主人公は安田松太郎。一瞬でもサッカーを思い浮かべると、松木安太郎の名と混同してしまう・・・
高校の校長だった主人公。この団塊の世代の教師は「でもしか先生」と呼ばれる方が多く、いざなぎ景気を背景に「教師にでもなるか」「教師にしかなれない」と志願すれば誰でも教職に就くことができた世代だ。とはいってもレベルが低いわけではなく、逆に教師になってからがむしゃらに教育に取り組んで自分の家庭をも省みることがなかったのだろう。この安田松太郎(緒形拳)もその一人。娘に「人殺し!」と罵られるほど、アルコール依存症の妻を死なせてしまった悔恨の念を持っているのです。
一人暮らしを始めたアパートでは隣人が夫婦喧嘩(実際はヒモ)が絶えなく幼児虐待をもうかがわせる。その被害者である5歳の少女サチ(杉浦花菜)の虐待を受けた痕跡がとても痛々しく、耐えられなくなった松太郎が彼女を連れ出してしまうストーリー。高岡早紀の狂ったかのような演技も凄まじく、胸が苦しくなりました。また女の子の叫び声や、しつけの行き届いてないことがわかる粗暴な態度。メロンパンしか食べたことがないような食生活。そして、「死」ということが未だ理解できていない、いたいけな少女なのです。
虐待から解放したかっただけなのに、世間ではそれを誘拐というのが当たり前。行くあてもないような旅を続ける二人の間には、頑なに心を閉ざしていたサチが徐々にストックホルム症候群のように心を開き、信頼関係も生まれてくる。なにしろ、最初に名前を聞いたときには「ガキ!」と答えたほど。途中、唐突に現れたザンビア帰りの青年との微妙な関係も緊張感を与えてくれるが、ここでもまた「死」を考えさせられ、「おーい君、おーい天使、おーい青い空」という松太郎の詩の意味が浮かび上がってくるのです。目的地は家族で行ったことのある山の風景だったのだ。
サチはずっと天使の羽を背中につけていましたが、新聞紙を破いて羽根のように切り貼りしたもので、最後のほうにはボロボロになっていました。もしやファンタジー映画だったのか?と思わせるシーンには驚きましたけど、急降下するようにラストの現実へと戻されてしまう展開もまたいい。人生は長い散歩。贖罪や巡礼という言葉にも象徴されるように、誰もが感じるような人生の重い十字架もいつかは晴れる日がやってくる。天使のパンツを被って反省しなければならないなぁ・・・
★★★★・
高校の校長だった主人公。この団塊の世代の教師は「でもしか先生」と呼ばれる方が多く、いざなぎ景気を背景に「教師にでもなるか」「教師にしかなれない」と志願すれば誰でも教職に就くことができた世代だ。とはいってもレベルが低いわけではなく、逆に教師になってからがむしゃらに教育に取り組んで自分の家庭をも省みることがなかったのだろう。この安田松太郎(緒形拳)もその一人。娘に「人殺し!」と罵られるほど、アルコール依存症の妻を死なせてしまった悔恨の念を持っているのです。
一人暮らしを始めたアパートでは隣人が夫婦喧嘩(実際はヒモ)が絶えなく幼児虐待をもうかがわせる。その被害者である5歳の少女サチ(杉浦花菜)の虐待を受けた痕跡がとても痛々しく、耐えられなくなった松太郎が彼女を連れ出してしまうストーリー。高岡早紀の狂ったかのような演技も凄まじく、胸が苦しくなりました。また女の子の叫び声や、しつけの行き届いてないことがわかる粗暴な態度。メロンパンしか食べたことがないような食生活。そして、「死」ということが未だ理解できていない、いたいけな少女なのです。
虐待から解放したかっただけなのに、世間ではそれを誘拐というのが当たり前。行くあてもないような旅を続ける二人の間には、頑なに心を閉ざしていたサチが徐々にストックホルム症候群のように心を開き、信頼関係も生まれてくる。なにしろ、最初に名前を聞いたときには「ガキ!」と答えたほど。途中、唐突に現れたザンビア帰りの青年との微妙な関係も緊張感を与えてくれるが、ここでもまた「死」を考えさせられ、「おーい君、おーい天使、おーい青い空」という松太郎の詩の意味が浮かび上がってくるのです。目的地は家族で行ったことのある山の風景だったのだ。
サチはずっと天使の羽を背中につけていましたが、新聞紙を破いて羽根のように切り貼りしたもので、最後のほうにはボロボロになっていました。もしやファンタジー映画だったのか?と思わせるシーンには驚きましたけど、急降下するようにラストの現実へと戻されてしまう展開もまたいい。人生は長い散歩。贖罪や巡礼という言葉にも象徴されるように、誰もが感じるような人生の重い十字架もいつかは晴れる日がやってくる。天使のパンツを被って反省しなければならないなぁ・・・
★★★★・
奥田監督の奥様や娘さん達の名前が【脚本】にずらっと並んでいて壮観でした。
それにしても奥様の安藤和津を発見できなかったわ(汗)
安田松太郎・・・・どこかで聞いたことがあると思ったら松木安太郎でしたか。脱力~(笑)
すっきりしました。
金八って実際におったら、松太郎タイプやってんね。
金八の家庭、あんなん、やっぱドラマやってんな~。
KOSSSYは分かりましたか?
昔々、わが家の子どもたちも歌っていた「天使のパンツ」が
こんなところで出て来るとは思わなかったので、ビックリしながらも、
歌詞を全部覚えていた自分に、またビックリ…
考えたら、変な歌詞なんですけど。
緒形拳さんが小さい子どもを連れているのって、
『鬼畜』を思い出させました。
随分年月が経って、全く逆の形で子どもと歩いている姿が
何だか感慨深かったです。
若者のワタルが加わることで、重苦しくならない。
サイドストーリーとしてのワタルの展開が浅いかなぁとは思いましたけど、
それを展開しすぎるとメッセージが広くなりすぎるかなぁと。
彼は死を選びましたし、
彼だけじゃなくどの世代にも悩みなんて尽きないけれども、
「人生は長い散歩」とあるように、
もっと気楽に生きた方がいいのかもしれませんね。
この作品が逆にトラウマになったら・・・悲しいことですよね。でも周りの大人がそうさせないはずです!まだまだ幼い子なのでこれからですよね。児童虐待に対する問題もかなり提起されていたように思うのですが、子供をただ産めばいいといった某大臣のことまで思い出されました。
心を開いていく過程もよかったですけど、ご馳走してもメロンパン以外を全てひっくり返す演技が凄かったですね~
>ミチ様
脚本もがんばってましたよね~
一人ではできない。親子合作の脚本というところがリアルな家族を描くことができた要因かもしれません。
松木安太郎・・・全日本の監督だったときにはなぜか彼を応援してました。最近は外人監督ばかりでつらまらないです。
>aq99様
もしかしたらサッカーのシーンでも出てくるのかな~なんて考えてたのですが、マラソンと剣道だけでしたよね。そういや竹の棒で情夫を襲ったことは不問にされたのでしょうか?気になるところでもあります。
丁度金八先生も同じ年代なのかな。
同じく妻を亡くしてしまったし、星野真理ちゃんは脱いでしまったし・・・関係ないか・・・
>祐。様
ワタルの自殺は唐突でしたね~
拳銃を持ってた理由はなんだろうな~と不思議に思ってましたけど、ザンビアでのトラウマや帰国してからの疎外感が彼を悩ませていたんでしょうね。
彼のエピソードはかなり浮いてしまってますが、サチの将来を想像するには重要な要素。サチが「死」ということの意義をずっと考えさせることになったのでしょうし、虐待に対する態度も変わるんだと思います。
俺は「天使のパンツ」を知りませんでした・・・(汗)
俺が知ってるのは「ピンポンパン体操」くらいです。
トラのパンツはしましまパンツ~♪はいてもはいてもすぐ落ちる♪
保育園での発表会のシーンでは、高岡早紀が仲間に入れず、外で一人泣いていたシーンが妙に思い出されます。それにしても今の親たちはみんなビデオカメラ持ってるんですなぁ・・・
子供を連れてあちこち旅するところは『鬼畜』そっくりでしたよね。俺は『復讐するは我にあり』を思い出してしまいましたが、どちらと比べても主人公はこれらの映画の贖罪のために歩き回ってたのかもしれませんよね・・・
>ぢもと様
たしかにワタルの存在がなければ重くなりすぎていたかもしれません。映画全体としても飽きさせないためのポイントとしていいキャラでした。深く描写しないところはロードムービーだったら普通だし、「散歩」をイメージさせるためには通りすがりの人物だと思わせる手法なのかもしれません・・・
「人生は長い散歩」だということの意味が一番必要だったのはワタルだったのかもしれません。松太郎とサチと出会ったのが目的達成する直前だったら、死を考え直すこともできたのかな~と考えると可哀想な青年でした・・・
あるんですね?^^;;;
映画の中の創作だと思ってました(笑)
猫もピンポンパン体操のトラのパンツくらいしか
わかりません(爆)
あはは・・・年齢がばれる。
ピンポンパン体操は今でも全部歌えそうで怖いのですが、大ヒットしましたよね~
俺も劇中のネタだと思ってましたよ~♪