からなかなか離れないのも誰かが出てきたトイレの個室の中からなぜかまた猛一人出てくるのも、あの映画館がゲイの出会いの場だったという背景があるんですよね。
コメントありがとうございます。
三田村さん自身もゲイだったのですかぁ・・・そうとわかっていれば、トイレのシーンでも見方が変わっていたかもしれません。
ゲイの出会いの場というのはポルノ映画館だけではないんですね。う~む、また違った感想が湧いてきそうです。